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第4話 過去へ

 初めて闘技場に立ってから、二年の月日が流れた。


 この二年間で、いくつか分かったことがある。

 まずこの闘技場は、ソルシア領内にあるということ。

 入場できるのは、貴族や名のある商人だけということ。

 非合法ということ。

 常に莫大な金が動いているということ。

 名の売れた剣闘士になれば、いい暮らしが送れるということだ。


 俺は、戦いに明け暮れた。


 承認欲求(歓声)の味を覚えた心は、血に飢えた獣と化した。

 さらなる強者と対峙することに、この上ない喜びを感じる日々。

 毎日が刺激的で、笑みを絶やすことがなかった。


 ――超獣。


 超人的な身体能力と、好戦的な戦い方。

 勝利の後の雄叫び。

 素性を隠すために被せられた狼の顔をした鉄兜に因んだ呼び名。


 俺は、充実した時間を過ごせるこの場所を好んだ。

 一生を終えたいと思っていた。

 だが、戦いの日々は突然終わりを告げた。


『お前は、強くなり過ぎた』


 小太りの男――後援者《パトロン》が、重々しく告げる。


『勝ちの決まった勝負で、誰が興奮する? もう二度と、お前が戦うことはない』


 後援者はそう言うと、部屋から出て行こうとした。


『ざけんな、ちゃんと探せよ!』

『ふん、むしろ感謝して欲しいものだ。貴族どもの中には、お前の手足の一本でも切り落として、弱らせるべきなどと口にするヤツ等もいるのだぞ?』

『何?』

『だが、私は義理堅いのでな。稼がせてもらった餞別だ。このまま、この部屋も使っていい。……ただ、もうこの平和な時代に、お前が満足できる相手はいないだろうな』


 そうして部屋に籠ること、まだ三日。

 心は、限界に近かった。


 食い物は、たくさんある。

 水も、酒も。

 呼ぼうと思えば、娼婦だって。

 けど、刺激だけがない。


 一度、脱出も考えた。

 戦えないのなら、ここにいる意味がないからだ。

 だが、部屋は分厚い石壁で覆われ、扉は金庫用の頑強な鋼鉄製。

 部屋に武器は置かれておらず、道具に使えそうな物もない。

 さすがに、素手で脱出するのは俺でも無理だ。

 いや、小さな釘一本でもあれば逃げ出してみせるが……。

 結局、ベッドに横たわって一日が終わる。


「ちッ、飼い殺しかよ……」


 天井を見つめ、何度目か分からない愚痴をこぼす。


「あ~、暇で死ぬ。こんなの、俺じゃなくても無理だろ。あ~、なんか面白いこと起きねぇかな……」


 そうは言っても、何も起こるはずがない。

 ふて寝でもするかと思い、横向きに寝返った。



 ――その時だった。 



 何の前触れもなく、首元の産毛が逆立ったのだ。

 ここで、命の危機に晒された得た微細な感覚。

 俗に言う、虫の知らせだった。


 俺は素早く、ベッドの下に潜り込む。

 その直後、重々しい轟音と共に天井が崩れてきた。 


 一瞬にして、部屋の中が濃い土埃で満たされる。


「ゴホッ。面白いことって、こういうことじゃねぇっての。……まさか、コイツに感謝する日が来るとわな」


 キングサイズ。

 しかも、天蓋付きの無駄に高価なベッド。

 壊して武器にできないよう頑丈な鉄製で、床に固定されている。

 邪魔としか思っていなかったが、おかげで落石から身を守れた。


 落石が治まっても、しばらくはベッドの下で様子を窺う。

 数分後、幾分か土煙が晴れると、慎重に這い出た。


「……ん? 風」


 どうやら、天井から外気が流れ込んできているようだった。

 二年ぶりの外の空気。

 外は冬なのか、冷たい空気が流れ込んでくる。


「ま、このままここに居ても仕方ないか」


 なぜ突然、崩落したのかは不明。

 ただ、このまま半壊した部屋に居続けても何も分からない。

 最大限警戒しながら、天井に開いた穴から外へ出る。


 穴から抜け出すと、そこは山だった。


「ん? 焦げてる?」


 地面が、黒く焼け焦げていた。

 踏み締めてみる。

 炭化していて、簡単に崩れた。

 これが原因で、落石が起こったようだ。

 周囲の木々も同じ。

 葉っぱどころか、木自体が焼け焦げ、消し炭になっている。


「山火事でも起こったのか? ……ずいぶん前か」


 手で触れてみたが、熱は感じなかった。


 何はともあれ、ひとまず斜面を登る。

 見晴らしのいい頂上付近で周囲を見回すことにした。


 剥き出しの岩肌に気を付けながら登っていく。

 やがて、開けた場所に出た。


「なんだよ……これ……」


 山の麓から見える景色に、思わず息を飲んだ。



 ――地平線まで続く、焦土と化した大地。



 そこかしこで、黒煙が昇っている。

