第六章 姫君たちの対決②
(人は完全に出払っているようですね)
その時、翔子は一人、校舎内の階段を駆けあがっていた。
ここまで誰一人と遭遇していない。全員が森の方に向かったようだ。
長い髪を揺らして、羽のような身軽さで移動する。
(このまま屋上まで到着できそうですね)
そう考えていた時、
『ぐるるるゥ』
三階への階段を昇りきったところで一体の式神が廊下で待ち構えていた。
どうやら校舎内に式神が一体も配置されていない訳でもなかったようだ。だが、1組の生徒たちはスタートと同時に森に向かったため、相手にもされず残されていたらしい。
「それはそれで寂しいですね。ですが」
十字槍を構えて、翔子は瞳を細めた。
中々にリアルな妖鬼だった。
しかし、その眼差しは獣のモノであり、知性の光はない。
最下級の第一階位であっても妖鬼は知性を持つ。だが、教師陣の技量を以てしても、そこまでは再現できなかったようだ。
「獣相手に後れをとる訳には参りません」
早々に片づけて、屋上に向かう。
翔子がそう決断した時だった。
『ぐあああ』『ぐるう』
さらに二体、翔子の背後から近づいてきた。
前方に一体。後方に二体。三階の廊下で挟まれた形だ。
「校舎内にも数体は配置していたということですか」
明らかに不利な状況だが、それでも翔子が動じることはない。
何故なら、もっと多い数の『本物』を相手したこともあるからだ。この程度では危機でもなかった。一体が三体になったところで足止めにもならないだろう。
「むしろ丁度いいですね」
十字槍を前方の一体に向けて、翔子は微かに笑みを見せた。
「このゲームはあくまで点取り合戦ですから。石神さんと仕合う前にここで三点入手しておくのもいいでしょう」
◆
同刻。
東階段ルートで悠樹と玉城は、校舎内に突入していた。
悠樹は右腕に黒い籠手と刀を。玉城は黄色い甲冑で肩まで覆っていた。肩には長い柄の大鎚を担いでいる。二人は人間離れした速度で階段を駆け上がる。翔子のルートとは違い、こちらには一体も式神は配置されていなかった。
しかし、奇しくも翔子と同じく三階に到着した時、
「ザックさん」
「おう」
足を止めた悠樹の呼びかけに、玉城もその場で止まった。
三階の廊下。階段のあるその場には当然ながら四階にも続いている。
けれど、悠樹と玉城はその場で足を止めた。
「……こいつは罠か?」
「……うん」
双眸を細めて尋ねる玉城に、悠樹が頷いた。
「四階の階段に見えない糸が張り巡らされているみたいだ」
獣殻によって強化された視力で目を凝らす。
常人の視力や、高速移動時には気付きにくい。微かな光加減でようやく見える。階段全体を塞ぐように透明な糸の陣がそこにあった。
刀で少し触れてみると、強い弾力を感じた。鋼線ではないようだ。代わりに柔軟であり、強度もある。切断が難しそうな糸だった。
「このルートは塞がれたってことか」
あごに手をやりつつ、玉城はそう呟く。悠樹も「うん」と頷いた。
「強行突破は難しそうだよ。けど、ここからは窓から上に――」
そう呟いた時だった。
――ヒュンッ!
