愛の喜びは一瞬のものなのにその苦しみは
愛の喜びは はかなくも消えて
愛の苦しみ 心深く残る
あなたは 私の思い見捨て
新たな愛に 身をゆだねた
この小川が 遠い海へと
野を越え 流れ続けるように
私の愛も
溢れ続くでしょう、と
この岸辺で
あなたは言ったのに
これが、この『愛の喜びは』の正しい歌詞だ。茜音が弾いているのを聞いたとき、胸が鷲掴みにされるような気持ちになった。
ドイツにいたころ、ドイツ人の少女エリスと僕は好いて好かれた。国を超える恋に別れを告げて、もう人を好きになるのはやめよう、と誓った。
しかし、そんな僕の前に君は現れてしまった。刹那に散りゆく花びらのように。顔はエリスとそっくりなのに明るくて、元気。でもどこか手を伸ばしたら消えてしまいそうな儚さがある。
エリスは『愛の喜びは』をよく歌っていた。その今にも消えそうな声と、舞踏室に響く自信と思いに満ち溢れた演奏とは似ても似つかない。
この力強さと、我慢強さをそばで守りたいとさえ願うほどに、この思いは引き返せないところまできていた。
川上さんの音は、ソロにも増して伸びやかだった。それでも、これはデュオなのだから、主役を奪われたままにはしたくない。
たくさん音に思いを込める。
この華やかな夜が終わらないように。
『愛の喜びは』という曲は相手の心移りを嘆いているけれど、私は現代と明治という選び難い選択肢を突き出された運命の意地悪さを嘆きたい。その意地悪の中で夢を再び目指そうと思ってしまったのだから、残酷なものだ。
ピアニストになりたい。
そう思った時点でもう選ぶべく未来は決まってしまっている。
あなたのことを好きになれた日々は人生の中の一瞬。それでも、明治での思い出は苦しいだけでないはず。きっとこれからの毎日を照らしてくれると思う。
そばにいられない残酷な運命が私たちを引き裂こうとするけれど、どこにいても私はあなたを思ってピアノを弾き続けよう。
届いていますか。鴎外さん。




