第7話「熱源」
ジョーが朝起きると、花の匂いのするやわらかいものを抱きしめていた。手探りで確認していくと、シズクの身体だった。昨夜、新しい石鹸を使ったらしい。ベッドがないため、二人とも床に毛皮を敷いて、そのうえで寝ている。
慌てて跳び起きて、わざとらしく伸びをして誤魔化した。幸いというべきか、シズクはまだ寝息を立てていたため、ジョーはそっと寝床から抜け出して井戸で顔を洗いに行った。
夜明け前で、朝鳥すら鳴いていない。ジョーは冷たい水で顔を洗い、ついでに上半身まで布で拭いた。石鹸の香りを嗅ぐと、先ほどのシズクの肌の感触を思い出してしまう。危険なので、縁側の洗濯板の下に隠しておいた。
早朝過ぎて、やることがない。あまり騒がしくしてシズクを起こしてもかわいそうだ。だからと言って、道具屋のために森へ薬草を取りに行けば、シズクに気を使わせてしまうかもしれない。
ジョーは割れた皿を直すことにした。
なるべく音を立てないように裏庭で、昨日買ったフノリの粉を水に溶かし始めた。かき混ぜていれば、粘着力のある糊になる。そこに細かく砕いた粉状のガラスを投入。白い粘着液ができた。それを皿の割れた断面に多めに塗って、割れる前の姿に組み立てていく。
冒険者時代、怪我をして山奥の診療所に住み込んでいたことがある。町が遠く、簡単に買い物ができないため、物が壊れたらなんでも直していた。ジョーが皿を直したり、箒を作れたりするのはその時の杵柄だ。
七輪に木炭を入れ、魔法で火をつける。木炭がジワリと赤くなり、竹筒で空気を吹き込んで温度を上げていく。組み立てたばかりの皿を七輪の金網の上に乗せた。融点が低いガラスであれば、粉が溶けて皿の破片が接着するはず。
ジョーが竹筒を吹いていると、シズクが起き出してきた。
「おはようございます!」
「おはよう。悪い、うるさかったか?」
「いえ、寒くて起きてしまって」
シズクが着ているのは、粗末な服と丈の短いボロボロのズボンだけ。奴隷としては一般的にそれで十分だが、ジョーは背丈も変わらないため、自分の服を着るように言っている。ただ、シズクは主人の服を汚すわけにはいかないと、あまり着たがらない。
「服を買いに行かないと。すまん、女物はわからないんだ」
「そんな! 今のままでも十分です。それに私もわかりませんし……」
「今度、カスミに買い物を頼もう。大丈夫、それくらいは稼いでるから。顔を洗ってきな。この皿が焼けたら、飯にしよう」
「はい」
ガラスの粉が溶けて割れた断面が接着したのをジョーが確認し、慎重に金網から降ろす。熱すぎるので軍手は二重にして持ち上げ、縁側に置いて冷ました。
朝鳥が鳴き始め、空が明けてきた。
「仕事になりますように」
ジョーは朝日に神頼みをした。井戸から戻って来たシズクが布で顔を拭いていると、ぐぅと腹の虫が鳴いた。
「朝飯にしよう」
朝飯は塩漬けしていた肉の切り身を、まだ木炭が燃えている七輪で焼く。
「パンも軽く焼こう。玉ねぎが余ってたな。焼いて挟むか」
あっという間にサンドイッチが完成した。
ジョーが口を大きく開けて頬張る。肉の塩辛さと甘い玉ねぎで一気に唾液が出てきた。肉汁が頬についても気にせず、齧り付いてしまう。
シズクもジョーに倣い、大きな口を開けてガブリとサンドイッチに齧り付く。「美味しい」という感想を思う間もなく、いつの間にか食べ続けてしまう。
「一瞬でなくなったな」
サンドイッチは二人の胃袋に収まった。シズクは気付けばサンドイッチがなくなっていたことに驚いていた。記憶はあるのに時間の進み方がおかしい。コロシアムでも夜の宴で美味しい料理を食べたことがあるが、何かが違う。シズクにとって初めての経験だ。
「山椒があればもう少し、ピリ辛で美味しかったかもな。あ、薬草も取ってこないといけないし、コロシアムいく前に森で取ってこようか?」
「はい、すぐに準備します。片付けは私が後でやっておきますから」
