第38話「運命の番」
「はあ……久しぶりにドレスを着たから、疲れちゃった……」
プラージュ伯爵邸へと滞在することになったオルレアンとネージュを歓待するため、晩餐会が開かれることになり、アマリアは久しぶりにミランダとお揃いのドレスを着た。
それは、義母セレネが外聞を気にして作らせた『外向け』のドレスだ。
デイドレスとイブニングドレスの二枚があり、逆に言えば、アマリアの身体のサイズに合わせて作られたドレスはその二枚しかなかった。
伯母オルレアンは妹が亡くなってからのアマリアの様子を、詳細に聞きたがった。父や母やそつなく答えていたが、それは嘘ばかりの酷い作り話だった。
オルレアンは、あれを聞いて、どう思っただろうか。彼女ならばきっと自分を信じてくれるとは思うものの、アマリアはそのことが心配だった。
アマリアからするとオルレアンの訪れは、救われるかもしれない唯一の機会だった。
(どうにかして、伯母様と二人で話せないかしら。邪魔されるだろうけれど、当分はこちらにいると仰っていたし、なんとかなるはずだわ……)
そこでふわっと脳裏に浮かんだ従兄弟ネージュの姿に、アマリアは慌てて首を横に振った。
彼には初めて会ってすぐに告白されたので、誠実に対応しお断りをすれば、彼はなんと面白そうに笑いはじめたのだ。
普通の感覚を持つ男性ならば好意を持つ女性にそんな事をするはずもなく、異性に慣れないアマリアを揶揄ったのだろう。そう思った。
美麗な容姿を持つ獣人に初対面で『運命の番』であると告白されるなんて、まるで、若い女の子が好んで読む恋物語のはじまりのようではないか。
(運命を信じる? ……だなんて、変なことを聞くわよね。もし、生きる道筋が最初から決まっているのなら、私がこうして苦しむことも決まっていたって……そういうこと? 馬鹿馬鹿しいわ……)
確か従兄弟ネージュは、アマリアの三つ年上のはずだ。そろそろ適齢期だろう。それに、親族とはいえ彼らプリスコット三兄弟の噂話は、王都でも何処でも良く聞いたものだ。
彼らは行く先々で女性に囲まれることになることに辟易して、夜会などにもあまり顔を出さなくなったらしいとまで噂されていたのだ。
そんなよりどりみどりであろう人がよりにもよって、アマリアに一目惚れのようなことをするなんて、どうしても信じられなかった。
手入れもろくにせず化粧っけのない顔に、つぎはぎだらけの母のお古のドレス。そっくりな容姿を持つ双子のミランダと比較したならば、日頃の肌の手入れと髪型や服装の大事さがわかろうものだ。
それに、アマリアはこの生活に、ほとほと疲れ切っていた。よろよろとした動きで衣装箪笥を開いて、脱いだドレスを吊るした。
(はあ……ドレスが汚れないようにしないと……これ一枚しかないもの)
そう思い、もしかしてオルレアンの滞在中は、アマリアはドレスしか着れないのではないかと頭を過った。
そして、なんて自分が気にすることもない余計な心配だと、苦笑いするしかなかった。
むしろ、アマリアのドレスが一枚であることにオルレアンとネージュが気がつき、家族からおかしな扱いを受けていることに気がついてくれた方が自分にとっては都合が良いのだ。
ふうっと息をついたアマリアはつぎはぎだらけのドレスに着替えると、帰りに持ってきたパンと水の入った皿を抱えて部屋の隅へと急いだ。
重たい布を上げれば、そこにはうずくまり丸まった黒い犬がいた。
「……ごめんね。遅くなっちゃって……ルー。食べて。お腹空いたでしょう」
ルーと呼んだ黒い犬は、数ヶ月前に逃げ出そうとしていたアマリアが偶然に拾った。
建物の影に倒れていて食べ物も満足に食べられないくらいに弱りきっていたので、アマリアの献身的な介護でなんとか持ち直したのだ。
ある日、双子のミランダにはこのルーと名付けた犬のことがバレてしまったのだが、黒い犬を匿っていることは、アマリアに対する脅し文句になり、彼女の理不尽な命令を聞かざるを得なくなっていた。
