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第13話:地下の冷気、モルモットたちの残響

鉄扉が背後で重く閉まった瞬間、豪雨の轟音は遮断され、鼓膜を圧迫するような絶対的な静寂が燈馬を包み込んだ。


「……冷え切ってやがる」


闇の中で吐き出した息が、白く濁って消えた。5月のシャバは狂ったような猛暑だというのに、この府中刑務所・旧医療区画の地下は、まるで遺体を安置するための巨大な冷凍庫のように冷え切っていた。カビ臭い空気の奥から、ツンと鼻を突くのは、高濃度の塩素消毒液と、人間の生々しい排泄物の匂い――介護現場の最底辺で、燈馬が25年間嫌というほど嗅ぎ続けてきた、あの「死の直前の匂い」だ。


スマホのライトを最低光量で点け、足元を照らす。

コンクリートの床には、何台ものストレッチャーが激しく行き来したのだろう、黒いタイヤの痕が何本も、ドロドロとした一本の線のように奥へと伸びていた。


壁のプレートには、掠れた文字で『第一医療区画・重度認知症囚人病棟』と書かれている。


燈馬は痛む左肩を壁に預け、足音を殺しながら、黒木が言っていた『第三ボイラー室』を目指して歩を進めた。

細い通路の両側には、鉄格子のはめ込まれた重い扉が等間隔で並んでいる。かつては老囚人たちが押し込められていた独房だ。


ふと、その一つの覗き窓にライトの光がかすめた。


「……!」


燈馬は思わず息を呑み、足を止めた。

独房の中、冷たいコンクリートの床の上に、何かが「転がって」いた。


それは、衣服をすべて剥ぎ取られ、配管のパイプに両手両足を太い結束バンドでガチガチに拘束された、団塊の世代の老囚人の肉体だった。肉は極限まで削げ落ち、肋骨が浮き出た胸が、浅く、不規則に上下している。

その腕に突き立てられた太い注射針の先。そこには、新橋の居酒屋で拓也が言っていた、あの『黒いラベルのアンプル』が、暗闇の中で鈍い光を放っていた。


『治験薬:Aβ-Direct-026(高濃度アミロイドβ直接投与製剤)』


老囚人の目は異常なほど見開かれていたが、その瞳の奥には、光を捉える機能はもう残っていなかった。焦点はどこにも合わず、口元からはダラダラと不自然な涎が垂れ流されている。

彼はもう、自分がなぜここにいるのか、自分の名前が何なのか、呼吸の仕方すら忘れかけている。


「黒木が言っていた通りだ。シャバのケアタウンでやってる『出荷』は、ここで完成された実験データそのものだ……」


法律の光が1ミリも届かない塀の中。身寄りもなく、死んでも誰も文句を言わない老囚人をモルモットにして、国は「1.2ヶ月で脳を確実に破壊し、心停止に至らせる」新薬の投薬レシピを完璧に完成させていたのだ。


そして今、このシステムは『特区』という名の綺麗な皮を被り、シャバの佐藤清を、そして一億人の高齢者を次の獲物として待っている。


ガタ、と通路の奥で、不自然な機械の駆動音が響いた。


「――システムログの同期を確認。第13ロット、処理完了。死亡診断書(心不全)の自動生成を開始します」


暗闇の奥から聞こえてきたのは、感情を完全に消去したAIの音声、そして、衣服の擦れる静かな足音だった。


燈馬はライトを消し、隣の空の独房の影へと滑り込んだ。

通路を通り過ぎていくのは、首元まで隙間なくボタンを留めた「白いガウン」を着た二人の医師。その手には、役所の青い隔離書類と、あの相模湖の施設で佐藤清の顔を映し出していた、ディープフェイク用の『オンライン面会管理端末』が握られていた。


「次のシャバの被験体、佐藤清の脳データ、リップシンクの学習完了率は98%です。家族への配信映像は、明日から完全自動(AI)に切り替わります」


「よろしい。財政課の渡辺から、燈馬の身柄拘束の承認も下りた。網をこれ以上広げられる前に、すべてのノイズをここで『代謝』させるぞ」


男たちの冷徹な対話が、地下のコンクリート壁に反響して澱み、奥へと消えていく。


燈馬は暗闇の中で、ビジネスバッグの中のノートPCを強く握りしめた。

佐藤のじいさんの本物の肉体も、おそらくこの先の区画に囚われている。


「上等だ、お役人様……。その薄汚いそろばん、ここで叩き割ってやる」


燈馬は激痛の走る左腕の感覚を怒りで麻痺させながら、男たちが去っていった、地獄の最深部――第三ボイラー室の重い鉄扉へと、音もなく牙を剥いた。

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