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第14話:第三ボイラー室、逆流するファクト

重い防錆塗装の鉄扉を、燈馬は摩擦音すら立てずに数センチだけ押し開けた。


第三ボイラー室。

かつて刑務所全体の暖房を賄っていたであろう巨大な円筒形のタンクが、暗闇の中で巨大な怪物の死骸のように横たわっている。だが、その配管の隙間に強引に増設されていたのは、場違いなほど最新鋭の、静かにハミングするブレードサーバーのラック群だった。


液晶のインジケータが、青と緑の冷たい光を暗闇の床に規則的に走らせている。シャバの猛暑を遮断する、極限まで冷やされたエアコンの冷気が、燈馬の濡れたジャケットの表面をパリパリと凍らせていくようだった。


「……ここか」


燈馬はサーバーラックのコンソールへと滑り込み、背中のビジネスバッグからノートPCを引き出した。接続ケーブルをサーバーの物理ポートに力任せに突き刺す。


『外部アクセスを検知。セキュリティ認証を要求します』


無機質なシステムメッセージが、燈馬の中古PCの画面に立ち上がる。


「25年、この業界の泥水に浸かってんだ。役所のシステム(そろばん)の裏口くらい、耳かき一杯の報酬単価の計算より簡単なんだよ」


燈馬の右指が、狂ったような速度でキーボードを叩いた。

彼が引き抜いた東桜市の『代謝シミュレーション』の暗号化キーを、府中のメインフレームのルートに直接ぶつける。これは、シャバの役所と塀の中の実験場を繋ぐ、国家ハックの「血の導管」そのものだ。


一瞬、画面が激しくグリッチを起こし、次いで、真っ黒なフォルダの山がドロドロと展開された。


『厚労省・内閣府特定区域推進委員会:極秘合意書』

『株式会社ハイパー・ライフケア(九条)への給付費不正還流スキーム』

『Aβ-Direct-026 臨床投与成績(第1ロット〜第12ロット:計1,420名)』


それは、大衆の目が1ミリも届かないこの場所で積み上げられた、本物の「大量間引き」の契約書だった。

1.2ヶ月というタイムラインで老人の寿命を圧縮し、発生した相続税と浮いた医療費を少子化財源へと自動で流し込む。そのスキームの裏で、九条のベンチャーが莫大な「出来高」の介護報酬を国庫から合法的に引き抜くという、完璧なマネーロンダリングの全容。


「……見つけたぞ」


燈馬はマウスを握る手に血を滲ませながら、全データを自身のローカルストレージへ一括ダウンロード(ミラーリング)し始めた。プログレスバーがじわじわと進む。50%……65%……。


「そこまでだ、燈馬主任ケアマネジャー」


暗闇の奥から、乾いた声が響いた。

サーバーのファンが発する低い駆動音に混ざって、コツン、コツンと、革靴の音が近づいてくる。


ボイラーの影から現れたのは、仕立ての良いスーツに身を包んだ若い経営者――九条だった。その横には、東桜市役所の財政課の若手、渡辺が、魂の抜けたような目でタブレットを抱えて立っていた。


「わざわざシャバの包囲網を破って、地獄の原点まで来てくれるなんてさ。やっぱり一匹狼の現場主義者は、行動の logicロジックが読みやすくて助かるわ」


九条は楽しげに肩をすくめ、胸ポケットから、あのオンライン面会で佐藤の顔を加工していたシステムのリモコンを弄んだ。


「九条……。お前、介護保険が始まった25年前、現場の人間がどんな思いで老人の尊厳を守ろうと泥を這い回ってきたか、知りもしねえで、よくもこんなコンベアベルトを作ってくれたな」


燈馬はキーボードを叩く手を止めず、冷徹に九条を睨みつけた。


「尊厳? 何それ、いくらになるの?」

九条は吐き捨てるように笑った。

「そんな綺麗事で、あの分厚い団塊の世代ブロイラーの医療費が払えると思ってんの?

社会保障の財布はもう空っぽなんだよ。25年前にあんたたちが作った介護保険は、ただの『持続不可能なファンタジー』。それをさ、俺たちの最新のAIハックと、この渡辺くんたちお役人の『血のそろばん』で、現実的なタイムラインにランディング(着陸)させてあげてんの。

老人はテレビの言う通りに自民党に票を入れて、AIの笑顔で家族を安心させて、2ヶ月持たずに奇麗に消える。これ以上のwin-winウィンウィンなグランドデザイン、ある?」


九条の後ろで、渡辺がうつむいたまま、掠れた声で呟いた。

「燈馬さん……。そのデータをシャバに持ち出しても、誰も喜びませんよ。現役世代はみんな、心の中では分かっているんです。老人が早く消えてくれないと、自分たちの未来がないって。……システムは、もう止まらないんです」


「止まらねえなら、俺がレールごと爆破してやるよ」


カチリ。


燈馬の指が、エンターキーを強く叩いた。

PCの画面に『ダウンロード完了。P2Pゲリラネットワークへの自動分散放流を開始』の緑色の文字が、不気味に、だが力強く輝いた。


九条の目が、初めて焦燥に大きく見開かれた。

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