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第3話 呪縛を噛み千切った獣

「…………ん」


 錆びた鉄の匂いが鼻につく。

 体が冷たい。

 平らな石の上に横たわっているようだ。

 ひどく頭が重い。

 頭を動かすと、「ガリガリ」と金属の擦れる音がした。


 ゆっくりと、目を開ける。


 薄暗い。

 空気が淀んでいるのか、息苦しい。


「ん?」


 何かに視界を遮られていて、目の前が狭い。

 触って確かめると、冷たい物体に頭全体が覆われている。

 どうやら、鉄製の兜を被せられているようだった。


「目が覚めたか」


 後ろから、男の声がした。


 途端に、記憶が一気に蘇る。

 城の中で罠に嵌められ、僕は何者かに攫われたのだ。


 体を起こして、声のした方へ振り向く。


 小さな明かりに照らされた、小太りの男。

 知らない男。

 身なりはいい。

 貴族――いや、佇まいからして商人だろうか。


「ここはどこだ? お前は、何者だ?」


 男に尋ねながら、ゆっくりと後ずさる。

 枷はされていない。

 だが、男の後ろには大柄な男が二人もいる。


「ふむ、本当に何も知らないのだな」


 男は、顎髭を撫でながら呟く。

 その顔は、どこか面白がっているように見えた。


「僕を攫って、どうするつもりだ?」


 この部屋は狭く、もう壁際までたどり着いてしまった。

 背中を壁に密着させ、さらに男へ問いかける。


 少しでも多く情報を聞き出し、時間を稼ぐ。

 そうすれば、きっと父さんが。

 父さんが……。


「フッ、馬鹿を言うな。貴様の命など、何の価値もない」


 男は、僕を見下ろしながら鼻で笑った。


 いつもの嘲笑。

 いつもの侮辱だった。


 なのに――、


 男の鋭利な言葉が、僕の心に深く突き刺さった。


 体が一気に熱くなる。 

 熱に煽られるように、男を睨みつけた。


 僕の視線に気づいたのか、男は僅かに目を見開き、意外そうな顔をする。


「ほう、『失敗作』も人並みの感情を持っているのだな。ならば、自ら価値を証明してみせろ」


 直後、男の奥にある壁が動いた。

 違う、壁じゃない。

 門だ。

 重々しい音を鳴らしながら、門が上へせり上がっていく。


 薄暗い部屋に、眩い光が差し込む。


「なんだ……?」


 開閉音に紛れて、違う音が聞こえる。

 声だ。

 大勢の。

 割れんばかりの叫び声が、光の向こうから聞こえてくるのだ。


 戸惑っていると、控えていた大男たちが僕に近づいてきた。


「出ろ」


 大男の一人が、ぶっきらぼうに声をかけてくる。

 僕は、指一本動かせなかった。


「ちっ」


 痺れを切らした二人は、僕の両脇を抱える。


「あ……」


 二人はそのまま、僕を光の方へ投げようとした。


 投げられる直前、小太りの男が餞別とばかりに僕に言葉をかけてくる。


 剣を握れ。

 戦え。

 そして、勝て。

 できなければ、死ね。


「何を――」


 言い切る前に、僕は思い切り放り投げられた。


 薄暗い部屋とは打って変わり、煌々とした光に照らされる。

 思わず目を細める中、地面が近づく。

 慌てて受け身を取り、地面の上を転がる。


 体が止まると、恐る恐る顔を上げた。


「さあ、次の試合だぁッ!!! 名前不明! 素性不明! 不明尽くしの鉄兜少年の登場だぁ!!!」


「「「「おおおぉぉーーー!!」」」」


 鼓膜を震わす大歓声が響き渡る。


 見渡す限り人、人、人。

 活気と殺気を振りまく群衆で、埋め尽くされている。


「闘技場……」


 僕がいるのは、円形闘技場だった。


「対するはぁああ、血の貴公子ぃい! ビリエルッ!」


 拡声器を持った男が宣言すると、向かいの門から一人の男が歩いて出てきた。


 二十代前半くらいだろうか。

 赤茶髪をオールバックにし、赤いジュストコールを着用している。

 腰には、柄に鳥の彫刻が施された一本の細剣《レイピア》を下げていた。


 次の「試合」という言葉。

 頭は、すでに理解している。

 体も。

 口の中が乾き、鼓動が早まる。

 それでも心だけは往生際が悪く、万に一つの可能性を手放さない。


「おい」


 大男の一人が、鞘に納められた直剣を僕の前に投げて寄こした。