 木々も、山も、大地も、すべてが黒く染まっていた。


「一体、何が起こった……?」


 理解が追い付かないまま、呆然と変わり果てた景色を眺める。


「…………母さん、それに、みんなは……?」


 いい思い出なんて、ほとんどない。

 それでも、あそこは生まれ故郷で、家族がいる。

 何も知らないままなら、無視していた。

 でも知った以上は、無視したらアイツ等と同列になる気がした。


 拳を固く握り締め、地平を見つめる。

 俺は、ソルシア王国へ向かうことを決めた。


 闘技場へ戻り、鞄に水筒とかき集めた食料を詰め込む。

 そして、剣。

 本来、剣の所持は国の許可が必要だが、今は有事だ。

 武器庫にあった中で一番上等な剣を拝借し、山を下りる。


 地図を見つけ、周辺の地形と知ってる場所を照らし合わせた。

 今の俺が全力で走れば、二日もかからずに辿り着ける。


 焦ってはいけない。

 世界を一変させた何者かがいるはずだからだ。

 無警戒で突き進み、遭遇したら目も当てられない。

 それに、王国には勇者(父さん)がいる。

 世界最強の勇者が。


 王国を目指す道中、誰とも出会わなかった。

 だが、死体も目にしてはいない。

 これは間違いなく、良いことだ。


 二日後の正午過ぎ、俺はソルシア王国に辿り着いた。


 最後の記憶は、人々が賑い、活気立っている城下町の光景。


 しかし、目の前に広がるのは――。

 不気味なほど静まり返り、廃墟と化した城下町だった。


 焼け落ちた建物。

 無事な物は、一つも見当たらない。

 黒煙の匂いに混じって、血の匂いと饐(す)えた匂いが漂っていた。


「クソッ」


 匂いの出所は、すぐに見つけた。

 辺り一面に転がる無数の死体。

 苦悶の表情を浮かべている者、原型を留めていない者。

 東大陸一と謳われたソルシア王国が、地獄に様変わりしている。


 重い足取りで、城を目指す。


「な……」


 言葉を失った。


 幻想的だった白日ノ(ナイトクレイドル)城。

 美しかった白日ノ城は、瓦礫の山になっていた。


 地下の避難所へ向かってみたが、全員殺されていた。

 でも、違和感もある。

 死体の数は、ソルシア王国の規模にしては少ない。

 つまり、生き残った人たちが国外へ避難した可能性もある。


「国にいないとすると……メルクール大森林か」


 大勢が身を隠せる場所を思い浮かべる。

 一番近い場所だと、メルクール大森林が思いついた。

 あそこは、ヴィーナス山脈の麓でもある。

 山脈には大きな洞窟があり、身を隠せるはずだ。


 ソルシア王国を出て、メルクール大森林へ向かう。


 鬱蒼としたメルクール大森林。

 だが俺は、躊躇いなく突入する。


 深い森の中は、昼間なのに暗い。

 背丈以上の草木が、行く手を阻んでくる。

 これなら、大勢で動いても見つかりにくいだろう。


 草木を気にせず、獣道を突き進む。


「ッ、血の匂い……」


 足を踏み入れてから数分、微かに血の匂いが香った。


 足を止め、辺りを嗅ぎまわる。

 血は、古くない。

 流れて間もない鮮血の香りだ。

 足元に、血痕はない。

 足跡も、争った痕跡も。


「こっちか」


 血の匂いを道しるべに、さらに奥へ進む。


「あれは?」


 前方で、何かが光った。

 直後、小さな破裂音。

 生存者がおり、今まさに戦闘中なのだ。


 地面を強く蹴り、速度を上げた。


 そしてついに、前方の開けた場所に三人の人影を捉えた。


「母さん!」


 二人の騎士の後方、杖を構えている母さんの姿を見つけた。

 泥で汚れ、額から血を流しながらも、母さんは杖を構えている。


 杖を構える相手。

 三人の眼前に立つ、三体の存在。


 姿形は、ほぼ人間。

 唯一異なるのは、額に生えた二本の禍々しい角。

 黒い歪な角は、空気中の魔素を取り込むための器官だという。

 本で読んだ通りの特徴。

 本では伝わらなかった存在感。

 間違いない。

 あれが――、


「魔族」


 トクンッと、心臓が跳ねた。

 途端に、身体中が熱くなっていく。


 不謹慎だ。

 頭では分かってる。

 ついさっき、惨殺された王国民の亡骸を見たばかりだ。

 分かっている。

 だが、俺は強敵を見つけて喜んでしまう。


 剣を引き抜き、身を低くし、突風の如き速度で接敵する。



 ――あれは、俺の獲物だ。



 木の幹に向かって飛んだ。

 その幹を足場にし、体が重力を感じる前にまた別の木に飛ぶ。

 飛び移るたびに、足場の幹より高い位置へ足を着く。

 これで、助走の勢いを殺さずに魔族の上を取れた。


 魔族は、まだ俺に気づいていない。

 横一列に並ぶ魔族を見定める。

 どうする?

