訪問
「おはようございます。蝶山咲菜です。聖セラフィム高校の三年生です。ご招待に与り、嬉しく思います」
「聖セラ?? ホント?」
ささやく声がどこからか聞こえた。
「あ、お、おはよう……ございます」
あわてて口々に挨拶をする神山さんたち。
マンションの玄関を開けるや、ずらっと知っている顔が迎えていた。
うちのクラスのトップカーストに所属する、神山千夏 小宮真紀と大森紀香。それといつもの大林安三。
結局、安三も来ることになったらしかった。これは吉か凶か。味方になってくれそうでもあり、逆に変な流れになると、俺の唯一の友人をも、失うことになるということもありうるわけで。
いずれにせよ、今日が俺のこれからの高校生活を決める、重大な日になることは必至であった。
でももっとも俺が警戒している神山さんは、いつもは堂々としてて人怖じしないイメージなのだけど、今日に限ってはちょっと違った。すっかり咲菜に押されている。
まあ今日の咲菜は、セレブのお手本みたいな雰囲気出してるから、流石の神山さんでも……ってことか。
それにしても、蝶山咲菜……か。
神山さんのことより、”蝶山咲菜”と自己紹介する咲菜に引っかかった。やけにもやもやしたものが胸に広がっていく。
俺たちの関係を伏せるために、そう言ってくれているのは分かっているのだけど、なんだろこのイラッとくる感じって……。
しぶい顔をして、足元に視線を落としている俺のことなんか、全く気にもかけていないかのように、挨拶を終えた咲菜は、促されるままさっさと神山さんの家に上がった。安三やほかのメンツもそれに続く。
玄関先でぽつんと取り残される俺。なんかむちゃくちゃ情けないんだが。
咲菜を案内している神山さんが、ドアの向こうに吸い込まれ際に、ちらとこちらに目を向けているのが目に入った。その目がちょっと笑っていたのが妙に気になった。
「なんだんだよ、くそ ……」
思わず苛立ちとともにこぼれる悪態。神山さんも俺のことなんかまったく眼中にないみたいだし、ちょっとは友達っぽいことが出来るのかなみたいな、淡い期待もあったのだけど、どうも俺のことなんかマジでどうでもよいようだ。咲菜に変なこと頼んでまで繕おうとした自分のイタさに、のっけから脂汗が流れる。
神山さんの家は、うちの最寄の駅から5つ学校方面に乗った駅で降り、歩いてすぐのところにある。
その辺りは最近建った高級そうなマンションが林立し、いかにもハイソって感じの街で、果たして、そこに住む人たちのほとんどは、都心の一部上場企業に勤めている。
その中でも、ひときわ高級そうに見える高層マンションの一室に神山家がある。
神山さんたちは、正直かなり戸惑っていた。
それはどうも、みんなが想像していた「咲菜」とは、全く違ったからだったようだ。
「みなさん、今日はお招きいただきありがとうございます」
「あ、いや……ね」
「う、うん」
まるで高貴な人たちが、どこかに慰問したときに見せるような隙のない笑顔。
いつもウエメセな態度で、クラスの下位カーストの俺たちを見下している連中が、完全に飲まれてしまっている。
その向こうから、なんか言いたそうに安三がじっとこっちを見てる。
「今日は、いつも作ってられるお弁当について、教えて頂きたいなと」
神山さんがこんなに丁寧な敬語使ってるの初めて聞いた。
「わたしのような素人などで、良いのでしょうか?」
「いいえ、いつも草場君のお弁当見せて頂いて、感心しているんです」
「そうですか? 草場さんには、わたしの我儘をいつも聞いていただいて、本当に感謝しているんです」
ろくにこっちを見ずに、平べったい感謝の言葉を口にする咲菜。なんかこう聞いていると、しようがないから俺に弁当を持たせているとしか取れないぞ。見ると安三が、今度は俺のことを憐れむような目で見ていた。
こうなれば当然、ペースは当然咲菜ペース。
安三はともかく、集まった女子も、そしてコニュニケーションスキルの高いことで評判の神山さんも全く突っ込みようがないようだった。完全に咲菜が取り仕切っている。
俺はいつもとは全く違ってしまった咲菜の後ろ姿を、テキパキ動き、何についても上品に、でも確信をもって断定的に話す彼女の姿に、複雑な気持ちで見守るしかできなかった。