「両者出揃ったぁ! 決闘開始だぁ!!!」


 宣言がなされると、ビリエルが僕の方へ歩み寄ってくる。


 歩きながら引き抜かれる細剣。

 天井から降り注ぐ光を反射し、刀身が冷たく輝く。


 寒気がし、全身の産毛が逆立つ。


 僕は膝立ちし、ビリエルに向けて両手を突き出す。


「ちょっと待ってください!」


 力の限り叫ぶ。


「僕は、殺し合いなんてしません! 無理矢理ここに連れてこられたんです!」


 正直、何を言ったかほとんど覚えていない。

 たぶん、必死に叫んだんだと思う。

 群衆の目も気にせず、必死に。


 ふと、我に返った。

 音が止んでいるのだ。

 あれだけ騒がしかった闘技場が、不気味なほど静まり返っていた。

 まるで、世界が止まってしまったかのようだった。


「ふざけんじゃねぇぞッ!!」


 どこからか響いた野太い怒号。


「降参だぁ? んなモン、この闘技場にはねぇんだよ! 勝って生き残るか、負けて死ぬかだぁ!」


 実況者も続く。

 その瞬間、世界は息を吹き返す。

 罵倒、怒声、不満。

 無数の悪意が、一斉に僕に降りかかる。


「おいおい、何も知らずに円形闘技場《ここ》に来たのか? ……ははん、さてはお前、売られたな?」


 ビリエルは、納得した顔をする。


「ったく、仕方ねぇな。こんなクソ溜めみたいな場所に売られるなんてよ、お前もツイてないな」


 戦わずにいると、客席が騒がしくなる。

 そのどれもが、罵声だった。


「ちッ、甲斐性のないヤツ等だ。……ほら、とりあえず立て」


 ビリエルが、手を差し出してくる。


 僕は、混乱したまま差し出された手を見つめた。

 顔に似合わず、ビリエルの手はゴツゴツとしている。


 どれぐらいぶりだろう。

 両親以外に、優しく手を差し出されたのは……。


 気が付くと、僕はビリエルの手を取った。


 その瞬間、僕の手が痛いくらい強く握り締められる。


 痛みに顔を歪めた直後、右太腿に激痛が走った。


「ああああ!」


 右太腿に深く突き刺さった剣先。


 顔を上げると、醜く口角を吊り上げたビリエルと目が合う。


 細剣が引き抜かれ、鮮血が飛び散る。


「ヒャッハッハ! おめでたいなぁ。助けてもらえると思ったか、ばーか」


 ビリエルは笑みを浮かべたまま、今度は左太腿に細剣を突き刺した。


「がああああ!!!」


 全身から、汗が噴き出す。

 刺された箇所が熱い。


 ビリエルは、突き刺した細剣を奥へ奥へと力任せにねじ込んでくる。


「もっとだ、もっと鳴け!」


 剣が骨に当たっているのか、太腿から「ゴリゴリ」と音がする。


 勝手に目から涙が溢れ出し、僕は大口を開けて叫ぶ。


「ああああー!! 痛い! 止めてッ!」


 だが、ビリエルは止まらない。

 それどころか、僕が叫べば叫ぶほど愉快そうに笑うのだ。


 痛みのあまり、視界が明滅する。


「あああああ!!!」


 細剣が、勢いよく引き抜かれた。

 途端に、太腿から大量の血が流れ出す。


 痛い。熱い。苦しい。怖い。

 でも、逃げ場はどこにもない。

 奥歯が「ガタガタ」と音を鳴らし、指先が震え出す。

 心臓の鼓動は馬鹿みたいにうるさいのに、体の芯は凍えるように寒い。


 傷口を手で押さえるが、血は止まらず、辺り一面が真っ赤に染まった。


「ビリエルが対戦者の足を刺したぁ! 鉄兜の少年を逃がさないつもりだッ! また、お得意の殺戮ショーが始まりそうだぞぉ!!!」


 地面を踏みしめる音がした。


 恐る恐る顔を上げると、醜悪な笑みを浮かべるビリエルと目が合った。


「いい音色で鳴くな。けど、まだだ。まだ、足りない。俺とお前で、もっと美しい調べを奏でよう」 


 血に染まった刃は、僕の右肩を突き刺す。


「ああああ!」


 細剣は引き抜かれ、もう一度、同じ個所を正確に突き刺す。


 全身に、稲妻のような衝撃が走る。

 同じ傷口を広げられるのは、それまでとは比べものにならない激痛だった。


 あまりの痛みに、意識が飛びそうになる。


 周囲の音が遠くなっていく。


 今度は、色だ。


 視界に映るすべてが、白くなる。


 痛みも感じなくなってきた。


 このまま、死ぬのかもしれない。


 いや、間違いなく死ぬ。


 でも、いいのかもしれない。


 生きてて何になる?


