第二十五章 美咲が知っていた
大輔たちは、三十年前の集合写真を、美咲に見せた。
美咲は、写真の中の十八人目の少女――相沢凛を、じっと見つめた。長い時間、彼女は何も言わず、ただ写真の一点を見つめ続けていた。部屋の中の全員が、彼女の言葉を待っていた。
「この子、知ってる」
その一言に、大輔は息を呑んだ。
「どこで会った?」
美咲は、少し困った顔をした。彼女にとって、時間の感覚を言葉にするのは、いつも簡単なことではない。過去の記憶は、彼女の中で、時系列に沿ってではなく、映像の断片として保存されている。
「昔。ずっと昔。……ここじゃない、施設で」
「別の施設、ということ?」
美咲は頷いた。
「あの子、いつも隅にいた。でも、いちばん、いろんなこと見てた」
磯川が、慎重に尋ねた。
「美咲さん、あなた自身も、三十年前のこの施設に、何か関わりが?」
美咲は、初めて、視線を落とした。指先が、テーブルの端を、無意識になぞっていた。
「わからない。私、昔のこと、あんまり覚えてない。でも――」
美咲は、写真の中の相沢凛を、もう一度指さした。
「この子だけは、忘れない。忘れちゃいけない気がする」
その一言が、部屋の空気を、静かに、しかし確実に変えた。
――美咲自身もまた、三十年前の"消された記録"の、どこかに繋がっているのではないか。
誰もが、その可能性を、口には出さなかった。大輔は、美咲の生い立ちについて、これまで詳しく尋ねたことがなかったことに気づいた。彼女がこの施設に来る前、どこで、どんな幼少期を過ごしていたのか――その記録もまた、驚くほど断片的だった。
大輔は、施設の古い入所記録を、職員の許可を得て確認した。美咲の入所年は、旧支援センターが閉鎖された年と、ほぼ一致していた。入所理由の欄には、「家庭環境による」とだけ、簡潔に記されていた。それ以上の詳細は、どこにも残っていなかった。
「美咲さん。もし話せる範囲でいいので、あなたが子どものころのことを、少しずつでも、教えてもらえますか」
美咲は、しばらく考えた後、小さく頷いた。
「うん。少しずつなら」
美咲は、ぽつりぽつりと、断片的な記憶を語り始めた。大きな部屋。並んだベッド。誰かが泣いている声。そして、隅で静かに座っている少女の姿。
「その子、いつも、私の隣にいてくれた。何も、しゃべらないけど……安心した」
その言葉に、大輔は、静かに胸を締め付けられる思いがした。
「美咲さん。もう一つだけ、聞いてもいいですか。あなたが、この街に来る前――もっと小さいころのこと、何か覚えていますか」
美咲は、しばらく考え込んだ。その表情には、これまで見せたことのない、深い戸惑いが浮かんでいた。
「わからない。でも、時々、夢を見る。誰かが、大きな声で、何か言ってる夢。私、その声、怖かった気がする」
「怖い声、というのは」
「わからない。でも……"忘れなさい"って、言われてた気がする」
その一言に、部屋にいた全員が、静かに息を呑んだ。もし美咲の記憶の断片が、単なる夢ではなく、実際の体験の残響だとしたら――三十年前のあの施設で行われていたことは、彼らが想像していたよりも、さらに深く、子どもたちの心に爪痕を残していたのかもしれなかった。
大輔は、美咲の手を、そっと握った。
「美咲さん。もう、誰も、あなたに"忘れろ"とは言わない。思い出したいことがあれば、いつでも、ゆっくりでいいから、話してください」
美咲は、小さく頷いた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。




