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『十三時十二分』 健常者は知らない  作者: キロヒカ.オツマ―


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第三十四章 清水あかね

すべての糸が、最終的に一人の人物へと収束した。


清水あかね。


大輔は、静かに、あかねと向き合った。場所は、あかねが最初に切り取られた新聞記事を見つけた、あの図書館の郷土資料室だった。あかね自身が、この場所を指定した。


「あかねさん。あなたは最初から、この事件の"全体像"を、誰よりも知っていた」


あかねは、もう、隠そうとはしなかった。彼女は、資料室の窓際に立ち、外の景色を見つめていた。


「――ええ、そうです」


その声は、これまでの取材者としてのトーンとは、まったく違っていた。低く、静かで、どこか、長年抱え続けてきた重荷を、ようやく下ろすような響きがあった。


「三十年前、私は、あの施設と、深い関わりがありました。詳細は、今は言いません。でも、私は、この街が、障がいを持つ人間を、どれだけ簡単に"存在しないもの"として処理してきたか、誰よりもよく知っています」


「だから、事件を起こしたと」


あかねは、大輔をまっすぐに見つめた。


「田辺さんも、佐伯さんも、他の被害者の方々も――正直に言います。私が、直接、あるいは間接的に、関与しました」


その告白に、磯川の部下たちが、色めき立った。すでに部屋の外には、応援の刑事たちが待機していた。


だが、あかねは、続けた。


「私は、この街に、思い知らせたかった。障がい者が社会からどれだけ無視され、消され続けてきたか。それを、"事故"というラベルで済ませ続けることが、どれだけ残酷なことか。……皮肉です。私は、彼らを"利用する"ことでしか、彼らの叫びを、この街に届けられなかった」


あかねの目に、涙が滲んでいた。


「田辺さんを選んだのは、彼が誰よりも、この街の"不便さ"に、静かに耐え続けてきた人だったからです。佐伯さんを選んだのは、彼が、誰よりも慎重に、この街のルールに従って生きてきた人だったからです。……私は、彼らの人生の丁寧さを、利用しました。それが、どれほど卑劣なことか、私自身、痛いほどわかっています」


「あかねさん。もう一つ。美咲さんの部屋に、あの偽の証拠を仕込んだのは、どうやったんですか。あなたと美咲さんが会っていたところを、僕は一度も見ていない」


あかねは、静かに目を伏せた。


「坂上さんに、頼みました。……いえ、頼んだというより、脅していた立場を、そのまま使いました。彼は、ひまわり園の関係で、美咲さんの部屋の合鍵を、管理上の理由で預かっていました。私は、それを一度だけ借りて、複製しました。指紋を、あの日、美咲さんの部屋に残してしまったのも、私です。照合すれば、私のものだと、すぐにわかったはずです」


磯川は、その告白を聞きながら、静かに頷いた。後日の鑑定で、ノートから検出された第二の指紋は、あかねのものと完全に一致することになる。


「もう一つ、聞かせてください。山内翔太さんのことです。彼は、なぜ、あんな目に遭わなければならなかったんですか」


あかねの表情が、初めて、はっきりと苦しげに歪んだ。


「翔太さんのことだけは、今も、後悔しています。あの日、私は、彼が普段通る道に、意図的に、強い溶剤の匂いを撒きました。彼の"いつもと違う"という感覚が、どれだけ鋭いか、私は事前に、家族の方への聞き取りから知っていました。彼を傷つけるつもりは、本当になかった。ただ、事件が"一つの繋がり"を持っていることを、あなたたちに気づかせるための、材料が欲しかったんです。……結果的に、彼を、何時間も怖い思いをさせてしまいました。それは、償っても償いきれません」


大輔は、拳を強く握りしめた。


「あなたのその"材料"のせいで、一人の青年が、何時間も、恐怖の中にいたんですよ」


「わかっています。だからこそ、これは、私が受けるべき罰の一部です」


あかねの告白は、あくまで任意の場での発言に過ぎない。磯川は、その場ですぐに、外で待機していた応援の刑事たちを呼び入れ、正式な手続きに移った。あかねは、田辺と佐伯に対する殺人、および坂上に対する強要・電磁的記録不正作出などの疑いで、その日のうちに通常逮捕された。取調べは、後日、天城中央署で、録音・録画のもと、正式に行われることになる。


あかねは、続けて、この三十年の間、自分がどのように生きてきたかを、静かに語り始めた。


「相沢さんに引き取られてから、私は、彼女が三十年間、たった一人で抱え続けてきた怒りと、悲しみを、少しずつ、聞かされて育ちました。彼女は、私に、"復讐をしろ"とは、一度も言いませんでした。むしろ、彼女は、"この街を、憎むだけの人間にはなるな"と、いつも言っていました」


「それなのに、あなたは――」


「はい。私は、彼女の願いを、裏切りました」


あかねは、深く頭を下げた。


「彼女が亡くなった後、私は、彼女が遺した資料の中に、あのメモを見つけました。あの言葉を読んだ瞬間、私の中の何かが、決壊しました。私は、記者として、この街の不正を"報道"することで、変えようとしていました。でも、それでは、何も変わらないと、心のどこかで、諦めてもいたんです」


「あかねさん。もう一つだけ。図書館の縮刷版から、あの記事を切り取ったのは、あなたですか」


あかねは、静かに首を横に振った。


「いいえ。あれは、相沢さん自身です。彼女は、自分がかつて"存在した"証拠であると同時に、自分を消した人間たちの罪の記録でもある、あの記事を、誰にも見せたくなかった。でも、捨てることもできなかった。だから、切り取って、ずっと手元に置いていました。私が見つけたのは、彼女の遺品の中にあった、その"原本"の切り抜きです。私は、あえて、それを図書館の縮刷版が欠けているように見せかけて、自分が"偶然発見した"という体裁を作りました」


「私は、すべてを認めます」


大輔は、しばらく、何も言えなかった。窓の外から差し込む光が、資料室の埃を、静かに照らしていた。


「あかねさん。一つだけ、聞かせてください。あの時刻同期の改ざんは、僕がかつて指摘した、市の設備の脆弱性と同じ手口だった。記者のあなたが、どうやって、あそこまで専門的な手口を使えたんですか」


あかねは、静かに答えた。


「相沢さんが遺した資料の中に、あなたが当時、建設局に提出した指摘書の写しが、紛れ込んでいました。三十年前、彼女は、旧支援センターの都市計画への転用データを追う過程で、市のシステムに関するさまざまな内部資料を、独自に収集していたようです。その中に、たまたま、あなたの名前がありました。手口そのものは、大学時代からの知人で、今もシステム関係の仕事をしている人間に、"研究のため"だと偽って、実装だけを手伝ってもらいました。彼は、これが何に使われるか、最後まで知りませんでした」


大輔は、深く息を吐いた。あの日、建設局の上司に「そんな些細な穴を突く人間は、まずいないだろう」と一蹴された指摘書が、巡り巡って、三十年越しに、この事件の凶器の一部になっていたという事実に、言葉を失った。


「あかねさん。あなたが今、話してくれたこと――それは、あなたの罪を軽くするものじゃない。でも、僕は、それを聞けてよかったと思っています」

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