11話 ニコルの目覚め
ニコルはずっと、不明瞭な夢を見続けていた。
聖女ジェシカのテントでの出来事の後の事は一切わからない。
ぶっつりとすべてが途切れて、自分が死んでいたと言われても納得する。
でもいつからか、何か音のようなものや、うっすらとした何かを見たようなよくわからない感覚がよみがえってくるのが分かった。
そして、突然。本当に突然意識が覚醒した。
はじめに視界に飛び込んできたのは石造りの見知らぬ天井。
自分が寝ている寝台以外何もない部屋には、左右の窓から気持ちのいい日の光が差し込んでいる。
窓の外に広がる見事なライ麦畑が、ここが都ではなく農村地帯だと教えてくれていた。
「…ニコル…?目覚めたのか⁉」
ドアの方から声をかけられそちらを見ると、ラフな普段着姿のアーデルハイドが桶を抱えて立っていた。
しばらく呆然とこちらを見ていたかと思うと、駆け寄ってきて抱きしめられる。
駆け寄る途中で放り投げた桶の中の水をかぶったのか、アーデルハイドはほんのり冷たかった。
が、それよりもだ。下っ端神官の自分が勇者であるアーデルハイドに抱きしめられているとはどういった状況なのか。
聖女ジェシカは?賢者ルカは?大魔導士ルルは?あの後一体どうなったのだ?
「-っ!離れてくださいアーデルハイド様!ちっ、近いです!だっ、誰かに見られたら、あらぬ誤解を…」
「大丈夫だニコル。何も気にする必要はない。もうここは拠点キャンプじゃないんだ」
そういってアーデルハイド様は、私が眠っていた間の事を説明してくれた。
賢者ルカたちから、拠点キャンプでニコルが魔物におそわれて瀕死の重傷を負ったと聞かされたこと。
何とか延命処置を行い、魔王討伐の時に手に入れたアイテムを使用して私を治療したこと。
魔王討伐の褒美として田舎の領地を賜り、私とともに移住したこと。
移住先のこの地を収めながら、今の今まで私の治療に専念していたこと。
一緒に移住するために、私の今の身分は彼の妻になっている事。
聖女ジェシカは私に危害を加えたことを隠したのか、と思いつつ、そんな事よりアーデルハイドの妻という現在の自分の身分に絶句した。
「なぜそのような事を!私みたいな下っ端神官が勇者であるあなたの妻にふさわしいはずありません!ましてやずっと意識もなかった私なんてお荷物でしかないのに…なぜそのような事をなさったのです⁉」
あまりの事に問い詰める私に穏やかな満ち足りた視線を送りながら、アーデルハイドは己の秘密を打ち明けるように答えた。
「すべては俺のエゴだ。眠り続ける君を見て思ってしまったんだ。今なら君を俺のものにできると。俺は…君を愛してしまった。あのまま君を妻にしなかったら、二度と出会えない気がしたんだ。だから、無理やりに妻にしてしまった」
以前は鋭さをたたえていた彼の剃刀色の瞳が甘い光を帯びていて、彼の本気を強く感じた。
いったい自分の何にそんな思いを向けてくれたのか。ただ話を聞いていただけなのに、と混乱していると、彼が言葉を重ねてくれる。
「君はただ話を聞いただけと思っているだろうが、それは違う。君はいつでも俺に寄り添ってくれた。俺の欲しい言葉を、欲しいときにくれた。あの場の誰も…いや俺の人生の中で、たった一人以外そんな事をしてはくれなかったんだ。」
「…たった一人以外?」
「ああ。幼い頃ともに過ごした少女以外、いなかった。…でも、君があの少女なんだろう?…チビたちの面倒を見ると約束して、俺はそれを守れなかった」
息を、飲んでしまった。彼があの約束を覚えていたなんて。
ニコルを、忘れていなかったなんて。
「この領地にも孤児院があるんだ。俺たちのいたところよりずっといい孤児院にしたい。君にはチビたちと遊ぶ俺を隣で見守ってもらいたい」
――そう、俺に願っていただろ?
アーデルハイドの優しい言葉に、これ以上否と答えられるほどニコルの気持ちは強くなかった。
自分が彼の隣にふさわしい人間かどうかはわからない。
でもせっかく彼に望んでもらえたのだ。
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
私の返事に破顔したアーデルハイドの表情に、飛び切りの幸せを感じた。
その後アーデルハイドの治める領地は大いに発展し、国の首都に勝るとも劣らぬ発展をしたという。
領主夫妻はいつまでも仲睦まじく、子宝にも恵まれ、勇者だったとは思えぬほど穏やかに過ごしていたそうだ。
晩年は二人とも表舞台に姿を現すことがなく、その最期も歴史に埋もれわからなくなってしまったが、きっと幸せに過ごした事だろう。
勇者とその妻は、幸せをつかんだのである。
ニコルの物語はここでおしまいです。
次回はアーデルハイド視点のお話になります。