不意に風切り音を聞いた。
悠樹は反射的に刀を振るって、音の主を弾いた。
弾き飛ばされたそれはいわゆる苦無だった。それが数本、廊下に落ちる。
「――ザックさん!」
「おうよッ!」
悠樹の呼びかけに玉城は大鎚を振るった。肥大した筋肉を軋ませる大振りだ。それは虚空を弾き、廊下の一角である窓を吹き飛ばした。空気の砲弾である。
濛々と上がるコンクリートの粉塵。その中から現れたのは一人の少女だった。
長い黒髪が美しいサイドテールの少女だ。
口元には黒いストール。右肩まで覆う赤い獣殻を纏っている。
「お前さんは確か……」
情報屋でもある玉城にはその顔に見覚えがあった。
「1組の白藤だったな」
「白藤さん?」悠樹が眉根を寄せた。「その名前、聞いたことがあるよ。由良が言ってた。仲の良いクラスメイトだって」
「……仲が良いかは人それぞれの主観になるんだが」
ストールで口元を隠したまま、少女――白藤緋雨は苦笑を零した。
「意外と悪い気分ではないな」
「えっと、由良の友達ですか?」
悠樹がそう尋ねると、「一応そうらしい」と緋雨は答えた。
それから悠樹の方を見やり、
「四遠悠樹。お前と話すのは初めてだな。だが、お前のことは知ってるぞ。鳳や石神がお前の名をよく口にするからでもあるんだが、それ以前に、お前は鳳や御門と同じく第八階位の討伐者の一人だからな」
「……いや。それは少し違うよ」
悠樹は強く刀を握って、かぶりを振った。
「もう一人いる。鷹宮君もそうだ」
「……ああ。そうか。そうだったな」
悠樹の指摘に、緋雨は少し瞳を細めた。
「すまなかった。失言だった。あいつが命を懸けたからこその勝利か」
「……うん、そうだよ」
悠樹が頷く。真実は違う。鷹宮は戦っていない。犠牲者だった。
けれど、悠樹は強く思う。
少なくともあの時、彼が再び正しい道を歩く決意と勇気を出してくれていなければ、翔子まで殺されていた可能性は大いにあったのだ。彼は翔子を守り抜いたのだと信じていた。
生きてさえいれば、友達になれていたかもしれなかった彼は――。
「すまない。配慮が足りていなかったな。しかし、お前に興味があるのは事実だ」
自然体で立ったまま、緋雨は言う。
「私もそれなりに実戦経験もある。第五階位と遭遇したこともな。そのランクでさえも充分すぎるほどに脅威を感じたものだ」
一拍おいて、
「ましてや第八階位などゾッとするな。生半可な実力では第八階位の討伐は不可能だ。鳳の実力を見れば一目瞭然だ。恐らくお前もまた、かの御門家の《瑠璃光姫》にもそう劣らない実力者なのだと考えている。だからこそ、ここでの足止めも買って出たのだが……」
そこで玉城の方を一瞥する。
「余計な同行者もいるようだな。しかも裏口入学者か」
「おい。嬢ちゃん。いきなり裏口扱いはねえだろ」
大鎚を肩に担いで玉城が不満げに言うが、緋雨は大きな胸を支えるように腕を組んで「いや」と呟き、かぶりを振った。
「明らかに裏口だろう。おっさんすぎるぞ。そんな見た目のくせに少しぐらい偽装する気もなかったのか? まあ、あの頃は上層部も裏口を黙認していたようだが……」
「黙認か。確かにそうだったよな」
玉城は苦笑を浮かべて、ボリボリと頭をかいた。
「それもあったから、大層な偽装は必要ねえと思ったのは事実だ。けどよ」
一拍おいて、玉城は双眸を鋭くした。
「当時のそんな裏事情を知ってるってことは、嬢ちゃんも裏口入学のクチか?」
「―――え」
悠樹が目を見開いて、玉城の方を見やる。
「え? 白藤さんが? こんなに可愛い人なのに?」
「え? か、かわ……」
悠樹の台詞に、緋雨は肩を一瞬震わせた。次いで耳が少し赤くなっていく。
一方、悠樹と玉城は互いの顔を見ていて緋雨の変化に気付かない。
「いやいや、悠樹。別に裏口入学者って全員がおっさんって訳じゃねえぞ」
玉城は肩を竦めた。
「白い姫さんだってそうだろ? もし変装してねえとしたら、あの嬢ちゃんも悠樹より少し年が上ってことじゃねえか?」
「あ、そうなんだ」
そんなやり取りをしていると、緋雨がコホンッと喉を鳴らした。
「どうも今日は失言が多い日だな。ともあれだ」
緋雨は表情を鋭く改めた。
「今の私の役目は足止めだ。そして四遠。お前の実力にも興味がある」
重心を低くして身構えた。やや前傾の構えだ。
「悪いが、このゲームが終了するまで私に付き合ってもらうぞ」




