10.呪い返しの魔法
「レイナ」
低く名を呼ばれ視線を向けると、ルース王子がレイナをまっすぐに見つめていた。
「僕たちが最後に会った時から、まだ3ヶ月も経ってないんだぞ?レイナは、そんなに簡単に心を移せるのか?」
その押し殺したような声が、はっきりとレイナを責めていた。
(はあ?なに言っちゃってるの?!)
レイナは、そう言いたい言葉をぐっと飲み込んだ。
――3ヶ月。
確かに、「婚約解消から再婚約するまでの期間」としては短いかもしれない。
ルース王子にとっては、レイナが前回14歳の姿で戻ってきてから2ヶ月。そして再びこの世界に来て、ハミルトンの屋敷に移ってから数週間が経った今。
「3ヶ月も経っていない」
そう言う彼の時間軸は、確かに正しい。
だが、「3ヶ月も経っていないのに」とはなんだ。
「お言葉ですが……私の時間は、あの婚約式から5年が経っています。ルース様は、半年でカトリーヌ様と婚約式を挙げてますよね?」
レイナは、ルース王子と破局してからの5年間、好きな人をひとりも作れずに過ごしてきた。
もちろん彼に未練があってのことではなく、単に惹かれる人がいなかっただけだが、他の人と婚約した者をいつまでも想い続けてなどいられない。
半年で他の女性と婚約したルース王子に、そんなことを言われる筋合いはない。
「5年……?」
驚いた様子で、ルース王子は呟いた。
ハミルトンは彼に、レイナの詳しい事情を話していなかったのかもしれない。
それ以上言葉が見つからないのか、口をつぐんだ。
代わってカトリーヌが口を開く。
「5年ですって……?もう、おばさんじゃない」
その言葉を聞いた瞬間――
レイナは「呪い返しの魔法」を思い出した。
ハミルトンはその魔法を、「邪悪な気が本人に返る魔法」と話していた。
剣を向ければ剣が返り、毒を向ければ毒が返る。
陥れようとする者をそのまま堕とす、便利かつ物騒な魔法だ。
「おばさん」と貶す言葉は、その対象になるのだろうか。
まさかとは思うが、呪い返しの魔法が発動して、カトリーヌに5年分の時間が降りかかるのだろうか。
それとも「おばさん」世代にまで歳を重ねてしまうのか。
そして、ルース王子の「5年……?」という呟きにも、カトリーヌと同じ気持ちが込められているなら、彼も「おじさん」になってしまうのだろうか。
――考えるほどに不安しかない。
(どうなの?大丈夫なの?発動しちゃうの?)
そっと視線を送ると、ハミルトンの目元がわずかにレイナを気遣うように和らいだ。
「もう少し対象を広げましょうか?」
その言葉に、レイナは安堵した。
この程度なら、対象外らしい。
「いえ、対象は広げなくても大丈夫ですよ」
レイナだって18歳のころは、5歳も年上の人は大人に見えた。だからといって「おばさん」と呼ぶのはどうかと思うけれど、年齢でマウントを取るのは、どこの世界でもあることだろう。
いちいち目くじらを立てるようなことでもない。
目の前の二人が急に歳をとる姿を見たいわけでもない。
「5歳も離れていたら、大人に見えてもしょうがないと思いますし。全然構いませんよ」
ふふと笑って流しておく。
「待て。なんの話をしてるんだ?『対象』とはなんだ?ハミルトン、お前危険な魔法を使ってるんじゃないだろうな」
訝しげにハミルトンを見たルース王子に、彼は涼しい顔で答えた。
「危険?――まさか。私がレイナに危険があるような魔法を使うはずがありませんよ。危険を排除する、『呪い返し』の魔法ですよ」
きっぱりと言い切った。
「なんだその物騒な魔法は……」
ルース王子の眉間に影が差す。
「物騒だなどと……レイナは画期的だと褒めてくれましたよ」
そうでしょう?というように微笑まれ、レイナは静かに頷く。
確かに物騒な名前だが、レイナを守ってくれる魔法だ。今まで多くの危険に遭ってきたが、だからといって慣れるものではない。
この世界随一の腕を持つ魔法使いが開発した魔法を、心強く思っていた。
けれど――気になることはあった。
レイナは、さりげなくカトリーヌに視線を送る。
