第二十七章 生きている少女
相沢凛は、公的には「死亡」として処理された記録が、後年、密かに作成されていたことが判明した。
だが、あかねが調べた限り、死亡診断書の発行元は、実在しない医療機関だった。あかねは、その医療機関名を、県の医療機関一覧と照合したが、該当する施設は、過去にも現在にも、一件も見つからなかった。
「これは、"死んだことにした"だけの、偽の記録です」
あかねは、興奮を抑えきれない声で言った。
「つまり、相沢凛は、まだ生きている可能性が高い」
大輔は、静かに頷いた。
「三十年前、この街は、彼女を消した。記録上、彼女は"存在しない"人間になった。でも――存在しない人間ほど、この街の裏側で、しぶとく生きている場合がある」
問題は、彼女が今、どこにいるのか、誰もわからないということだった。戸籍上存在しない人間を探すことは、通常の捜索方法では、極めて困難だった。
海が、静かに言った。
「もし彼女が生きているなら、この一連の事件の"意図"に、彼女が関わっている可能性は、十分にあります」
大輔は、窓の外を見つめた。夜の街の明かりが、遠くに揺れている。
「三十年間、この街から存在を消された人間が、もし今、自分を消した街に対して、何かを仕掛けているのだとしたら――僕は、正直、彼女を責める気になれない」
磯川は、その言葉に、複雑な表情を浮かべた。刑事として、犯罪を「理解できる」ことと、「許容する」ことの間には、明確な一線がある。だが、この事件に関わって以来、磯川はその一線が、これまで思っていたよりもずっと曖昧なものであることに、気づき始めていた。
「大輔さん。もし彼女が本当に、この事件の中心にいるとしたら、僕らは、彼女をどう扱うべきなんでしょうか」
大輔は、すぐには答えなかった。
「わかりません。でも、少なくとも、この街と同じやり方で、彼女を"処理"することだけは、したくない」
その夜、四人は、相沢凛の足取りを追うための、新たな方針を練った。あかねは、三十年前に施設と関わりのあった民間の福祉団体や、慈善事業家のリストを、改めて洗い直すことを提案した。「存在しない人間が生きていくには、誰か、彼女を匿った人間がいたはずです」という彼女の推測は、後に、思わぬ形で的中することになる。
会議が解散した後、磯川は、一人、署の屋上に上がった。夜風に当たりながら、彼はこれまでの捜査の道のりを、静かに振り返っていた。事件が始まったばかりのころ、彼は、田辺の転落を、ただの不幸な事故として、書類上処理してしまいそうになっていた。あの時、大輔が食い下がってくれなければ、この事件は、永遠に「事故」のまま、街の記憶から消え去っていたかもしれない。
磯川は、スマートフォンを取り出し、弟の亮に、短いメッセージを送った。
「今度の休み、一緒に出かけないか」
これまで、仕事を理由に、何度も先延ばしにしてきた約束だった。数分後、亮から、絵文字だらけの、嬉しそうな返信が届いた。磯川は、その画面を見つめながら、静かに笑った。