シズクはすぐ七輪に水をかけて消火し、籠と軍手を用意。森に行く準備を手早く済ませた。今食べたサンドイッチよりも美味しいものが食べられるなら、なんでもやるつもりだ。
「お、早いな」
準備を済ませて、裏の森へ向かう。
漆採取の時とは違う場所を探っていると、魔物の糞や足跡を見つけてしまった。
「ルートを変えよう。武器も持ってきてないしな」
魔物が上ってこられないような崖を乗り越え、水辺に生えた薬草を次々に籠へ入れていく。誰かが採取した形跡がない。山道から遠く、木々が密集して暗いため、初心者の冒険者たちが来ないらしい。薬草採取のついでに棘のついた細い枝を探していると、簡単に山椒の木は見つかる。繁殖力が強いのだ。
「実を乾燥させて砕いて使うんだ」
枝ごと毟り採って、籠に入れていく。軍手をしているシズクは思いっきり掴み、棘に刺さっていた。
「気をつけろよ」
「……はい」
シズクは棘が刺さった患部に息を吹きかけながら返事をした。
「せっかくだから、この葉っぱも採っておこう。便利な毒消し草だ」
湿気の多い日陰にはドクダミ草も自生している。
「そんな草が薬になるんですか?」
「胃痛とか腫れに効く解毒剤になる。乾燥させてお茶にしてもいい。便利だろ?」
時間を忘れて二人で採取していたら、すぐに籠一杯になった。
「ヤバい。そろそろ、コロシアムに行かないと! 急いで帰ろう。日陰だったから、時間が読めなかった」
ジョーは言い訳しながら、急いで家に戻った。
家に帰り、道具屋用の薬草だけ袋に入れる。
「あとは全部、日陰に干すんだけど、わからなかったら昼に帰ってきてやるから置いといていいぞ」
「わかりました! 大丈夫です。いってらっしゃい!」
「いってきます!」
バタバタしながら、ジョーは坂道を走っていった。
コロシアムに到着すると、いつもと違う雰囲気だった。入り口前では客たちがそわそわと中の様子を覗いていたし、練習場には奴隷たちがいない。誰かいないかと探していたら、闘技場の前室に人だかりができていた。
「なにがあったんだ?」
ジョーはコザックを見つけて聞いた。
「ああ、遅かったな。昨日の定期便で、マンティコアが来たんだが、一緒に来た魔物使いが食い殺された。今、コロシアムの奴隷たちが総出で檻に入れたところさ」
ガルルルルルル……!!!
檻のなかに獅子の顔をした魔獣が唸り声を上げながら、鉄格子に噛みついている。
「大した値段じゃなかったって聞いてたから、てっきり偽物だと思ったんだが、本物だった」
コザックは自分の禿げ頭を撫でながら「まいった」と俯いていた。隣にいた運営の男も「あんな魔獣に勝てねぇぞ。筋書きはどうするんだよ」と頭を抱えている。シズクが前に言ったように魔獣が勝つ筋書きはない。
「おい! 回復薬はまだか! 誰か、道具屋に走って薬草持ってきてくれ!」
コロシアムの医療班が、血だらけになりながら叫んでいる。奴隷たちの血が流れ過ぎているのだ。
「回復薬がないのか?」
「ああ、足りない。奴隷たちが大勢怪我している。お前が見ていた奴隷たちもな。しかも客が見てる前で……」
コザックの言葉の途中で、ジョーは飛び出した。
「今朝、採れたての薬草だ! 使ってくれ!」
袋に詰めた薬草を医療班に持っていく。
「助かる! 傷の深い奴の患部に当ててくれ! 半分は回復薬にするから、炊事場に持って行ってくれ!」
「わかった!」
医療班の指示に従い、ジョーは奴隷たちが寝かされている部屋に入った。誰もがうめき声を上げ、さながら戦場だ。
「薬草だ! 足りない奴は!?」
「全員だ!」
ジョーの言葉に医療班の一人が叫ぶ。
「傷が深い奴に持っていけと言われた!」
「こっちだ!」
ジョーが持って行ったのは、いつも筋トレを教えている奴隷の一人だった。
「患部に当ててやってくれ!」
「もう、大丈夫だ! 薬草、持ってきたぞ!」
ジョーは奴隷の肉がえぐれた肩に薬草を張り付けた。
「うう……教官、しくったぜぃ。闘技場に出る前に負けちまった。戦う前に……」
奴隷の目には涙が溜まっている。
