待ち合わせ
「咲菜、ちゃんと聞けよ、だから、俺の友達が何人も来て、おまえに料理習おうって言ってるんだぞ。」
「はい、いつも昇太さんがお世話になっているので、出来ることなら、ぜひさせて頂きたいと思います。それより、わたしみたいなので良いんでしょうか? 料理、そんなに上手くないですから……」
「いや、あの弁当作れるんだから、料理、下手ってことは絶対ない。俺の舌が保証する」
「そ、そうですか……」
なんか唇噛んで、ウルッと来ている。そんな咲菜見てたら、こっちも胸が熱くなるのだが……。
いや、今話すべきはそれじゃない。
「つーか、何で行こうと思うの?」
「え? 行った方が良いんですよね。だって、昇太さんのお友達のお願いというんでしたら、妻としては、そんなに無碍にお断りするわけにはいかないでしょうし、もしそれで昇太さんのお役に少しでもたてるというんだったら、わたし、凄く嬉しいです。」
頬をピンクに染めながら興奮して話す咲菜を見ていたら、行くななどと言えなくなる。…… っていうか、「妻」、なんだな、……咲菜。
考えれば、確かに咲菜のしていることは、全くもって妻としての役回りなのである。
食事を作り、掃除をし、一緒に時間を過ごし、笑ったり話したり、もう俺にとって、紛れもなく咲菜は家族の一員であり、妻の立ち位置である。
ただ男・女のことについては、俺の「未経験コンプレックス」のため、先に進むことは未だに強烈な抵抗があるが。……でも、考えたらたったそれだけなのだ。彼女が「妻」ではないのは。
それに元々、突然押し付けられた結婚。どこまでも紙切れの上での話で、俺たちはただの同居人以上では有り得ないと思っていた。
でも、そうではなくなっている?
俺は改めてマジマジと咲菜の顔を見つめた。
咲菜は俺の嫁さん?
今までになかった、俺たちが夫婦であるとのリアリティーが、俺の体中を駆け巡っていく。この俺の役に立てると無邪気に喜んでいる、この美しい女の子が……。
初めは神山さんの家に行くことで興奮して赤くなっていた咲菜だったが、直に俺に見詰められているという事でそわそわし始める。
「ど、どうしたんですか、昇太さん」
少しうろたえながらも、俺の視線から逃げようとはせず、逆に上目づかいでこっちを伺う。それは二人の人妻であった女の姿ではなく、文字通り、少女がはにかむ姿だった。
そして、いつも感じる違和感。
咲菜、二度離婚してるっていうけど、前の結婚の名残というか、男の影が全くないように思ってしまうのだ。
いや、俺がそんなこと見通すだけの経験も能力もないのは分かっている。多分一種の希望的観測なのだろうけれども、この擦れてなさはあまりに不自然。
それとも…… 女というものはそう言うものなのか?
結局、要らないことを考えているうちに、咲菜を神山さんのところに連れていくという事について、撤回する機会を完全に失い、決定事項とみなされるに至った。
金曜日の夜、俺はいつもならバイトに励むのだが、今日は急きょ休みをもらい、こうして駅前で待っている。
いよいよ明日は神山さんのところに行く運命の日。その運命の日に起こるであろう悲劇のダメージを極限まで小さくしようと、ここで突っ立っている。
「し、昇太さん!!」
「ああ」
「お待たせしました」
「いや、10分前。俺、早く来ちゃったから」
「いえ、済みません。済みません……」
うちのおふくろのものと思われる、サイズの合わない、おばさんの部屋着ぽい綿のブラウスに、ひざ下の長さのごわごわのスカート。綺麗に洗い、手入れはしてあるが、中年用のデザインであることは一目瞭然だった。
そんな彼女は遅れてきてしまったと、ショボンと俯いてしまった。俺は約束の時間までに来たんだから、そもそも遅れてないと言うが、それでも肩を落として俯いている彼女の頭に、思わず手を伸ばしてしまった。
うわ、ちっさい。
咲菜の頭は小さくって、髪の毛はサラサラだ細くって、ビックリしてしまった。へーと思わず感触を確かめるべく、なぜなぜしたりしたところで我に返った。
これは怒られるかと思ったら、俺が手を離し、それに応じて真っ直ぐこっちを向いた彼女は、照れ臭そうにへへへと笑っていた。
…… そ、そっか、こういうの嫌じゃないんだ。
俺にとってはちょっとした発見だった。
彼女の来たその日、まるで不審者を威嚇する番犬のスピッツのように、俺を自分に近づけさせまいとしていた。
それには色々な理由があったという事は、後で本人から聞かされ、そのことについては納得済みである。だが、やはりそれがトラウマみたいに俺の中に残っていて、未だに彼女に触れるという事には少なからず躊躇していたのだ。
ふーん、そうなんだ……。
俺はなんだか、ホッとした気持ちに包まれた。
「じゃあ、行こう」
「はい」
彼女は俺の横には並ばず、少し後をついて来た。あれ?と思ったけれども、それでもルンルン気分であることは、ひしひしと伝わってきているので、まあ良しとしよう。
電車に乗って、30分ほど前、乗ってきた方面へ、すなわち再び学校方面のへの電車に乗る。これからの目的地は、学校の二つ前の駅、バイトの時の駅の二つ向こう、そこはこの町で一番の繁華街である。