 一番強そうなのは、真ん中。

 いや、待て。

 横一列に並んでいるのなら、一撃で仕留められる。


 俺は、歯を剥き出しにして笑った。


 最後の足場(木)が折れるほど強く蹴る。

 角度は、問題ない。


 飛ぶ最中、剣を振りかぶる。

 柄は強く握らない。

 手から抜け落ちないギリギリの力加減。

 腕も脱力する。


 あと、三メートル。

 ここでやっと、端にいる魔族が俺の気配に気付いた。

 周囲を見回そうとしたのだ。


 ただ、もう遅い。


 腕を鞭のようにしなやかに振る。

 反応をみせた魔族の首に刃が触れる刹那、柄を強く握り締める。

 そして、美しい横一文字を描くように剣を鋭く振り抜く。


 俺が魔族の姿を視認してから、一分にも満たない出来事だった。


 三体の魔族は、あっけなく首を切り飛ばされて死んだ。


「ちッ」


 俺は苛立つあまり、思わず舌打ちをしてしまう。

 弱い。

 滾っていた心が、不完全燃焼のように燻る。


 魔族は本の通り、塵になった後、跡形も残らずに消滅した。


 俺は、三人の方へ顔を向ける。


 三人とも言葉を失ったまま、固まっていた。

 母さんに目をやる。

 だいぶやつれていて、髪もボサボサ。


「…………フィレン……?」


 半信半疑な声が、静かになった森に溶け込む。

 記憶よりも覇気はないが、懐かしい声だった。


 母さんは、食い入るように俺を見つめてくる。


「フィレンッ!」


 母さんが杖を手放し、俺の方へ駆け寄ってくる。

 そして、力一杯俺の事を抱きしめた。


「フィレン……フィレン……」


 母さんの頭が、腹部に埋もれる。

 いつの間にか、こんなに俺は大きくなっていた。

 服越しに伝わる母さんの暖かい涙。


「ただいま、母さん」


 俺は優しく言葉をかける。

 その声で、母さんは顔を上げた。

 泣いていた。

 でも、泣きながら母さんは笑顔を浮かべる。


「おかえりなさい」


 本当なら、再会の余韻に浸っていたい。

 だが、状況が状況だ。

 母さんを引きはがし、現状の確認を行う。


「母さん、親父は? それにノルは無事なの?」


 父さんがいて、ここまで一歩的にやられているのはおかしい。


 俺が矢継ぎ早に尋ねると、母さんが沈痛な面持ちを浮かべる。

 その顔を見て、胸騒ぎがした。


「ロキは……ロキは、死んだわ……」

「は……?」


 無意識に、気の抜けた声を漏らしてしまう。


「父さんが、死んだ?」

「それだけじゃない。ノルも、国王陛下も、セラフィーナも、エレオノーラも、アルフォンスも……みんな魔族に殺された……」


 信じられなかった。

 でも、母さんの纏う空気や態度が物語っていた。

 すべて真実だと。


「ゾアンベラ様。ご子息との再会、お気持ちは御察ししますが、この場所に長居するのは危険です」


 騎士の一人が、母さんに声をかけた。


「そうね。フィレン、ついて来て」


 多少声に覇気が戻った母さんは、俺を避難所へ案内してくれた。


 避難所とは名ばかりの洞窟。

 狭い洞窟には、大勢の人が身を寄せ合っていた。

 だが大勢がいるのに、洞窟内は異様なほど静まり返っている。


 さりげなく、通路に座っている人の顔を覗き込む。

 顔には生気がなく、瞳は闇のように真っ黒だった。

 ここにいる全員が、同じ顔をしている。

 生きてるだけで、死んでいるのだ。


「ゾアンベラ叔母様!」


 奥から、テレサが走り寄ってきた。

 記憶よりも背と髪が伸びているが、全体的に薄汚れている。


「ん? 誰ですか?」


 俺の事に気付いたテレサは、訝しむような目を向けてくる。

 あまりに無遠慮で、不躾な視線。

 そんなテレサと、俺は真っすぐに目を合わす。


 恐れも、気後れもない。

