第5話「陽だまり」
早朝、ジョーが皿の接着剤に使う漆を取りに行こうとしたら、寝ていたシズクに手を掴まれた。
「どこに行かれるんですか?」
シズクの気迫にちょっと気おされた。
「悪い。起きちまったか。ちょっと漆を取りに森に行こうと思ってな」
「私も行きます。すぐに用意しますから、待っていてください」
「暑くても長袖の服がいいぞ。かぶれるからな」
「でも、あれは大事な時に着る服では?」
「今が大事な時だ。シズク、自分の身体を大事にしてくれ」
「わかりました」
シズクは洗濯していた長袖の服とジョーの替えの長ズボンを穿いて、荷運び用の竹で編んだ籠を用意した。
「ナイフと木の皿。あ、竹のコップがあったよな」
ジョーは籠の中に道具を入れながら「試しの試しみたいなもんだから、あんまり期待するなよ」とシズクに言い聞かせた。
シズクにとっては何が起こるのかわかっていないが、こんな朝早くから外に出ること自体少し心が躍っていた。
籠はシズクが持つことになり、2人は静かに家を出た。遠く坂の先にある港の方では明かりが見えるので、漁師たちは働いているらしい。シズクにとっては初めての景色だ。
「森は反対だぞ」
「はい」
暗い森の中を、小さな松明の明かりだけを頼りに進む。魔石灯を使わないのは、魔力に魔物が集まってこないようにという迷信をジョーが守っているからだ。
暗いうちに森を歩き回る。夜行性の魔物たちのもいるようだが、襲ってくる気配はない。この時間帯は人も魔物もあまり動いていないのだ。
ジョーは葉を見ながら漆の木を探す。キイチゴやペカンなどもついでに採取。シズクに渡して適当に朝飯までの栄養補給をしている間に赤い葉を見つけた。
緑の葉の中に赤みがかった葉。手触りはつるつるしていて、葉先はギザギザしていない。
「これだ」
「なんでも知ってるんですね?」
「ん? ああ、冒険者の時、戦闘の才能はなかったから一人でいろいろ依頼を受けることが多かったからな」
木の受け皿にして、幹に対し斜めにナイフで傷をつける。
「軍手はしておけよ。痒くなるぞ」
「はい」
軍手は必須で慎重に白っぽい樹液を採取。時間が経つと黒く変色していく。
「正直、そんなに早く取れるわけじゃないんだ」
結局、幹に何本も斜めに傷をつけ、樹液をかき出すようにして竹のコップに入れていった。
試し用としては十分取れたので、とっとと森から出ることに。帰りは手が汚れて木の実の採取はできない。
森を抜けると、夜が明けていた。港には漁船が帰ってきている。
「仕事前に一つだけでも片付けておくか」
家に戻りさっそく、ジョーは割れた皿の修理することに。
「小麦粉があったよな……」
小麦粉と漆を混ぜて、皿の割れた部分に木の枝で塗っていく。柔らかい朝日が注ぐ部屋の中で、黙って作業をしていると時間が経つのも忘れて、結局5枚も修理してしまった。
「ヤバい。仕事に行かないと!」
隣でじっと作業を見ていたシズクも、慌てた。
「くっつけた皿は日光に弱いから地下室に置いといてくれ。コルビンに割られないように」
「わかりました!」
「あと、戸棚に朝飯のパンが入ってる」
「旦那様は?」
「適当に屋台で食べる。今日も昼頃には帰ってくるから!」
ジョーは身支度をして、家から飛び出した。
「はい、いってらっしゃい!」
シズクの声に、ジョーは手を上げて返した。海風が坂道に吹いて、シズクの髪を揺らす。短かった髪が少しだけ伸びていた。
ジョーは奴隷に筋トレを教えながら、コロシアムと自分の商売について考えていた。コロシアムほど格差の縮図が明確に見える場所も少ない。