彼女はレイナの護衛を使って、過去二度もレイナを襲わせた主犯だ。
しかも、今回もまた聖女のミシェルを使って、レイナに服毒させようとしている。
カトリーヌに異変はないだろうか。
過去二度、レイナが剣で切り付けられかけたように、彼女もまた、何者かに剣を向けられるのだろうか。
そして、彼女の口にするものにも、毒が入るのだろうか。
王宮には優秀な宮廷医師が揃っているから大丈夫だと思うが――そんなに無防備に、この屋敷で出された紅茶に口をつけても大丈夫なのだろうか。
「過去にも対象を広げましょうか?」
どうやらレイナがカトリーヌに向ける視線に気がついたらしい。
ハミルトンが気遣うようにレイナを見ていた。
その言葉に、レイナは安堵した。
過去の襲撃は、対象外らしい。
「――ちょっと。何?まさかそんな怪しげな魔法を、私に向けたんじゃないでしょうね」
鋭い目をレイナに向けたカトリーヌに、急いでレイナは手を振った。どうやら彼女を見つめすぎたらしい。
「カトリーヌ様に魔法を向けるなど、滅相もありません。今現在、私に危害を向けた者のみの対象のようですから」
「ふうん。じゃあ、私は関係ないわね」
小さく笑うカトリーヌは、その魔法が狙ってきた人物だけでなく、計画した者にまで返るものだとは知らないのだろう。
レイナは危険があれば元の世界に帰るだけだ。
けれど、カトリーヌは還れないところへ行ってしまうかもしれない。
ここは教えてあげるのが、親切というものではないだろうか。
「そう、ですね……」
さり気なく、を意識する。
「私に直接危害を向けた者――と、その計画を立てた元凶となる者だけに、そのまま危険が返る魔法ですから。勿論、カトリーヌ様には関係ないですよ」
「え……?」
レイナの説明に、カトリーヌの瞳が揺れた。
――心当たりがあるらしい。
思わず苦笑するしかない。
「レイナ。呪い返しの魔法は、すでに強化していますよ。危険を向ける元凶だけではなく、その一族にまで対象を広げてます。やはり危険は根こそぎ消し去らないと、安心できないですからね」
「は……?」
ハミルトンの言葉に、ルース王子の瞳も揺れていた。
元凶の婚約者である彼も――その対象になるのだろうか。
安心など、できるはずがなかった。
痛いほどの静寂の中、口を開いたのはルース王子だった。
「レイナ、今日はそろそろお暇するよ。また改めて会おう。――カトリーヌ嬢、行こうか。このあと話がある」
カトリーヌにかける声が冷ややかだった。
そのまま立ち上がったルース王子は、カトリーヌに手を貸そうともせず、背を向けて歩き出した。
呪い返しの魔法に巻き込まれる可能性を見た今、穏やかではいられない気持ちはわかる。
けれど、長らくルース王子の補佐官だったハミルトンが、彼に無茶なことをするはずがない。
落ち着いて考えれば、分かるはずのことなのに。
(もう少し優しい声をかけてあげればいいのに)
そうレイナは思う。
カトリーヌはきっと不安なんだろう。
ルース王子のその冷たい物言いが、彼女を不安にさせているのではないだろうか。
(だからルース様の婚約者になった今でも、私に敵意を向けんじゃないかしら。……あら?)
ふと、気づく。
カトリーヌが、レイナとルース王子の復縁を恐れて敵意を向けるのならば。
復縁などあり得ないことを分かってもらえればいいのではないか。
「ルース様、お見送りします」
レイナは、部屋を出ようとしていたルース王子に声をかけて引き留める。
そして立ち上がり、隣に座るハミルトンの手を取った。
「ルース様とカトリーヌ様をお見送りしましょう?」
そう言いながら、ハミルトンの手を引いて、彼を立ち上がらせた。
(どう?ルース様も、このくらいの心遣いをカトリーヌ様に見せなさいよ)
ルース王子に婚約者としての振る舞いを身をもって教えつつ、カトリーヌにはハミルトンとの仲をアピールしてみせた。
その場の空気がぴたりと止まった。
誰も、何も言わなかったが、レイナの思いは伝わった――はずだ。




