第三章 今日からあなたは④
(………え?)
沙夜の唐突な宣言に悠樹は困惑した。
すると、彼女は、
「二年半ぐらい前からだった」
説明を始めた。
「私は心に空洞を感じるようになった。今も虚無感を覚えている」
言って、手斧を持ったまま片手を胸に当てた。
が、そこで少し眉根を寄せた。
「……? 今日はそこまで酷くないみたい。けれどやっぱり空洞がある」
悠樹は言葉もなく、彼女を凝視していた。
「もしこの空洞を埋めてくれる人がいるのなら、私はその人に感謝する。その人に私のすべてを上げても後悔しないぐらいに」
沙夜はそう告げた。
悠樹は未だ言葉がない。けれど、
「君の……」
どうにか、声を絞り出して尋ねる。
「君の《星銀の髪》が光を失ったのも二年半前からなのか?」
「……《星銀の髪》を知っているの?」
沙夜は少し眉をひそめた。
「神宮寺家の《雪の髪》に比べるとマイナーなのに」
そう呟きつつ、
「うん。二年半前。大体それぐらいだったと思う。私の髪が光を失ったのも、きっと心の空洞が原因だと思ってる」
「……そうか」
悠樹は唇を強く噛んだ。
(……ごめん。大和)
――二年半前。大和と悠樹がいなくなった頃だ。
その頃に、彼女の心に空洞が生まれたという。そして彼女の髪は輝きを失った。
たとえ、記憶を書き換えられたとしても。
きっと、彼女の魂が失ったモノを覚えていたのだ。
だからこそ、心に空洞を感じるようになったのだろう。
(もっと沙夜ちゃんのことを見ておくべきだった)
彼女に拒絶されることが嫌で。
怯えて逃げ続けた結果、彼女の異変に気付けなかった。
絶対に助けると約束していながらだ。親友に合わせる顔がなかった。
(……僕は)
悠樹は強く刀の柄を握った。
「……うん。分かったよ」
そしてその切っ先を沙夜に向けた。
「だったら、もし僕が勝ったら、君には一つ約束して欲しい」
「……約束?」
小首を傾げる沙夜。悠樹は「うん」と頷いた。
「僕が勝ったら、さっきみたいに自分を賭けの対象にするようなことは止めて欲しい。君は女の子だ。その台詞は無駄に相手を刺激することなる」
「それは構わない」沙夜は言う。
「それで相手がやる気になるなら。けど、分かった。あなたが勝ったらもうしない。その時は私の空洞は埋まっていると思うから」
「……ありがとう。頑張るよ」
言って、悠樹は刀を水平に構えた。
これもまた、負けられない戦いとなった。
沙夜は「……ん」と呟いて、左右の手斧を脱力するかのように下げた。
そして、
――ドンッ!
凄まじい加速で跳躍した。足跡がコンクリートの床に刻まれるほどの踏み込みだ。
しかし、沙夜は少し驚いた顔をした。
同時に悠樹も同等の力で踏み込んでいたからだ。互いに刃を繰り出して火花が散り、跳躍の軌道を変えて着地。間髪入れずに、再び二人揃って跳躍した。それを幾度も繰り返す。二人が交差するたびに火花が散った。
高速移動によるヒット&アウェイ。石神家の基本戦術だ。
(やっぱり)
高速移動をしながら、沙夜は瞳を細めた。
あの少年は石神家の正統なる斧武術を学んでいる。それも相当な練度だった。
沙夜は着地すると、そこから横に走り出す。悠樹もその後を追った。
(なら)
沙夜はさらに速度を上げて、斜めに壁を駆け上がった。天井にまで至ると強く踏み込んで反転、頭上から双斧を振り下ろす!