 むしろ、郷愁を抱くほどだった。


「フィレンよ。男前になってるから気付かなかったでしょ?」


 母さんは、何故か誇らしげに俺のことを紹介する。


 その途端、周りにいた騎士たちが驚いた表情を浮かべた。


「そうですか」


 ただテレサだけは、正体が俺だと分かった瞬間に関心を失った。

 それが本当に彼女らしく、思わず心の中で感嘆する。


「ちッ」


 テレサに睨まれ、舌打ちされる。


 ……声に出していたようだ。

 今までずっと一人でいた弊害だ。

 どうやら、独り言が多くなってしまったようだった。


「それでね、テレサ。実は、あなたの変わりにフィレンに行(・)っ(・)て(・)も(・)ら(・)お(・)う(・)と思うの」


 母さんは、テレサに向かってそう言った。


 会話についていけない。

 行ってもらう?

 まったく、母さんの言ってることの意味が分からない。


「ねぇ? 母――」


 母さんに、何の話なのか聞こうとした時だった。


「待ってくださいッ!」


 突然、テレサが金切り声を上げたのだ。

 その表情は、冷静沈着な彼女らしからぬほど感情的だった。


「何を言ってるんですかッ? これは、人類の未来がかかっているんです。それを、こんな玉無しに託すなんて。考え直してくださいッ!」


 テレサだけじゃない。

 彼女の後ろにいる騎士たちも俺のことを睨んでくる。


 ただでさえ重苦しい空気が漂う洞窟。

 そこに、一触即発の殺伐とした空気が漂い出す。


 まだ状況は理解できてないが、このままでは危険だ。

 俺は思い切り掌を叩き、強制的に空気を変えた。


 洞窟内に響く、拍手の音。


 虚を突かれた騎士たちは固まり、殺気を霧散させる。

 俺はその隙に、畳みかけるように言葉を紡いだ。


「取りあえず、全員落ち着け。ここで俺らが揉めたら、パニックが起こるぞ? それと、母さん。さすがに意味が分かんないから、詳しく教えてくれる?」

「そ、そうだったわね。実は今、ある魔術の準備を進めているの」 

「ある魔術?」

「そう、私たち人類の最後の希望――過(・)去(・)へ(・)渡(・)る(・)魔(・)術(・)よ」


 俺は、今日何度目か分からない衝撃を受けた。


「誰かが過去へ渡って、伝えるの。魔族は、ずっと人類が弱体化するのを待っていたことを。決して、武術や魔術の継承を途絶えさせてはいけないことを」


 母さんの話を聞いて、状況が掴めた。

 ソルシア王国は、魔族に対抗できなかったのだ。

 勇者(父さん)の一言で。


「でもそれって、どうやって信じさせるの? 『未来から来ました』なんて言っても、笑われるか、相手にされないかのどっちかじゃない?」

「あれよ」


 俺の疑問に、母さんは机の上に置かれた一冊の手記を指差す。


「あれには、あの時代にはまだ発見されていない鉱脈の場所、王国の内情、開発されていない魔術や魔道具が記してある」

「なるほど。それを使って、説得するってわけか」


 荒唐無稽だった話に、一縷の可能性が出てきた。

 だが、まだ問題はある。


「あとはどうやってそれを伝えるか、か……」


 一国民に伝えても意味がない。

 伝えるならば、意思決定権を持つ者。

 最低でも、謁見の権利を持つ上級貴族か宰相。

 出来れば、国王陛下本人に伝えるのが望ましい。


    俺の呟きに、母さんも重々しく頷く。


「その通りよ。だから、過去へ渡ったら自力でどうにかしなくちゃいけない」

「母さんは? 母さんなら勇者パーティーだし、伝えられるんじゃない?」

「無理なの。同じ世界線に、同一人物は一人まで。あの時代に既に存在してる私は行けない。だから、テレサに頼もうとしてたの。この子の知識で、国王陛下に進言ができるほど名を上げて、それで……――」


