三 一年前、恋人のような2人
天暦781年 初夏
マリア16歳
リリアとアレン、二人の仲を自分の目で初めて見たのは、およそ一年前。
その日もマリアは図書管理棟に詰めていて、その帰りだった。
裏庭に面した渡り廊下を歩いていれば、窓の向こう、眼下の木陰に人影が見えた。
その時、足を止めて注視したのは、たまたまだった。
いや、もしくは、嫌な予感がしたのかもしれない。
無意識に気づいていたのかもしれなかった。
木陰のベンチに座っていたのは、妹のリリアと私の婚約者のアレンだった。
隣り合って幸せそうに微笑んでいて、すぐそこの私にはちらりとも気づかない。
お互いしか見えていない。
手すら重ねていなかったけれど、アレンが何か手振り付きで話して、リリアが楽しそうに笑う。
頬を赤らめて、仲睦まじい恋人のような2人。
少なくとも、私などより、余程。
二人の姿は幸せに完成されていて、まるで一枚の絵画のようであった。
友人の距離感でしかないのに、どうしてか、そうとしか見えなかった。
ショックだった。
その瞬間。
派手な音を立てて、手の中の本や資料が床に落ちる。
その音で私は我に返った。
そして、自分が自失して、呆然と二人を眺めていたことを、遅れて自覚した。
マリアは、溜息を堪えて、落ちた本を拾おうと膝を折った。
『治癒術のすすめ 〜応用編〜』
『症例の少ない難病・奇病辞典』
『病気と出産』
資料のタイトルがそれぞれ目について、頭の中を駆け巡る。
幸せな二人に比べて、私のなんてみじめなことだろう。
陽光の中ベンチで穏やかに日向ぼっこをしている二人に対して、私は薄暗い書庫で必死に資料を探している。
埃の匂いにまみれて、なんとか自分の不出来を治そうとする私の、なんて。
二人の裏切りに不思議と怒りは湧いてこなかった。
ただ、ただ悲しかった。
あっという間に目頭が熱くなって涙が溢れた。
ぼやけた視界でさえ見ないように目を覆って、マリアは泣きじゃくった。
嗚咽が喉から流れ出る。
半ば叫ぶようにして、マリアは崩折れた。
こんな薄暗い廊下で独り泣いていることさえ、みじめで悲しくて涙は止まらなかった。
アレンのことは好きだったわけではない。
彼との婚約はあくまで家同士の政略結婚で、恋なんかではなかった。
けれど、愛ある家庭を彼と築けると思っていたのに、裏切られた。
そう思う。
しかも、よりによって妹のリリアとだなんて。
昔はリリアのことも大好きだったのに。
色々ありすぎて、もうあの子のことを好きとは言えなくなってしまった。
嫌いではない。
でも嫌いになれたならよかった。
そしたらこんなに苦しむことはなかったかもしれないのに。
リリアは私よりずっと愛されている。
好きにはなれない。
リリアは純粋で優しくて可愛くて、すごくいい子だ。
嫌いになれなかった。こんなにもいい子を憎む姉なんて、それはなんて醜いことだろう。
私は、私だけは、私を好きでいたかった。
いっそのこと妹が嫌な子であったなら。
何度思ったか知れない。
友人から、心ない人から、2人の噂を何度も聞かされたっけ。
くだらない噂だと思うようにしていたけれど。
少なくともあの様子じゃ、思いあっていることは事実だろう。
心が軋んだ。
どうして。
どうして2人だったの?
どうして私では駄目だったの?
「私は2人を信じていますから。」
シャルメリアの娘らしく穏やかに微笑んで、何度気にしないふりをしたことか。
信じてなんかいない。
そこまで二人を信じ切ることなんかできなかった。
確かめなかったのは、時間がなかったからだ。
夢をあきらめる決心がつかなかった。
そう思った時点で、きっと私は察していたんだろう。
でも、今もう見てしまった。
完成された幸せの中にいる2人を。
妹のリリアが幸せそうに笑っているのを。
なら私は、私のすることはもう決まっている。
祝福してやらなければ。
応援してあげなければ。
きらいではないのなら。
姉妹で代わったところで、家同士の政略結婚に問題だってないのだから。
マリアは顔を上げた。
止まらない涙は袖口で乱暴に拭った。
鼻を啜る。
しゃくりあげていた喉を止めようとして、えずいてしまった。
無理矢理口角を上げる。
ほら、大丈夫。
私は笑えてる。
散らばった資料を手早く拾い上げて、マリアは立ち上がった。
窓の向こうの2人をもう一度目に焼き付けて、床をしっかり踏みしめて、歩き出した。
やることは決まっていた。
まずはお父様と話をしなければ。
そうして婚約変更に向けて、マリアが動き出したのが、ちょうど一年前のことだった。