悠樹は咄嗟に刀を頭上にかざした。双斧を受け止めて火花が散る。沙夜は地に降りると同時に至近距離で左右の斧を振るう。無呼吸からの連撃だ。一撃一撃が鋭く重い。だが、悠樹は刀と籠手を巧みに扱い、刃の嵐を凌いでいた。
(流石は沙夜ちゃんだ)
幼馴染の猛攻の前に、悠樹は双眸を細めた。
籠手で右斧の一撃を受け止めたと思えば、すぐさま左の斧が襲い来る。
彼女の真価はこの圧倒的な猛攻にあった。本来ならこれに《飛断》も加わり、間合いも関係なく斬撃が襲い来るのだ。
戦いが終わった時には嵐が過ぎたように砂塵が舞う。
彼女の二つ名である《砂塵姫》の由来だった。
(二年半前の僕なら一分も凌げない。けど)
今は違う。
手数の多さだけなら、由良の方が圧倒的に勝る。
それを経験している今の自分であれば、通常の斬撃のみなら凌げないことはない。
とはいえ、防戦一方では敗北は必至だ。
「―――ふっ!」
悠樹は鋭い呼気と共に横薙ぎを繰り出した。双斧が重なる瞬間に払ったのだ。
両腕を跳ね上げられ、沙夜は少しだけ目を見開いた。悠樹は続けて袈裟斬りを繰り出すが、沙夜は後方に間合いを大きく取って回避した。
悠樹はここぞとばかりに地を蹴った。斧にとって不利な刀の間合いで連撃を繰り出す。亡き同級生に倣った戦術だ。今度は沙夜が防戦一方となった。
絶えず剣戟音が鳴り響く。
だが、沙夜の防御を切り崩せない。無数の斬撃を時には受け流し、時には撃ち落とす。彼女は防御においても一流だった。
そうして、
「……ん。凄い」
戦いの中で、沙夜は微かな笑みを零した。
霞むような悠樹の猛攻を捌き続けている中でだ。
(……沙夜ちゃん)
それに対し、悠樹は眉根を寄せた。
魅入るような微笑。それは沙夜が本当に嬉しい時のみに見せる笑みだった。兄である大和でさえもほとんど見たことがない。今や悠樹だけが知っている笑みだった。
「あなたはとても凄い人」
沙夜はそう告げると、大きく後方に跳んだ。
そして右手の手斧を悠樹に向けて、
「もっと試してみたくなった。これを凌げる?」
一拍おいて、
「《黄金魄》招来……」
そう告げた直後、悠樹は左手を突き出した。
「待った。それは流石にダメだよ」
悠樹は沙夜を止めた。
「君の《黄金魄》はこんな場所で使っていいモノじゃない」
そう指摘すると、沙夜は小首を傾げて、
「ちゃんと加減はするよ?」
「それでもだよ」悠樹は嘆息してかぶりを振った。
「そもそも、あれを屋内で使おうとすること自体がアウトだよ。仮に一割ぐらいまでに抑え込んでも、《影門館》が半壊してしまうよ」
「…………」
沙夜は無言になった。代わりに手斧を下して、
「……どうして知っているの?」
悠樹にそう尋ねる。悠樹は「え?」と眉根を寄せた。
「私の《黄金魄》のこと。あなたはまるで詳細を知ってるみたい」
「え? あ、それは……」
悠樹は言葉を詰まらせた。
知っていて当然だ。悠樹は大和と共に、彼女が《黄金魄》を獲得した瞬間に立ち会ったのだから。しかし、彼女はその事実をすべて忘れていた。
「えっと、君の《黄金魄》は有名だから」
とりあえず悠樹がそう言い訳をすると、沙夜は「……そう」と小さく呟いた。
「分かった。あなたが想像以上に強いことも。私について凄く詳しいことも」
一呼吸入れて、
「まだ誰にも見せたことのない私の《黄金魄》の詳細を知っているぐらいに」
「………え」悠樹は目を見開いた。
「私が《黄金魄》を獲得している噂はあるけど、その詳細は全部デタラメ。なのに、あなたは正しく理解している。まるで見たことがあるかのように」
沙夜は灰色の瞳を細める。
「正直、これは見過ごせない事態。あなたが石神家の斧武術を使えること以上に」
とても神妙な声色だった。ただ、そこで「けど」と続けて、
「あなたが悪い人にも見えない。だから私はあなたを見極める」
「み、見極める?」
悠樹が困惑した様子で反芻すると、沙夜は「……ん」と頷いて、
「この三年間で。あなたが何者なのかを。今日からあなたを私の監視下に置く」
そう告げて、沙夜は獣殻を解いて悠樹に近づいていく。
悠樹も獣殻は解いたが動けずにいた。沙夜はそんな悠樹の両頬に触れて、
「あなたは石神家とどんな関係なのか。どうして誰も知らないはずの私の《黄金魄》を知っているのか。そして」
そこで、彼女は悠樹の瞳を覗き込む。
「あなたが私をとても優しい眼差しで見る理由も。時折とても苦しそうな、悲しそうな瞳で私を見ることも。私はあなたがどんな人なのかを知りたい」
悠樹は言葉もなく固まっていた。
「だから、あなたを監視下に置く。勝敗は曖昧になったけど、代わりにあなたの願いも聞く。今後、私は自分を賭けに使うようなことはしない。それでいい?」
悠樹は「う、うん」と頷くことしか出来なかった。
沙夜は微笑んだ。本当に嬉しい時の笑みだ。
「よかった。契約完了」
そうして沙夜は「……ん」と頷き、
「けど、監視下は言葉がよくない。今日からあなたは私の『相棒』になる」
そう告げるのであった。
幼馴染の絆は形を変えても確かにここに在った。
「……よろしく。四遠くん」
「う、うん。よろしく。石神さん」
そして、今はただ頷き合う幼馴染たちであった。