ルーの存在を義母や父に知られてしまえば、きっと、処分されてしまうだろう。アマリアは、それだけは避けたかった。
弱っていて段々と健康になったルーに対して、それだけの愛着が生まれていたからだ。
自分にとっては弱みになってしまったのだが、ルーが一匹でも生きていけるようになるまで守ってあげたかった。
「ふふ……ご飯たくさん食べるようになったよね。元気になったら外に放してあげるね……」
その時、ルーがまるで言葉がわかるようにアマリアと目を合わせたので、そんなわけはないというのに目を見開いて驚いてしまった。
「どうして。そんな風に悲しそうな顔をするの……? こんな暗い場所に居るのは、嫌でしょう……ごめんね。私がもっと良い場所で、匿ってあげられたら良かったんだけど……」
ルーは躾の行き届いた頭の良い犬のようで、排泄の際には開けた窓から出て行って済ませているようだ。
それ以外は、この場所で丸まってじっとしている。まるで、野生の動物が外敵から身を守るために、身を潜めているように。
「……アマリア」
いきなり背後から声がして、アマリアはひどく驚いた。本能的にルーを隠そうと、ふわふわの体に抱きつきながら振り向いた。
「な……何? 誰!?」
そこに居たのは、真白の毛の中にところどこと茶や金のまだら模様が入っている、とても大きな体を持つ雪豹だった。
アマリアはその時、自分が抱きついていたルーの身体がぶわりと膨れ上がったのを感じた。
(え……!? 何。嘘でしょ……)
いきなり部屋の中に現れた雪豹と同程度の大きさになった黒い犬は、アマリアを守るように彼女の前に立ちはだかった。
「え……? ルー……何。嘘でしょう……」
ルーは傷ついて行き倒れになっていた黒い犬で、そんな姿を見たアマリアは、どうしてもこの子を救わねばと逃げ出したプラージュ邸へと戻ったのだ。
「アマリア。気が付いて居なかったみたいだけど、それは、獣人だよ。僕と同じ獣人だ。君からやけに狼の匂いが鼻につくなと思ったら、そういうことだったのか」
「え? 獣人? 獣人? 嘘でしょう。ルーが!?」
混乱した様子でアマリアが雪豹と黒狼を見比べると、これまで吠えもせずに無言を貫いてきたルーの口が不意に開いた。
「おい……雪豹が何の用だ。お前たちは雪山を守っていれば良いだろう。アマリアに手を出すな。家族に愛されない可哀想な子だ。回復さえ済ませれば、俺がこの邸から彼女を逃す」
とてもとても低い男性の声だ。犬だと思っていたのに、流暢に喋っている。
ネージュが先ほど言った通り、アマリアが匿っていた黒い犬は、人の姿も持つ獣人だったのだ。
「それって、本当にアマリアの希望なのかな……この子は僕の運命の番なんだ。勝手はさせない」
「……アマリアが、お前の運命の番だと……? そんなはずはない」
黒い狼はネージュの言葉を聞いて、何故か戸惑っているようだ。
「どうしてだ。僕はアマリアと会ったその瞬間から、この子が運命の番だとわかった。君に休息が必要だというのなら、僕が場所を提供するよ。申し訳ないが、他の獣人が番の傍に居てもらうと不愉快なんだ……とてもね」
ネージュは言葉の通り、とても不愉快そうな声音だった。彼はアマリアを揶揄っただけのはずなのに。
「アマリアは、俺にとっても『運命の番』なんだ。お前に譲るなど……それは、絶対にあり得ない」
ルーが戸惑いながらもそう言い、それから、三者三様に無言になった。
(……もう、どういうことか、理解が追いつかない……何がどうなっているの?)
重苦しい沈黙の中で、アマリアは混乱していた。
アマリアは弱り切っていた黒い犬を匿っていた……ただ、それだけだ。家族から虐げられているので、いつか逃げようと思って居た。そこに、雪豹獣人でもある従兄弟がやって来た。
そして、雪豹も黒狼もアマリアのことを、揃って自分の『運命の番』だと言った。




