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『十三時十二分』 健常者は知らない  作者: キロヒカ.オツマ―


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あとがき

この物語を書き始めたきっかけは、ある日、街の段差を、車椅子の方が一人で越えようとしている場面を見かけたことでした。数十秒の出来事でしたが、周囲の誰も、それに気づいていないように見えました。気づかないのではなく、"見ないことに慣れている"のかもしれない――そう思ったとき、この物語の輪郭が、頭の中に浮かびました。


『『十三時十二分』 健常者は知らない』というタイトルは、当初、字面のインパクトだけを狙ったものではありません。物語を書き進める中で、このタイトルの意味そのものを、最終的にひっくり返すことを、最初から意図していました。


第一部から第四部まで、読者は、大輔たち登場人物と一緒に、「障がいがあるからこそ気づける違和感」を、一つずつ追いかけていきます。しかし第三十三章で明らかになるように、その"気づき"すらも、実は何者かに利用されていた、という構造を、この物語には仕込んでいます。それは、当事者の鋭さを称賛するだけの物語にしたくなかったからです。当事者の感覚が特別だと持ち上げることも、時に、もう一つの「都合のいい消費」になり得る――そのことも、この作品の中で、静かに問いたかったテーマの一つです。


清水あかねというキャラクターを、単純な「動機のある犯人」として描かないことには、最後まで迷いがありました。彼女の行為は、決して肯定されるべきものではありません。実際、作中でも、花や大輔の口を借りて、その罪を明確に指摘しています。それでも、彼女を突き動かした感情の根に、この社会が積み重ねてきた「見過ごし」があったことも、また事実として描きたいと思いました。


片桐謙一郎という人物も、同様です。彼は、悪意から出発した人間ではありません。むしろ、善意から出発しながら、その善意を最後まで貫く勇気を持てなかった、一人の弱い人間として描いたつもりです。三十年前、片桐が沈黙を選んだ瞬間は、特別に劇的な瞬間として描いていません。日常のちょっとした「見て見ぬふり」の延長線上にあるものとして、あえて静かに描いています。それは、この物語の"犯人"が、特別な誰かではなく、私たちの誰もが、状況次第でなり得る存在だということを、伝えたかったからです。


戸田大輔、森下花、久保海、そして美咲――主要な登場人物たちの障がいの設定は、それぞれ、取材や資料を基に、できる限り丁寧に描くことを心がけました。もちろん、この作品はフィクションであり、すべての当事者の方の経験を、代表するものではありません。障がいの種類や程度、そして何より、一人ひとりの人生は、当然ながら、作中の人物よりもずっと多様で、複雑です。この物語が、特定の障がいや、当事者像を、一般化・単純化する意図がないことを、ここに記しておきます。


タイトルの意味が、最終章で「障がい者だけが知っていたのではない。ただ、他の人間が見ようとしなかった」へと反転する構成は、この物語全体を通して、最も伝えたかったメッセージです。誰かの感覚を「特別なもの」として切り離すのではなく、その感覚が本来、誰にとっても大切にされるべきものだったのだと、気づいてもらえたら――そう願いながら、この物語を書きました。


最後に、この物語を読んでくださったすべての方に、感謝を申し上げます。もし、この物語をきっかけに、明日、街を歩くときの目線が、ほんの少しでも変わることがあれば、それに勝る喜びはありません。

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