「咲菜さん、凄いですね。こんなお弁当、毎日食べることのできる草葉君は幸せですね」
「そうですね」
感情の起伏のない咲菜の声。なんか、俺、震えた。
「草葉君は、あのお弁当は自分の為じゃなくって、別の人だっていってるんですが、…… もしかしたら、そちらの?」
神山さんが視線を落としたのは、彼女の左手に輝く俺のプレゼントしたリングだった。
「そうなんです。わたし、結婚しているんです。夫婦になっても、人と人との関係って、なかなか上手く行かないものですね。心まで通じ合うというのは難しって、最近、つくづく感じています……」
「け、結婚? 高校3年って、さっき」
「でも、……そうなんです」
「「「えー」」」
なんかみんな見事にハモった。
一様にビックリしてる。この歳にして結婚しているだなんて、失敗して出来ちゃったとかなら、もしかしたらあるのかもしれないが、俺たちの周り絶対にじゃあり得ない。
その時、ちらっと安三がこっちに目を向けた。なんか安心した顔してる。神山さんは何故か嬉しそうな笑顔を浮かべた。で、俺といえば、その咲菜の言葉に、どうしたことか呵責の念に苛まれている。
「お見合い結婚だったんですけど、わたし、それでも彼が大好きなんです。彼の妻であることが、わたしにとって、一番大切なことなんです」
「な、なんか、俺たちとはちょっと次元が」
安三が耐え切れずにそう零した。みんなも自分らと世界が違うと思っているらしく。
「でも、咲菜さん、ご主人のこと、本当に愛しておられるんですね。咲菜さん見てたら、そのこと良く分かります。」
「そう……ですか?」
なんかその時だけ、いつもの咲菜の顔になった。ほっぺたをほんわかと赤らめ、いかにも嬉しそうに目を細めるそれは、本当に嬉しいことがあった時に、咲菜がする表情である。
神山さんがそう言うと、みんな口々にそうだそうだと言った。咲菜はその言葉の渦の中で、しばらく嬉しそうにしていたが、俺は彼女の背中が急に丸まって、小さくため息に揺れたのを、見逃さなかった。
それが妙に寂しそうに見えてならない。俺は吸い付けられるように、話の輪の真ん中にいながらも、一人、何かを悲しんでいるように見える咲菜の姿に目を向けていた。
そ、そっか、…… そうなんだ。
<無理やり引っ付けられてこうしてるんですし、本当はこんなはずじゃなかったんですものね>
やけに棘があったあの時の咲菜の言葉。今、冷静な傍観者として咲菜とほかの人間とのやり取りを見ていて、初めて繋がってきた。ずっと引っかかっていたそれが、なぜ彼女がそんな風に反応したのか分かった。
ちょっと前に俺はこの口で、咲菜にずっと一緒にいてほしいと頼んだ。一緒に幸せになって、大人たちを見返してやろうと約束した。その時、咲菜はさっきみたいに本当に喜んでいた。
だのに昨日の買い物の時にも、咲菜のやつはまだ、自分と俺とが夫婦であるという言われることを、俺に迷惑がかかるとか何とか言って気にしていた。
だから、あのリングを咲菜にプレゼントしようと思ったんだ。俺の気持ちをはっきりさせるため、そして咲菜にその気持ちをはっきりした形として伝えるため。
…… まずいな、俺、めちゃくちゃなこと言ってたわ。
つーか、もしかしたら咲菜の今日のこの酷い仕打ち、愛想尽かしてもうサヨウナラっていうつもりでしてるのか?
うちに来て直ぐのころ、この結婚を終わらされるために、咲菜は俺に酷く当たって、愛想をつかせようと画策した。今日の朝の咲菜は、まるでその時のようにだった。
分かった、だから「蝶山咲菜」って自己紹介したのか!
いや、でも、さっき、愛していると……
いや、それは勝手な思い込みなんだろう。あの無責任な酷い言葉で冷めてしまったんだ。っていうか、愛しているって言った夫なる人間は、俺ではなくって他の誰かとか?
流石にそれは ……。
めちゃくちゃな思考の波が、ごうごうと容赦なく迫ってくる。
俺の額を脂汗が流れ心臓は胸の内で暴れまわる。こんな勘繰りの迷宮に入ってしまったら、一人ではもうどうしようもない。ただただ喘ぐばかり。
もうその時には、神山さんちにお呼ばれしたってことなんか、どこかに吹っ飛んでしまっていた。