地方都市と言っても、俺たちの住んでいるところよりかはずっと街である。この金曜日の夕暮れ時、それなりの人でにぎわっていて、俺はその人をかわしながら先を進んだ。余り人混みが徳とは言えない俺。さっさとこんなメンドクサイ所はパスして、目的地へとと思い、いつもよりかなり早足でしばらく歩いた。
おっと、今日は一人ではなかったんだ
人をかわすことに専念しているうちに、咲菜のことを忘れていたことに気づく。慌てて振り向くと、案の定、そこに彼女の姿はなかった。
しまったと道を急いで逆戻りすると、お決まりのパターンで、軽めの大学生っぽい男二人に、咲菜はつかまっていた。
「ねえ良いじゃん、明日学校ないんだろ、ちょっと飯、一緒にしようよ」
「たのむよ、奢るからさぁ」
「わ、わ、わたし、こまります」
「あのう、なんか用ですか?」
当然、俺はそこに割って入る、と同時に、彼女の手を掴んだ。俺はそのナンパ野郎たちのことが、無茶苦茶に腹が立った。
俺がどんな顔をしていたか分からないが、そいつら、一瞬ビビった顔をして、わーたわーたとそそくさと逃げていく。しかし、高ぶった俺の気持ちはすぐには収まらなかった。
「昇太さん?」
ふと顔を向けると、心配そうに彼女が顔を覗いていた。
「すみません、見失ってしまって……」
なんか謝ってる。言うまでもなく、咲菜は悪くない。腹が立っているのは、あのナンパ野郎たちに対しかというと、それだけでもない。
でも俺は今、堪らなく腹が立っている。
……守らなきゃらない奴が、ちゃんと仕事してねーし。
そう、仕事してね-俺、この俺だ、くそ、俺は何してやがる?!
俺はこの時、一瞬ではあったが、初めて咲菜が俺以外のやつとかかわっているのを見た。口説かれているのを見た。
その瞬間、一瞬のうちに俺の中で燃え滾ったこれって……
…… 嫉妬
俺の手の中にある、細く白い手。
俺は思わず彼女の手を握る手に、力を込めた。心配して覗いている彼女の手にエッと驚きの色が走る。
咲菜?
次の瞬間、俺の握った手は、優しく握りかえされた。そして、また、彼女の顔に喜びの色が輝く。
整った顔立ち、来た時は青白かった彼女の頬も、最近は良くピンクに染まる。大きな二重の目はじっとこちらに向けられていて、時折瞬くと、長い睫毛にハッとする。
そしてそのすべてが、街のネオンの光で神秘的に色づいて、家の中では絶対に感じないであろう、何とも言えない色香を放っていた。
ホーッと見とれていると、小さなピンクの唇が動く。
「しょ、昇太さん、そろそろ、行きませんか?」
ハッと我に返って辺りを見ると、数人の男や、OLのお姉ちゃんらしき人が、何事かとこっちを見ていた。
俺は反射的に彼女の手を引いて、早足で歩き始めた。
くそ、恥ずかしい。
俺一体何やってんだ。
自分に対するイライラが、頭をカッカと熱くして、俺は咲菜の手を握ったまま、勢いに任せてガツガツと歩いて行く。
「昇太さん、昇太さん」
「え?」
「す、すみません、もう少しゆっくりお願いできますか?」
顔を赤くして、困った顔をした咲菜は、済まなそうに言った。
「あ……」
立ち止まって、ため息。全然、進歩無い。また同じことしてるし。
肩を落としている俺の脇にスルッと通るものがあった。
横を見ると、俺の腕にすがりついた咲菜が、目を泳がせながらこっちを見ていた。
「こ、こ、これだったら、はぐれないと……思います」
俺はあまりのことにビックリしると、彼女はシュンとして絡ませていた腕を抜こうとする。どうも調子乗り過ぎてしまいましたと思っているようだった。
俺は抜き去られそうになっていた彼女の腕を、脇で挟んで捕まえた。
「行くぞ」
俺は半ば強引に、彼女と腕を組んだまま、歩き始めた。ビックリしていた咲菜だったが、直ぐにまた、俺の腕に身を寄せた。
「昇太さん? 今日はこれからどうするんですか?」
「ん? 買い物」
「買い物ですか?」
「ここ行ってみよう……か」
今日の買い物の目標は、明日、咲菜が高校の友達と会うための対策である。俺の考えた作戦とは、咲菜が同じ年に見えては、大変なことになるという事で、彼女が出来る限り老けて見えるように「偽装」をすることだった。
とは言っても俺はファッションのことなんか全く知らない。初めっからもう店の人に丸投げするしかない。だからまず、出来るだけおばさんの入りそうなブティックを探し回った。
そしてここぞと思う店を選ぶと、えいやあ!と店に入って行った。
「あのう、お客様?」
キョトンとしているうちの母さんより少し年下っぽい美人の店員さん。その顔は、どうも俺らみたいな若い人間が、どうしてうちにに来るの?と言っている。
その驚きの顔を無視して、この娘が徹底的に大人っぽく見える服装を選んでほしいと頼んだ。予算は、これこれぐらいでと。
……俺は溜めてきたバイト代を、今回で全部はたく覚悟をしている。この絶体絶命のピンチにこそ、惜しまずつぎ込むべきだと判断したから。
咲菜は目を瞬かせながら、店員さんに連れていかれた。




