第4話 決別
壁にかけられた時計に目をやる。
「ん……朝か……」
着替えると、自室を出た。
朝日が差し込む広い廊下には、人の気配はない。
絨毯の上を歩く俺の足音が、やけに大きく聞こえる。
一階へ降りると、一人の侍従と出くわした。
侍従と目が合う。
「おは――」
挨拶をしようとした。
だが、使用人は視線を逸らす。
そして、ごく小さくお辞儀をしてそそくさと離れていった。
「おお、帰って来たなぁ……」
朝靄に包まれた屋敷の中庭。
色とりどりの花が咲き、石畳の道は綺麗に手入れされている。
通路を進み、中庭の隅へ向かう。
屋敷を囲むように植えられている木々。
その隅に生えた木の根元。
「はは、すっかり元通りになってるな」
剥き出しだった地面には、青々とした芝草が生い茂っていた。
軽く準備運動をしたあと、木の根元に立ち、目を閉じる。
手には、木剣。
親父に近づくため、諦めきれなかったから、認めて欲しかった。
だから、訓練を十年間続けた。
それも、今日で最後だ。
もう、その道を俺は歩んでない。
でも、こいつは間違いなく俺の原点だ。
だから最後に、木剣へ感謝を込めて振る。
懐かしい。
この空気。
この静けさ。
心が定まると、目を開ける。
頭上で構えた木剣を鋭く振り下ろす。
木剣を返し、逆袈裟斬りをした後、大きく薙ぎ払う。
素早く重心を後ろへ下げた。
そして、大きく踏み込みながら刺突を繰り出す。
俺は黙々と、日課の訓練に勤しんだ。
「……こんなモンか」
訓練を終える。
早朝ということもあり、気温はさほど高くはない。
ただ、やはり動き続けると汗はかく。
「おはようございます、フィレン様」
ソフィアが、綺麗に畳まれたタオルを差し出してきた。
「おはよ、サンキュ」
ソフィアから、タオルを受け取る。
訓練が終わるまで、ソフィアは待っていてくれた。
俺の邪魔にならないよう離れた場所で。
一言も喋らずにだ。
心遣いが有難い。
そう思いながらソフィアを見つめていると、
「お拭き致しましょうか?」
首を傾げ、突然変なことを口にした。
「いいっての」
「残念です」
本当に、残念そうな顔をするなって。
これは、下手に反応したらソフィアのペースだ。
気付かなかったふりをして、タオルを返す。
「フィレン様、これからどうなさるおつもりなのですか?」
「う~ん、どうすっかな? さすがに、王国から出ていくわけにも行かないし」
二年間行方不明で、母さんに心配をかけたのだ。
しばらくは、王国内で大人しくしていた方がいい。
「とりあえず、帰ってきたって顔出しに行くかな」
「かしこまりました。でしたら、私の方からルンデル商会へ面会の予約をしておきます」
「助かる。この時代だと、俺は相手にされないからな」
「お役に立てて光栄です。褒美として、頭を撫でていただくだけで結構です」
そう言うと、ソフィアは上目遣いで俺を見た。
悪戯っぽく、俺の顔色を窺う目。
でも、どこか本心で期待しているような子どもの目だった。
「そんくらいなら、お安い御用だ」
俺は優しく、ソフィアの頭を撫でる。
懐かしい。
昔は、こうやってよくせがまれた。
本当に大きくなった。
俺にとっては、一日程度の時間。
再会と呼ぶほどでもない。
でも、ソフィアは二十年待った。
二十年。
途方もない年月だ。
『嫌! 行かないで!』
ソフィアは泣きじゃくり、俺を掴んで離さなかった。
『置いていかないで!』
必死に訴えてきた。
『一人にしないでッ!』
当然だ。
大人でも未来へ帰るなんて馬鹿げてる。
子どもが理解できるわけがない。
傷を負わせてしまっただろう。
寂しい思いをさせてしまっただろう。
彼女が成長する過程を、俺は一緒にいてあげられなかった。
俺の方から歩み寄ったのにだ。
さりげなく、ソフィアの顔を覗く。
ソフィアは、気持ちよさそうに目を細めている。
本当に、大人びた。
本当に、綺麗になった。
埋め合わせはする。
一緒にいてあげられなかった分、これからは一緒にいよう。
そう思っていると、ソフィアが俺の方に顔を向けた。
彼女が動き、甘い石鹸の匂いが香る。
「では次は、熱い抱擁を――」
「調子のんな」
ソフィアの頭を、指の背で軽く小突く。
「残念です」
俺からさっと離れたソフィアは、そう言いつつも嬉しそうに笑っていた。
「もうすぐ、朝食の時間でございます。先に、お着替えをなさりますか?」
「ああ。でも、一人で着替えっから、ソフィアは厨房へ行っていいぞ。美味い朝飯、期待してっからな」
「かしこまりました」
◇◇◇◇◇
「本当に、平気?」
馬車の前で、母さんが何度目か分からない確認をしてきた。
「大丈夫だって」
俺は笑いながら、平気だと伝える。
朝食後、俺は母さんたちに城へ戻った方がいいと言った。
邪魔に思っているわけではない。
ただ、さすがに仕事が溜まり過ぎているだろうと思ったからだ。
二人が城で生活していたのは、仕事に追われていたから。
勇者、そして大魔術師として、二人には様々な仕事が舞い込む。
報告書、視察、外交、面談など多岐に渡る。
それらはすべて、ソルシア王国の安寧と発展のためだ。
それに、二人はもともと平民の出。
内政なんて、畑違い。
それでも、必死に仕事をこなしていたのだ。
