「結婚経験」
ある朝、お父様がわたしの部屋になって来た。なんだか、怖い顔をしている。
わたしは嫌な予感がした。
「咲菜、結婚してくれ」
「……」
それは一か月前のこと。……絶句した。
そういう話はこれが初めてではない。何度もあった。そして、その中の二回は、実際に「結婚」した。
うちのお父様は、どこまでもワンマンな父親だ。母さまのことを本当に家政婦としか思っていない。
二人の姉もお父様の一言で、うちの会社の取引先のご子息と結婚した。二人のお相手、そうわたしの義兄たちは、揃いも揃って素敵で優しい人だったので、結局、姉たちはお父様のやり様に不満を抱くことなく、収まってしまった。
お相手はわたしより25歳も上の方で、うちの会社との取引のある会社の社長さんだった。婚約式と、その後、数度、ディナーをご一緒しただけで、余り親しくなる機会はなかった。
もう少ししてからの方が良いのではと、お母さまは16になって間もないわたしの結婚のことを、とても心配していたけれど、先方のたっての願いで、お父様がそのように決めたのだった。
「咲菜も幸せになりなさい」
「姉さんたちも、応援してるから」
姉たちの屈託のない励ましに、わたしも姉たちの様に幸せになるんだと、押し付けられた結婚だったけど、いつしかワクワクしてその日を待つようになっていた。
しかしそのころ、気付けばよかった。
婚約者なのに、なかなかわたしと会おうとしなかったことの意味や、会ったとしても、何かそわそわしてちゃんと目を見て話してくれなかった真実を。
婚約を終え、半年の後、わたしはその日、結婚式に臨んでいた。
しかし、結婚式を終え、新婚旅行に行った先、ヨーロッパの古い町で初めての夜を迎えたその晩だった。
夕食を町のしなびたレストランでとった後、先に帰っていてくれとのことだったので、わたしは一人、ホテルに戻った。
けれどそれっきり、わたしの初めの主人は帰ってこなかった。
後で聞いた話だけれど、その夜、初めの主人の会社は倒産が発表され、主人は行方をくらました。結局、わたしたちの結婚は、どこかに逃げていくための、隠れ蓑に使われていたという事。
その後、差出人の書かれていない封書がわたしのところに送られてきて、その中に印鑑を押した、離婚届が入れてあった。
「それにしても、可愛らしい御家ね」
初めの結婚のときの主人の家には、都心の大きなマンションの上の方だったそうで、わたしの家からもその大きなビルの姿が良く見えた。
それに比べて、今の御家は部屋が二つ。わたしがいるベッドを一つ置いたら、もうさほど余裕がない部屋と、小さなテーブルが置いてあるリビングルーム。その片隅にあるキッチン。
どれも小さくって、可愛らしい。おとぎの国に来たみたいだなと、初めここにきたときに思った。
今度のご主人はわたしと同い年。今までのとはずいぶん感触が違って、何か戸惑ってしまっている自分がいる。
だけど不思議なのは、ここに自分の居場所があるように感じてしまう事。今まではそんなこと一度もなかったのに。
初めの結婚が失敗に終わった時、自分でも信じられないほど落ち込んだ。姉たちの成功を思うと、わたしだけ幸せに見捨てられたように思えた。
しばらく結婚だとか恋だとかと、全く関係のない世界に行きたいと思った。
でも、そうはならなかった。離婚の手続きが終わって間もないある日、次の縁談が持ち上がった。
わたしはお父様の非情なやり方に、この時、初めて心の底から怒りを覚えた。娘の人生を、娘の気持ちを、この人は全く考えていない。そのことがはっきりわかったと思った。
姉たちは結果が偶々良かったから納得した顔をしているけど、きっとそれだって、お父様は姉たちのことを思って、その話を持ってきたのではないに違いないと決めつけた。
しばらくの間、もう結婚しないと言い張ったけれど、わたしの家で父の意向に沿わないことが許されるはずはなかった。
わたしは蚊帳の外で、勝手に話は進められていった。それでもわたしは、事有るごとにこの縁談を失敗させようと、色々してみた。
二度目の夫と出会う時に、似合わない服を着るとか、変な態度をとるとか、そんなことしかできなかったけれど、わたしとしては精いっぱいの抵抗だった。
今考えると、二度目の夫はそう悪い人ではなかったかもしれない。
わたしより20歳上の人で、この人も最近できた、新しい会社の社長さんだった。
打ち合わせとかいろいろな場面で、会う度に変なことをするわたしを、別に軽蔑するでもなく、非難するでもなく、困ったなあという顔で見ていた。
でもそんな抵抗もむなしく、わたしは結婚させられた。
ただ、結婚式も披露宴も無し。書類を出すだけの結婚。
それは今までのわたしの態度を腹に据えかねた父が、再婚でもあるし、そのような注目を集める場で、わたしが無茶をしたらどんなことになるか分からないと、父が先手を打ったのだった。
こうしてわたしは二度目の結婚した。だけど、わたしは諦めなかった。逆にこれほど嫌がっているのに、全くそれを無視し、無理強いをする父のやり様が、悔しくて悲しくて、もっと抵抗をエスカレートさせた。
結婚の準備の期間、わたしがしたのは変な臭いの出る「香水」とか、不細工に見えるメイクとか、男の人がひいてしまう服装とかについて熱心に調べることだった。
そして今度結婚したら、あの人がわたしに、愛想が尽きるように仕向けようと、色々と作戦を考えていた。
結婚初夜、新婚旅行に出かけるその晩のこと、あの人と空港そばのホテルで落ち合うことになっていた。
わたしはそこで、それまで考えていた作戦をいっぺんに実行した。変な臭いが漂うように、凄い臭いの香水をつけ、体のラインが出ないようにダブダブの服をだらしなく来て、頭も整髪料でずっと頭を洗ってないみたいにゴワゴワにして、暗くて気持ち悪いように見えるメイクをして、ホテルの部屋の隅に小さくなって、あの人がやってくるのを待ち構えた。
…… あの人がやって来たら、大声で騒いで「罵詈雑言」を吐いて、最後の最後まで、わたしに触らせない。
心臓がバクバク言っている。もしかしたらそれこそ、酷い目に合わされるかもしれない。でも、そうだとしても、このままでは……。
「こんばんは、咲菜さん」
「……」
あの人がやって来た。わたしは今だと渾身の力を込めて叫ぼうとした時、彼はすっと手を挙げた。
「あ、良いよもう。君がどんな気持ちでいるかは、良く分かってる」
「……?」
「婚姻届けは出さなきゃ話が進まなかったから一応出したけど、これ置いとくね。こんなに嫌がっている娘を、無理やり結婚させるってのは、俺的にもちょっとだったんだ」
わたしは何も言えなかった。
「じゃあ、元気で。もう会うこともないだろうから」
その人は部屋から出て行った。
テーブルの上には、見覚えのある届出用紙。離婚届けが印鑑を押しておいてあった。