「いい! 今は生き残ることだけ考えろ!」
「でも、剣闘士が闘技場に上がる前に負けるなんて……。もう俺は剣闘士として終わりだ」
奴隷は自分の不甲斐なさで震えていた。部屋にいる怪我をした奴隷たちも同じように、気を落としていた。気持ちで負けている。
「いいか? たとえ今、負けても生きていればリベンジマッチができる! こんな盛り上がることはねえっ! 『魔獣に負けた奴隷の下克上』なんて大一番になる! コロシアムでは勝った奴が正しいんじゃねぇ、盛り上げた奴が正しいんだ! 生きるぞ!」
ジョーは咄嗟にまくし立てた。
「おうっ! そうだな!」
「リベンジマッチ、やってやる!」
「おうよ!」
奴隷たちはジョーの言葉で急に奮い立った。部屋全体の温度が一気に上がる。
医療班はジョーを見て頷いた。アドレナリンが出ているうちは痛みも和らぐ。
「炊事場で回復薬を作ってくる。これだけあれば、とりあえず足りるか?」
ジョーは薬草を一掴み見せながら、小声で医療班の一人に声をかけた。
「ああ、助かる! こっから俺たちの正念場だ。生かすぞ!」
「当たり前だ。こいつらがいなくちゃ、俺も食いっぱぐれるからな」
ジョーは薬草を半分持って、炊事場に向かった。
「バカ野郎! 怪我人がこんな固い肉食えるか!」
「全部スープにしろ!」
「くそっ薬草はまだか!」
炊事場では料理人や医療班の怒号が飛び交っている。
「薬草持ってきました!」
「おう、水の入った鍋に入れといてくれ!」
水瓶の水で血を洗っている医療班が、顎をしゃくって指示を出した。まだ煮えていない竈の鍋に薬草を適量入れる。他にも水を張った鍋が用意されているので、あるだけ薬草を入れていった。
「新人、回復薬は作ったことあるな!?」
医療班がジョーに聞いてきた。
「高純度のは無理ですよ。焦げない程度の安い回復薬しか作ったことありません」
「十分だ! そのまま、かき混ぜといてくれ! おい、誰か、何でもいいから容器を用意しろ!」
指示されるまま、ジョーは薬草の入った鍋を焦げ付かないようにかき混ぜ始めた。
「ゆっくりだ。焦ってかき混ぜても、純度は上がらない。そうだ、いいぞ」
隣の竈でも料理人たちが回復薬を作り始める。どうやら、明確に医療班だけの者は少なく、それぞれ自分の経験からできることをやっているらしい。皆、ジョーのことを新人と思って、丁寧に教えてくれた。
「すいません! 道具屋、薬屋の薬草は空でした! 回復薬も少しだけです。教会の回復術師さんだけ来てもらいました!」
炊事場に若者が、神父服を着た老人を飛び込んできた。医療班の新人らしい。
「そのまま前室に行け! 爺さん、祝日の説教には全員で行くから、奴隷たちを治してやってくれ!」
「はっはっは、そんなに急かすな。人間、死ぬときは死ぬ……」
回復術師は笑いながら、ゆっくり前室に向かった。
「あの爺さん、魔法使ったら死ぬんじゃねぇか……」
炊事場にいる料理人が軽口を叩く。
「それにしても危なかったぜ。薬草があってよかった。お前、どこまで行って見つけてきたんだ?」
「今朝、坂上の森で採ってきてたんです。道具屋の女将さんが足りないって言ってたから、小遣い稼ぎにね」
炊事場で、どっと笑い声が上がる。
「アハハハ、お前、これが終わったら、酒の貯蔵庫に行って好きな酒を持っていけ。誰にも文句言わせねぇよ」
「医療班かと思ったら、違うのか? 普段はコロシアムで何やってる?」
ジョーに興味が出てきたのか医療班が聞いてきた。
「筋トレの教官です。あと、御者の手伝いとか」
「なんでもやるんだな。元冒険者か?」
「そうです」
「なら、刃物は使えるな。今度、炊事場にも手伝いに来いよ」
「わかりました。あ、とろみが出てきました!」
「おう。容器に入れて冷ましながら、前室に持って行ってくれ」
ジョーは竈から鍋を持ち上げ、そのまま深皿に出来上がった回復薬を注いだ。そのまま、容器を持って怪我人がいる前室へと向かう。
闘技場には誰もいないのに、コロシアムは熱かった。