貴族が欲しがるものを考え出せれば、一気に大金が入ってきそうだが、そんな商売はすでに誰かがやっている。
庶民が欲しがるものと言えば、ワイン、酒、串焼き、娼婦、儲け話、種類が豊富だ。自分が商売をするなら、きっと庶民に向けた商売をするのだろう、とジョーは考えていた。
奴隷が欲しがるものを商売にしても、そもそも奴隷自身に金がないので、暮らしていけない。
「なのに、俺は奴隷と商売をしてるんだよなぁ」
ジョーは大きく溜め息を吐きながら、小声でつぶやいた。
「よし! 今日はあんまり走るなよ! 腕を丸太のようにするんだ!」
禿げ頭の奴隷たちに発破をかけて、腕立て伏せをさせる。
「ゆっくり深くやるのがコツだ!」
そんなコツを知っていても、このカプリではあまり人の役には立たない。鞭を持った本職の戦闘教官がちゃんといるから、この仕事もいつ辞めさせられるかわからない。
そう思って、皿を直す仕事でもしようかと試しに今朝やってみたが……。
「あの皿が、直るのに2週間はかかるんだよなぁ……」
ジョーは思わず声に出してしまっていた。
「ジョー、お前、今日は独り言が多いぞ」
コザックに注意されてしまった。
「悪い。ちょっと考え事をしていた。よし! 腕を丸太にした後は、スクワットだ!」
奴隷たちに大声で指示を出す。
「ケツがぷりぷりになるからってケツを出すな! しっかり腰を落とせ! 俺がお前らをケツのプリンセスにしてやる! どうしたぁ!? 気合が足りないぞ、ケツプリども!」
コザックはジョーに余計なことを言ったと後悔した。
「皿直しぃ!?」
昼休みに入り、ジョーが相談すると、コザックは目を見開いて驚いた。
「お前は器用だからな、なんでもやってみりゃいいけど。もっとなかったのか?」
「人の役に立って仕事になっているってのは難しいな。冒険者みたいに、手伝うだけとは違う。いろいろ考えてはいるよ」
「まぁ、ゴミ屑に目を付けたのはいいかもな。貴族も庶民も関係なく、ゴミは出るから。あ、でも便所のゴミはダメだぞ。ちゃんと契約してる肥料屋がいるからな」
「やっぱりどこにでも先人はいるもんだな」
「いや、曲がった剣や折れた槍なんかは倉庫で山になって置いてあるぞ。よほどの業物じゃなければ新しく買ったほうが安いんだ。何年かに一度海に捨てるけど、壺や破れた魔法書なんかもあるから、あとで見に行ってみろ」
「わかった。ありがとう」
「あ、それから、これな。今日はグリフォンのもも肉だ」
コザックは油紙に包まれたレンガのような肉をジョーに渡した。
「昨日はカスミが盛り上げてくれて、魔物戦は大儲けだった。またグリフォンを輸入しなくちゃならないから、冒険者が必要なんだが、ジョーはもう魔物は狩らないのか?」
「グリフォンの生息地までは遠いだろ? 冒険者は引退しているしな。それよりも町で仕事探しだ。もらってくよ」
グリフォンのもも肉を受け取って、ジョーはコロシアムを出た。
途中、八百屋で昼飯を決め、パン屋とチーズ屋に寄ってから、家に帰った。
庭ではすでに軍手や今朝使った服が干されている。
「ただいま」
「おかえりなさい!」
半裸のシズクが迎えた。手には箒の端材で作ったタワシが握られている。
「その恰好、どうした?」
ジョーは目をそらしてしまった。
「あ、すみません。炊事場を掃除していて」
「そうか。昼飯にしよう。グリフォンの肉をもらったんだ。竈の掃除は済んでるか?」
「ええ、薪も用意してあります」
「さすが」
裏庭に面したところに炊事場はある。
最近は魔道具で煮炊きをする家庭が増えているが、この家には高価な魔道具を買う金はない。汚かったまな板もヤスリで削り、新品同様にする。
