番外編二 清水あかね、育ての母
清水あかねが、相沢凛と出会ったのは、彼女が七歳のときだった。
実の両親は、あかねが物心つくかつかないかのころから、育児を放棄していた。食事を用意されない日が、当たり前のように続いた。あかねは、近所のコンビニの廃棄弁当を漁ることで、飢えをしのいでいた時期もあった。
児童相談所に保護された後、あかねは、いくつかの一時保護施設を転々とした。どこに行っても、彼女は、他の子どもたちと、うまく馴染めなかった。誰かに心を許すことが、怖かったのだ。
相沢凛が代表を務めていた民間の支援団体に、あかねが預けられたのは、そんな時期だった。
初めて会ったとき、相沢は、あかねに、何も詮索しなかった。ただ、静かに、こう言った。
「お腹、空いてる?」
あかねは、その一言に、思わず涙を流した。誰かに、そんな風に、当たり前に気遣われたのは、いつ以来だったか、思い出せなかった。
相沢との暮らしは、決して裕福ではなかった。狭いアパートの一室、古い畳、隙間風の入る窓。だが、あかねにとって、そこは、初めて「安心して眠れる場所」だった。
相沢は、あかねに、多くを語らなかった。だが、時折、深夜、資料に埋もれながら、独り言のように呟くことがあった。
「あの子たちは、今も、忘れられたままなのかな」
あかねが、その言葉の意味を尋ねても、相沢は、いつも、穏やかに話題を逸らした。「大人になったら、教えてあげる」――その約束が果たされることは、結局、なかった。
相沢が体調を崩し始めたのは、あかねが大学に進学した年だった。原因不明の体調不良が続き、精密検査の結果、進行性の難病であることが判明した。相沢は、余命が限られていることを知っても、なお、資料の整理を続けた。
「あかね。私が死んだら、この部屋にあるもの、全部、あなたに任せる。読むかどうかは、あなたが決めていい」
その言葉が、相沢の遺した、最後の意志だった。
相沢が亡くなった後、あかねは、長い間、その資料に、手をつけることができなかった。開けば、何か、取り返しのつかないものに、触れてしまう気がしていた。
だが、三年目のある夜、あかねは、意を決して、段ボール箱を開けた。
そこにあったのは、三十年分の、丹念な記録だった。旧支援センターでの出来事。中止された"環境適応プログラム"。十七件の不審な事故。そして、記録から消された、十八人目の少女――相沢凛自身の、幼き日の記憶。
あかねは、初めて、育ての母の、本当の名前と、本当の過去を知った。
「相沢さん……あなたは、ずっと、自分自身のことを、調べ続けていたんですね」
その夜、あかねは、資料の山を前に、朝まで泣き続けた。
そして、彼女の中で、何かが、静かに決壊した。
裁判の中で、あかねは、この経緯のすべてを、正直に語った。検察官は、彼女の動機に、一定の情状酌量の余地があると認めながらも、複数の人命を奪った罪の重さを、厳しく指摘した。
判決の日、あかねは、法廷を出る前、傍聴席にいた大輔たちに、深く頭を下げた。
「私は、相沢さんの願いを、間違った形で、叶えようとしました。でも、彼女の名前だけは、これで、忘れられないものになったと思います」
大輔は、その言葉に、何も返さなかった。ただ、静かに、頭を下げ返した。