でも、俺のせいで母さんは心身を疲弊させ、そして倒れた。
ソフィア曰く、屋敷内で出来る仕事はこなしていたらしい。
だがそれも、もう限界だろう。
これ以上は、母さんの立場が危ぶまれる。
これを機に、何かを企てる者が現れてもおかしくない。
「そんなに心配なら、ゾアンは残ってもいいぞ?」
親父が気遣ってか、母さんに声をかける。
「いや、本気? 親父一人で戻っても、報告書の一枚も処理できないじゃん」
俺は呆れた目を向け、ハッキリと物を言う。
仕方ない。
それができれば、母さんもここまで苦労していない。
親父は、机の前でじっとできないタイプだ。
そこを母さんがフォローして、今まではどうにかこなしていた。
「あ?」
親父は、素っ頓狂な顔をする。
やっぱり、自覚がなかったようだ。
見送りに来ていた侍従たちがどよめく。
中には、俺を睨む者もちらほら。
一人、ソフィアだけが必死に笑いを堪えている。
「フッ、フッハッハッハ――!」
突然、親父が大口を開けて笑い出した。
侍従たちに、緊張が走る。
きっと、俺が親父を怒らせたと思っているだろう。
侍従たちは、親父を『勇者』という色眼鏡でしか見ていない。
昔の俺と同じだ。
「フィレン。お前、ホントにデカくなったな!」
俺の肩を、嬉しそうにバシバシと叩いてくる。
「まだ、親父の方がデカいかな」
ここは親父を立てるべく、ちゃんと謙遜した。
ところが、親父が調子に乗る。
「あったり前よ! 天と地ほどの差があんぞ」
気を良くしたのか、親父は腰に手を当て、自分の力を誇示した。
俺は、笑顔を引きつらせる。
せっかくだから、笑って送り出そうと思っていた。
でも、癇に障った。
笑みを張り付けたまま、親父に声をかける。
「いやいや、天と地は言い過ぎだろ。せめて、地と屋敷の一階のギリ天井くらいだろ?」
今度は、親父が固まる。
そして、一歩詰め寄ってきた。
「いやいや、オメー、それはちっとばかし調子乗りすぎだろ? さっきは子どもだと思って言わなかったけどよ、実際は深海と宇宙の差だな」
俺も、一歩詰め寄る。
「うわ、懐ッ! 俺もガキの頃、そういう子供じみた言い回し言ってたわ。今じゃ、恥ずかしくて言えないけど」
どちらも譲らない。
「あ?」
「は?」
「はいはい。それくらいにして」
母さんが、「パンパン」と手を叩く。
「でも、本当に変わったわね。フィレン」
「そう?」
「ええ、それなら心配いらないわね。それじゃあ、行ってくるわね」
「いってらっしゃい」
俺は、一人で馬車に乗ってしまったノルにも声をかける。
「ノルも、体に気を付けろよ?」
だが、ノルは俺に顔も向けず、黙ったままだった。
「もう、ノルったら」
「いいって、いいって」
そうして、三人は城へ戻っていった。
三人を見送った後、俺とソフィアも早速出かけようとした。
ただ、玄関ホールには執事長が一人で立っていた。
「おや、フィレン様。お出かけですか?」
まったく容姿に変化のない執事長。
「はい。数年ぶりなので、城下町を散策しようかと」
「そうですか。ですが、また攫われでもしたら……。フィレン様が原因で、奥様がまた倒れてしまわれます。そうなれば、ソルシア王国の国益が損なわれてしまいます。もう一点、先ほどの旦那様への態度も如何なものかと……」
さり気なく、要所要所で語気を強めるのが執事長らしい。
数年ぶりに顔を合わせたが、嫌味は健在のようだ。
けど、言われっぱなしは面白くない。
「執事長」
「何か?」
「執事長は、休みは取られているのでしょうか?」
俺は無害そうな笑みを浮かべ、さらに言葉を続ける。
「いえ、ずっとこの屋敷ために働いてくださってるなと思いまして。たまには、羽を伸ばすのもいいかと思いまして。そうだ、ハイキングなんてどうでしょうか? 近々、僕も行こうと思っているんですよ」
「いえ、私は、この屋敷を旦那様より任されておりますので。休みなどは……フィレン様は、とてもお忙しくしておられますね?」
「そうですか? おすすめの山があるんですよ? ソルシア王国に近い、ヴィーナス山脈の傍の山ですよ。執事長もご存じですよね? ……そう言えば、記憶喪失になってる時、あの山にいたような気がするんですよね?」
執事長の目が、ほんの僅かに見開かれた。
「そうなのですね。もしそうであれば、ご記憶を取り戻せる日も遠くないかもしれませんね。実に、喜ばしい」
「はは、確かにそうですね」
「では、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「はい。今度は、気を付けます」
恭しく俺に頭を下げた執事長は、屋敷の奥へと姿を消した。
「よろしいのですか?」
ソフィアが、尋ねてくる。
その声は、普段よりも冷たかった。
「ん? 一人くらい俺に厳しく接する人がいた方がいい。まあ、執事長は、厳しいっていうか、目の敵にしてるけど」
「いえ、そうではなく……」
彼女が何を言いたいのかは、理解してる。
ただ、俺は別に何とも思っていない。
執事長は、俺を攫い、闘技場へ売り飛ばした者と繋がっている。
なぜ、そんな者と繋がっているのかは分かっていない。
俺を売った理由もだ。
「いいって。ま、ソフィアとか母さんに何かするようなら容赦しないけど。さ、出かけようぜ」