「カスミも食べるかな?」
ジョーはまな板の上に肉を置いて、シズクに聞いた。シズクはすでに薄手の服を着ている。
「用意だけしておきますか?」
「そうだな。余ったら、食べよう。こんな肉はなかなか食べられないから」
ジョーはそう言ったが、シズクはコロシアムで何度も食べていたので、何も言わない。漆を取るときに使っていたナイフは洗っていたが使わず、大ぶりの包丁で肉を切った。ジョーは顔に似合わず几帳面なので、しっかり筋も取る。
その様子をシズクはじっと見ていた。食べる分だけ切り出し、後で燻製にするという。燻製と聞いても食べた記憶がないので、よくわからなかった。
薪に火をつけて竈に入れる。ジョーが使えるのは火つけ魔法くらいだ。火がちゃんと燃えたところで、洗ってあった鉄板に脂を塗り、切ったもも肉を3枚並べた。
音を立てる肉の上に、細かく切ったニンニクをのせて、しばし待つ。香ばしい肉汁の匂いとニンニクのいい香りが鼻を襲い、脳天まで通り抜けるようだ。
鉄板の上で、食べやすい大きさに切りわけ、欠けた皿にもも肉のステーキをのせた。あとは肉汁が残っている鉄板で付け合わせの玉ねぎといんげん豆を炒める。
「旦那様は何でも知っているんですね?」
「いや、切って焼いてるだけだ。誰でもできるだろ? 塩を振っておいてくれ。朝、山椒も取ってくればよかったな」
この家には調味料が足りない。
「おはよう!」
カスミがコルビンを連れてやってきた。
「おう、今、昼飯食べるところなんだけど、カスミも食うか?」
「いや、私はコルビンと森で済ませてきたから。でもいい匂いするわね」
コルビンは煙の臭いが嫌だったのか、すぐに地下室に駆け込んでしまった。
「いただきます!」
箱形のテーブルの上に皿をのせ、パンとチーズと一緒に食べる。シズクは野菜の屑スープばっかり食べていた頃を思い出していた。時々出る肉の塊をただ焦げが付くまで焼いただけのステーキとは見た目が雲泥の差だ。
「シズク? 固まってないで、食べていいぞ。一緒に食べよう」
「はい。いただきます!」
シズクは口いっぱいにステーキを頬張った。口に入れた瞬間に肉汁が飛び出してくる。焼き加減が抜群で、柔らかい肉が口の中でほろほろと崩れた。いつもの屋台の固い串焼きとまるで違う。人生で初めての衝撃に、シズクは震えた。
「なんの肉?」
カスミがジョーに聞いた。
「カスミが昨日一緒に戦った魔物だよ」
「え!? グリフォン!?」
「闘技場に出れば、奴隷も魔物も皆、戦士です。戦士の肉は明日の戦士を育てるとコロシアムでは言われています」
眉を寄せたカスミに、うっすら涙を溜めているシズクが説明した。
「……そうね。私も一切れもらうわ。一緒に戦った戦士だもの」
カスミは一切れ口に運び「美味しい」と言って、納得していた。
「相変わらず、ジョーは料理が上手いのね」
「焼いただけだ。あのなぁ、変なものばっかり食べるなよ。コルビンがかわいそうだぞ」
「腐ってなければ大丈夫よ」
「カスミは食べ物に対する感覚がおかしいんだよ。なぁ、シズク。……シズク!?」
肉に酔いしれていたシズクはジョーを見て、慌てて涙を拭った。
「失礼しました!」
「大丈夫か?」
「大丈夫です!」
「どんどん食べろよ」
「どんどん食べます!」
シズクは口の周りを肉汁だらけにしながら、ステーキを平らげていった。
「美味しければよかったよ。野菜も取れよ」
地下室ではフィンリルのコルビンがあくびをしている。温かな昼の日差しが地下室まで差し込んでいた。