 誰からも認められず、人目を避けて生き続ける日々。


 地獄じゃないか。


 父さんや母さん、ノルだってみんな、僕がいなくなって重荷が一つ下りるんだ。


 だって僕は、理想の勇者の子に成れなかった『失敗作』なんだから。


 相応しい最後。






 ――ふざけるな。


 心臓が、ドクンと脈打つ。


 もう一度。


 さらに、力強く。


 脈打つたびに、全身が燃えるように熱くなっていく。


 失敗作だから、死ぬ?


 死ぬのが、相応しい?


 こんな場所で?


 ふざけるな。


 生き方どころか、死に方すら僕には選ぶ権利がないのか? 


 僕は、一体何なんだ?


『勇者の子』


 違う、僕は僕だ。


『失敗作』


 違う、僕は僕なんだ。


 僕が間違っていると言うのなら、そのすべてを僕が否定してやる。


 心を雁字搦めにしていた自制心の鎖。


 子どもの頃は、もっと細くて、軽かった。

 それが今や、縄のように太くて、重い。



 自制心という鎖を、自らの意思で噛み千切る――。



「あ?」


 ビリエルは、観客を煽っていた。


 僕は膝立ちをし、立ち上がろうとする。


「させるかよ」


 僕の動きに気付いたビリエルが、顔面に向かって前蹴りを繰り出してきた。


 遅い。

 いや、視界に映るすべてが止まって見える。

 どうしてだろう。

 体が軽い。


 ビリエルの足首を掴む。


「何ッ?!」


 足を掴まれるとは思っていなかったのか、ビリエルが一瞬硬直する。


 僕は左手一本でビリエルを振り回し、投げ飛ばした。


「な、な、なんだ、今のはぁ! 死に体だった鉄兜の少年が、腕一本でビリエルを投げ飛ばしたぞぉ!!!」


 闘技場がどよめく中、僕は目の前に転がっている剣を手に取った。

 剣を支えにして、ゆっくりと立ち上がる。


 走るのは、無理。

 それどころか、歩き回ることも難しい。

 右腕も同じ。

 動かせるのは、利き手ではない左腕だけ。


 なのにどうしてだろうか、不思議と恐怖心も絶望感もない。

 むしろ、心は晴れやかだった。


 剣を右わきで挟み、静かに引き抜く。


 銀色に輝く刀身。

 真剣を手にするのは、二度目。

 一度目は、子どもの時。

 その時は、剣の重さに命の重さを感じてしまい、怖かった。

 でも今は、何も感じない。


「貴様!」


 ビリエルが、僕の正面に立つ。

 さっきまでの笑みは消え、眉間に深い皺を寄せ、目も血走らせている。


「死ね!」


 今までのようないたぶる攻撃ではなく、僕を殺そうと繰り出された刺突。


「……おせぇ」


 直剣を振り下ろす。


 銀色の軌跡を描いた直剣は、ビリエルの細剣を半ばのところから叩き折る。

 折れた刃先が回転しながら宙を舞い、地面に突き刺さった。


「…………へ?」


 一拍の間を置き、ビリエルが気の抜けた声を漏らす。


「ありがとう」


 僕は、ビリエルの目を見つめながら感謝の言葉を告げた。


「初めてが、お前で良かった」


 相手がビリエルだったから、迷わずに済む。

 敵国の人間は当然として、きっと盗賊でも躊躇しただろう。

 無理やり連れて来られた人だったら、結果は違っていたかもしれない。

 場所も良かった。

 生きて出るには、勝つしかない。


「さようなら」


 僕は、躊躇いもなくビリエルを斬り殺した。

 憧れた勇者の剣じゃない。

 僕の剣で。


 仰向けに倒れたビリエル。


 静まり返る闘技場。


 最初に我に返ったのは、実況の者だった。


「大番狂わせだぁ!!! 勝ったのは、鉄兜の少年!!!」


 実況の声が響くと、観客たちが一斉に沸き立つ。


 止まらない歓声に、闘技場全体が揺れる。

 巨大なうねりとなった喝采は、すべて僕だけに向けられていた。

 ここにいる全員が、僕だけを見ている。


 圧倒された。

 肌にぶつかる賞賛の嵐に。


 体が震えた。

 この心地よさを、もっと求めて。

 心が、激しく燃え盛る。


「うぉおおおおおおおおおおおおォ!!!」


 力の限り、雄叫びを上げた。


 僕は――いや俺は、ここで生まれたんだ。

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