 途中から、母さんの声が耳に入ってこなかった。

 母さんは確かに言った。

「名を上げる」と。

 大戦時には、全盛期の父さんと母さん、勇者パーティーがいる。

 死地を越えた猛者や、歴史に名を刻んだ魔族も。


 胸が高鳴ってしまう。

 心が躍る。

 戦いたい。

 そんな歴史上の猛者たちと。


「分かった、玉無し! お前が過去へ渡ったところで無駄なの! だから『私が行く』――」


 まだ見ぬ強敵に、昂っていた。

 テレサは、その機会を奪おうとした。

 目の前にある御馳走を、取り上げようとした。

 だから俺は――、


「しゃしゃんな!」


 咄嗟に、テレサへ殺気をぶつけてしまった。


「あ、いけね」


 すぐに冷静さを取り戻し、殺気を消す。


「大丈夫か、テレサ?」


 テレサは口を固く結び、顔からは表情が抜け落ちていた。

 そればかりか、その場にへたり込んで顔を伏せてしまう。


「いや、悪い。別に、悪気はなかったんだ。ただ……その、つい……」


 この場で「俺は強いヤツと戦いたい!」などと言える訳もない。

 ただ上手い言い訳も思いつかず、俺はあたふたしてしまう。


 そんな中、テレサの肩が小刻みに震え出した。


「……テレサ?」


 恐る恐る顔を近づけける。

 すると突然、テレサが勢いよく顔を上げた。


「いい……」


 テレサの顔は、なぜか紅潮していた。


「すぅう……」


 見なかったことにしよう。


「母さん、俺が行くよ」

「無視するの?」


 母さんが、呆れた顔をしながら指摘してくる。


 だが経験上、この手の反応をするヤツは無視するのが一番。

 俺は、闘技場でそう学んだ。

 ……そういえば、ア(・)イ(・)ツ(・)は生きてるのか?

 面倒だが、いれば戦力にはなる。


「フィレン、本当に変わった……ううん、違うわね。ずっと変わってたのよね? そのことに、ただ私たちが気付かなかっただけ。フィレン、ごめんなさい。気付いてあげなくて……ごめんなさい、あなたに辛い思いをさせて、それにまた重荷を背負わせて……」


 母さんは、悲しそうな、悔しそうな顔をしながら涙を流す。


 もう、過去のことだ。

 昔のこと。

 でも、心が僅かに軽くなったような気がした。


「母さん。あの過去があっての今の俺だよ。過去の全部をひっくるめて血肉にして成長したんだ。むしろ、今は感謝してるぐらいだよ。だから母さんも、後悔しないで。それに、俺は父さんと母さんの子だ。二人が救ったように、俺だって世界を救ってみせるよ」


 俺は、力強く笑ってみせた。


「フィレン……」


 母さんの目が揺らぎ、その後、今度は嬉しそうに涙を流す。

 俺は母さんから視線を外すと、騎士たちへ歩み寄る。


「ソルシア王国の騎士たちよ。たとえ国は滅んでも、貴方達は今尚誇り高き騎士だ」


 一度、言葉を切る。

 そして、一人一人と目を合わせる。

 みんな、この状況でも目に光が宿っている。

 頼もしい。

 俺は、深々と頭を下げた。


「どうか、母さんと国民を守って下さい」


 誰もが身動ぎ一つせず、この場が静寂に包まれる。


「頭をお上げください、フ(・)ィ(・)レ(・)ン(・)様(・)」


 厳かな声が響き、俺は顔を上げた。


「貴方様の命(めい)、しかとお受けいたしました」


 騎士の一人がそう口にした途端だった。

 周囲にいた騎士たちが剣を抜き、天に掲げた。

 それは、ソルシア王国の騎士が誓いを立てる際の所作。


「「「「この命に代えてもお守りします、フィレン様!」」」」


 こんな最悪な未来、俺が必ず変えてみせる。


 こうして俺は、過去へと旅立った。

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