第七章 祭壇の門④
「さて、と」
それは悠樹が緋雨を撒いた直後のことだった。
三階の窓から四階の窓へ。廊下に着地する。
ここまで来たら屋上まですぐだ。流石にもう妨害者もいないだろう。
「早く行かないと。御門さん、苦戦してないといいけど」
そう呟き、走り出そうとしたその時だった。
――ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
いきなり聞こえた鐘の音に全身が総毛立った。
もはや聞き間違えることなどない。
それは、奴らの襲来を知らせる鐘だった。
(――由良ッ!)
悠樹がまず心配したのは由良だった。
もしこの襲撃が由良に対してのモノならば、すぐに助けに行かねばならない。
だが、それが杞憂であるとすぐに理解する。
何故なら、悠樹のいた四階の廊下の光景が瞬時に変わったからだ。
(標的は僕の方か!)
とりあえず、由良が標的ではなかったことに安堵する。
毎回、この判断をする瞬間こそが最も緊張していた。
自分が傍にいないのに由良が危険に晒されているなど心臓が止まりそうだ。救援に向かう時はいつも不安から酷く焦ってしまう。それは最悪の時間だった。
その点においては、今回は幸運だったとも言える。
(由良が一人ぼっちで危険に晒されてはいないことは良かったけど)
しかし、それは自分の方が危険な状況にあるということだ。
悠樹は双眸を鋭くして、周囲に視線を向ける。
移り変わった世界。そこは森の中だった。
悠樹が立つ場所は、登山道のように少し開けた場所だった。
(ここは、もしかして裏山か?)
どこか繁みの生え方や木の形状に見覚えがあった。
だとしたら、学校からさほど離れていない場所に転移させられたようだ。
(どうして? 今回は由良との分断を考えていないのか?)
奴らに知性があるのかは未だ分からない。
戦力的なものを感じたことはあるが、どうにも反応が無機質的だからだ。
前回は場所の転移に加え、二体がほぼ同時に現れるという異例のことまでされて、随分と苦戦したのだが、果たして今回はどう出てくるのか――。
(いずれにせよ、奴らが強敵であることに変わりない)
悠樹は表情を険しくする。
そして悠樹の獣殻が銀霊布へと戻る。籠手も刀もだ。解けた銀霊布は渦巻くように巨大な円を描き、悠樹の全身を包み込んだ。わずか数秒で完全顕現が完了する。
黄金の二本角に、真紅の双眸。黒い甲殻に覆われた巨躯に、背には青白い炎のような獣毛を揺らめかせている。《魔皇》と呼ばれる姿だ。
黒い竜人と化した悠樹は顔を上げた。
――遥か上空。
そこには黒い六翼を大きく広げて、紅い騎士が滞空していた。
その手にはメイスを握りしめている。相も変わらず禍々しい姿だ。
『……お前の姿はもう見飽きたはずなのにな』
そう告げつつ、悠樹は強く拳を固めた。
あの姿を見るたびに何度でも思い出す。
奴に親友を――大和を殺されたあの日のことを。
そして思い出すたびに、業火のように心が荒れ狂う。
強烈な殺意が噴き出してくる。
『死んだら人は終わりだ。生き返らない』
訥々と悠樹は語る。
『何度殺しても図々しく顔を見せてくるお前たちとは違うんだ』
竜人の赤い双眸が凶悪な光を放った。
『なら、今度は恐怖を刻んでやる。二度と現れたいと思わないように』
そう宣言した。
◆
(どこじゃ! どこにある!)
由良は焦っていた。
探しているのは空間の歪みだ。
奴らの祭壇は結界の一種だ。鬼狩りでも再現できないような強力な隔離結界だが、同じく生贄である由良に対してだけは反応を見せる。
恐らく、生贄だからこそ祭壇に取り込もうという反応が出ているのだろう。
だからこそ、近づけば必ずその歪みを見つけられるのだ。
しかし。
(――嫌じゃ!)
気丈な由良の瞳がわずかに涙で滲む。
この時間が一番嫌だった。本当に嫌だった。
これなら、まだ自分が標的にされている方がいい。
もしも救援が間に合わなかったら――。
もしも悠樹がすでに殺されていると考えたら、恐怖で足がすくみそうだった。
本当はこの場でうずくまりたいぐらいだ。
(悠樹! 悠樹!)
いつも、この時がもっとも悠樹の存在を遠くに感じる。
彼の背中が遠ざかっていくような恐怖を覚える。
だが、恐怖ですくみ上っている場合ではない。うずくまるなど愚の骨頂だ。
今はひたすら異常を察する感覚を研ぎ澄ますしかなかった。
「うわっ!」「な、なんだ!」
尋常ではない速度で走る由良と偶然すれ違った生徒たちが目を丸くする。
この裏山では、まだ生徒たちがレクリエーションを続けていた。時折、衝突しそうにもなるが、気にかけているだけの余裕もなかった。
そうして、
(見つけた!)
――ズザザザッ!
由良は急ブレーキをかける。
森の一角。そこに空間の歪みを見つけた。
それは虚空に浮かぶ亀裂のようなモノだった。直前までそこには何もなかった。生贄である由良か悠樹が近づくことで初めて確かになる現象である。
幸か不幸か、近くには人の姿もない。
仮に人がいても由良がやることには変わりないが。
「―――ふ」
鋭い呼気と共に由良は武具を弓から薙刀へと変化させて、亀裂に斬撃を加えた。
直後、亀裂は大きく裂けて、一人なら入れるような大きさになった。
(今行くぞ! 悠樹!)
空間の先はどこに繋がっているかは分からない。この先が隔離された空間であることだけは間違いないが、こことはまったく違う場所に出る可能もあった。
けれど、由良は一切の躊躇いもなく、亀裂の先に飛び込むのであった。
その先にいるはずの愛しい人を救うために。




