小夜曲
「What song will you play?(君は何を弾く予定なのですか)」
そういったのは金髪の男性。
「I will play the Girl's Pray .(乙女の祈りをひこうと思います)」
英語が通じたか心配だったが、通じたようで、拍手が起きて安心した。
一番はじめに鳴らす、ミのオクターブに手を載せた。
この『乙女の祈り』は上昇旋律が綺麗な曲だ。弾いていて気持ちが良い。
途中にたくさんあるトリルがまた、この曲の美しさを増加させている。
どんなことを祈りながら、この曲を書いたのだろうか。
一曲弾き終わると、控えめな職員から、「では、そろそろ……」と、終りを告げられた。
茜音は、椅子から立ち上がり、お辞儀をした。
「You are a good pianist!(君は良いピアニストだ!)」
嬉しい。
「Thank you.(ありがとうございます)」
日本人だから英語を話せなくても大丈夫。そんなことを友達が言っていたような気がするけど、そうでもないみたい。
ピアノの蓋を閉じた。それと同時に大切なことを思い出した。とりあえず、人に尋ねてみることにした。
「すみません。ここ、どこですか?」
振り返ったのは、先ほどの軍服の男性。
「ここは、東亰だが。」
当たり前のように答えられる。でも、茜音にとってはそうではない。茅ヶ崎にいたはずだからだ。
軍服の男性は、ちなみに、と続けた。
「ここは鹿鳴館だよ。」
鹿鳴館。その言葉を聞き、茜音の頭の中で歴史の教科書がペラペラとめくられてゆく。
「それって、明治時代に出来て、昭和くらいに取り壊されたんじゃ……。」
茜音にとっては当たり前のことのはずだ。
すると、男は笑い出した。
「君、どうしていつ壊されるかなんて知っているんだい?」
そんなに驚かれることではないはずだ。
「明治時代って今のことだろう。」
茜音は耳を疑った。
「今、平成ですよね?」
平成以外に何があるのだ。
「平成っていつのことだい?」
そういって笑う彼の様子を見て、冗談を言ってるようには見えない。
「あの、今って本当に明治時代なんですよね?」
「そうだが。」
即答をされた。
「ところで、君は先ほど英語を話していたね。」
曲紹介のことだろうか。
「はい。」
「君は、きちんとした教育を受けている女学生だろう。
こんな夜遅くまで出歩くなんてとんだ不良娘だね。」
不良娘。確かに世間から見たらそう映ってしまうのだろう。だが、茜音にはどうしようもない。この明治時代には帰る場所など存在しないのだから。
「どうしよう……。」
涙を流すなど柄ではないが、これから先の事を考えて見ると目頭が熱くなってきた。
「泣き止みたまえ。」
そういって彼が渡してきたのは、ハンカチ。ポケットからハンカチがすっと出るなんてひょっとすると茜音よりも女子力が高いのではなかろうか。
「ありがとうございます……。」
軽く目に当てたハンカチからは微かにタバコの香りがする。
「僕の名前は、森鴎外だ。」
今日授業で習った人物ではないか。涙が止まった。
「軍医さんですよね?」
「僕のことを知っているのかい? 光栄だ。」
森鴎外はにこりと笑った。
茜音は自分の名前を伝えた。
「良かったら家まで送ってゆこう。」
ありがたい話だが、帰る場所がこの時代には存在していない。
「ありがとうございます……。でも、帰る場所がないんです……。」
「帰る場所がない、とは?」
鴎外は意外にも冷静だ。
「私、本当はここにいるはずの人間じゃないんです。」
高まる鼓動。
「二千十五年から来ました。」
こんなにも非現実的なことは、信じてもらえないのが当たり前だ。
「大変だっただろう。」
しかし、鴎外の口から出た言葉は意外なものだった。
「誰でも聴けるような場所で話すのも少しあれだろうから、続きは僕の屋敷で聞こう。」
知らない人について行くな。そんなことを幼い頃に耳にタコができるほど聞いた。だが、違う時代に来てしまった茜音には行く宛などない。
「ありがとうございます。」
それでは、と手を差し出された。まるで、エスコートするように。茜音はその手に手を当てた。




