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第3話:冷えたサーバー室、黒い帳簿の計算式

共有サーバーの深部から引きずり出されたそのPDFファイルは、行政文書特有の無機質な明朝体で埋め尽くされていた。


だが、そこに並んでいる文字列の「意味」が脳に染み込んできた瞬間、渡辺の額から引いていったはずの汗が、別の冷たさを持って再び噴き出した。


サーバーラックの青いLEDが、暗薄い地下室で渡辺の顔を規則的に点滅させている。


『目的:団塊の世代後期高齢化に伴う、地方自治体財政の自律的防衛、および次世代リソースへの強制還流』


「……強制、還流?」


渡辺はマウスのホイールをスクロールした。指先が微かに震え、カチカチと乾いたプラスチックの音がコンクリートの壁に反響する。


ページをめくるごとに、精緻な折れ線グラフと、億単位の数字が並ぶそろばん勘定の表が現れた。


通常の統計予測なら、ここにあるのは「今後の高齢化に伴い、我が市の介護給付費はこれだけ増大するため、これこれの抑制策が必要である」という、退屈な未来の警告のはずだ。財政課に配属されてから、渡辺はそんな書類を腐るほど見てきた。


だが、このファイルに書かれているのは「予測」ではなかった。

明確な『意思』を持った、逆算のタイムラインだった。


グラフの一本は、東桜市内に住む75歳以上の高齢者の人口曲線。それは今年、2026年をピークにして、まるで崖から突き落とされたかのように直角に近い角度で急降下していた。


「おかしいだろ、これ……」


日本の平均寿命、そしてアルツハイマー型認知症を発症してからの平均余命は、通常であれば「約8年」と言われている。発症しても、適切なケアを受ければ老人はすぐには死なない。数年から十数年かけてじわじわと生き続け、その間、莫大な医療費と介護報酬が国庫と自治体の財政を削り続ける。それが、この国の積み残した最大の宿題のはずだった。


しかし、このシミュレーションのグラフは、その「8年」という生物学的な時間を完全に無視していた。

スクリーニングに掛けられた老人が、相模湖の「モデル特区」へ移送された後の平均在籍期間の欄には、冷徹なフォントでこう型押しされていた。


【特区内想定滞在期間:1.2ヶ月(看取り完了目標)】


1.2ヶ月。わずか50日足らず。

物忘れが始まっただけの元気な老人が、そこに入った途端、2ヶ月持たずに「処理」されるという計算。


「何をやったら、こんなスピードで人が死ぬんだよ……」


渡辺の背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。

さらにその下に並ぶのは、その「急速な代謝」によって東桜市にもたらされる、具体的な財政的メリットの試算表だった。


『① 1人あたりの生涯介護・医療給付費の圧縮効果:平均2,400万円』

『② 死亡に伴う相続税の早期発生、および不動産流動化による市税収入:年間約〇〇億円』

『③ 浮いた社会保障予算の「少子化・子育て支援枠」への即時スライド原資:年間〇〇億円』


それは、高齢者の肉体を極限まで高速で燃焼させ、その灰の中から「次世代の財源」を1円単位で絞り出すための、国家的なハッキング・マニュアルだった。


テレビのニュースで、笑顔の政治家が「子供は国の宝です。少子化対策の財源は、既存の予算をハックして、増税なしで確保しました!」と胸を張っていた。

その「ハック」の正体が、今、渡辺の目の前の液晶画面で、ドロドロとした血の匂いを放っている。


あの窓口で、素直に「お得だから」と青い紙にサインをした佐藤清。

彼は、健康になるために相模湖へ行くのではない。

この美しい折れ線グラフの帳簿を綺麗にするために、肉体と資産のすべてを国庫という名のまな板の上で「出荷」されるために、自分の手で万年筆を握らされたのだ。


「これ……俺がサインさせたんだぞ……」


渡辺は自分の右手のひらを見つめた。じっとりと湿った手のひらが、急に他人のもののように恐ろしく感じられた。


その時、地下室の静寂を破って、渡辺のポケットの中でスマホがけたたましく振動した。


「うわっ!」


短い悲鳴を上げてスマホを取り出す。画面に表示されたのは、先ほど窓口の奥で一緒に話をしていた、財政課の直属の上司の名前だった。

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