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引退して奴隷を買った冒険者は、幸せと言えるだろうか?  作者: 花黒子


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第4話「仕事の予感」



「んっ」

 部屋にひんやりとした空気が流れ、シズクが寝がえりをうった。

「まだ、寝てていいぞ」

 早朝からジョーは仕事に出かけた。

「おはようございます!」

シズクは急いで立ち上がって見送ろうとしたが、ジョーはすでに坂の下まで行って見えなくなっていた。


「昼、帰る、カスミ」


 粗末な箱型のテーブルにジョーの書置きがある。昼頃には戻ってくるらしい。あまり文字を理解できないシズクのためにジョーは単語で伝えてくれる。

 魔物使いのカスミがコロシアムで働くため、一時的にフィンリルを預かることになった。

 折れた箒は直してあって、壁にぶら下がっている。柄に紐をつけて壁にかけられるようにしたようだ。立てかけてあると、箒の穂先が割れてくる。道具を大事にするジョーらしい。

 シズクのパンとチーズもテーブルに用意されていた。


「私は奴隷失格か」

 シズクは食べ物に手を付けず、箒を持って庭を掃除。自分のできることを考えながら、庭の埃を掃く。奴隷として買われたはずなのに、自分はその役割をなにひとつできていない。今のところ怪我を治してもらって、体調を心配されるだけだ。


 日が出てきたので、寝床のシーツや衣類、汚れた靴を洗濯することに。洗濯板も石鹸も、縁側に用意されていた。


「すべきことを先回りして用意してくれているんだ」


 裏の井戸で丁寧に洗って、庭に生えた木と、縁側の柱に紐を結び、シーツと衣類を干す。水瓶の水も補充しておく。

 考えうる限りの仕事を済ませてからシズクはパンとチーズに手を付けた。


「もっと役に立たないと……。もっと何でもできるようにならないと……」


 シズクはパンとチーズを噛みしめながら、ジョーの置手紙の文字を指でなぞった。文字をたくさん覚えないといけない。


「このままでは逃げだす前に捨てられる」

 シズクはパンを口に入れて、水で流し込んだ。

「よし、昼には帰ってきて、あの魔獣を地下で預かるんだから……」

 シズクは地下室の掃除を始めた。松明で部屋全体を照らす。ある程度、掃除はしていたので、すぐに木製のバケツに水を溜め、石の壁と床をたわしでごしごしとこする。

「腰、いた」

 一度立ち上がって腰を伸ばしたとき、ちらっと見た部屋の隅に、竹箒がまとめられているのが見えた。作りかけのものもあるが、おそらくジョーが用意しているものだろう。


「また、私のために用意してくれたのか……」


 いや、そんなはずはない。きっと商売が見つからないと言っていたから、売り物を試作しているのだろう。商品なので、濡らしてはいけない。地下から出して床に置いた。

 地下の床をすべて掃除したところで、「おーい、シズク~?」とジョーが帰ってきた。


「おかえりなさい」

 すぐに地下から出て、ジョーを迎えた。

「ただいま。まだ仕事が残ってるから、また出かけるんだけどな。カスミたちが来るまで、飯食って待ってよう」

 ジョーはそう言って、串焼きと野菜炒め、固いパンを紙袋から出してテーブルに並べた。


「あれ? どうしたんだ? 箒出してきて」

 床の箒を見て、ジョーがシズクに聞いた。

「いや、地下室を水拭きしていて、商品が濡れるといけないと思って、上に持ってきていたんです」

「ああ、別に商品じゃないよ。シズク用にさ。握り心地は確かめたか?」

「私用に!? また壊すからですか? 私はもう……」

「いや、壊してもいいんだ。ほら、フィンリルのコルビンが来るだろ? ほとんど寝てるとは思うんだけど、運動不足で太ったり怠けたりするといけないからさ。暇になったら、箒で相手をしてやってくれないか?」

「で、でも、私は戦うことを辞めた奴隷です!」

 シズクは『コロシアムの奴隷ではない』という思いが強い。


「そう、気張るな。ずっと戦って生きてきたのに、そんな突然やめなくたっていいさ。特別にしちゃうと逆に囚われる。過去の自分を否定しなくていいんだよ。それに本気で戦ったりされるとコルビンが怪我をする。じゃれる程度に相手をしてやってくれ」

 シズクは少しだけ混乱したが、「わかりました」と答えた。

「さ、飯を食おう」

「はい……」


 ジョーは「ちゃんと体力つけないとな」と言いながら、シズクには多めに料理を分けてやる。そもそも奴隷と同じ食卓に着くことがおかしい。

「料理は熱いうちに食べたほうがおいしいだろ? それに一人で食うより、二人で食った方が美味しい。テーブルも一つしかないからな」

 そう言ってジョーは、取り合わない。

「なんでもかんでも気にするな。それより、今日は結構いい肉らしいんだ。串焼き屋のおっさんが、この国で一番の肉が船で来たって喜んでたくらいさ」

 確かに、その日の串焼きの肉は肉汁が滴り美味しかった。


「シズク、やっぱり戦いたくはないか?」

 食後、ジョーがシズクに聞いた。

「正直まだわかりません。コロシアムを出たときに捨てたと思っていましたから」

「でも、野犬は倒したろ?」

 意地の悪い顔で笑いながらジョーが聞いた。

「あれは、立ち向かってきた敵だったので、つい。もののはずみです」

「無理に戦う必要はないんだけどな。もしかしたら、シズクが俺のいない間に、暴漢に襲われてやしないかと心配になる時がある。門前の人間を全員叩きのめせとは言わないし、もう一度コロシアムに出ろとは言わないから、戦えるようにはしておいてくれないか。主人としての頼みだ。それで俺が少し安心するから」

 そう言われて、シズクの胸が熱くなった。

「……わかりました」

 結局、気を使わせてしまった。シズクはますますこの家から逃げられなくなった。



 昼過ぎ、寝転がっていたジョーが「割れた食器を直そうか」と暇つぶしを提案した直後に、カスミたちがやってきた。

「たくさん散歩してきたし、トイレも済ませてあるから、しばらく大人しいはず。でも、もし私が夜になっても帰ってこなかったら、クンクン鳴くと思うから、首のあたりを撫でてあげてくれるかしら?」

 コルビンの取り扱いをカスミに習う。


「ああ、わかった」

 ジョーは魔石灯を持って、地下にコルビンを連れて行く。松明は少し匂うので外した。

「魔石灯ならお前でも、点けたり消したりできるよな?」

 コルビンの顎を撫でながら、ジョーが聞いていた。

「魔獣は普通の動物よりも頭がいいから、騙されるなよ」

「はい」

 シズクにとって敵意がまるでない魔獣は初めてだったが、なるべく緊張を隠した。

「コルビンも腹が減ったからって俺の奴隷を食うなよ。痛い目に遭うからな」

 コルビンは大きく口を開けてあくびで返した。

「こいつっ!」


 しばらくジョーとコルビンがじゃれ合っていた。巨体のコルビンを組み伏せたり、胴体を噛みつかれたりしているが、ジョーにもコルビンにも傷一つついていない。お互い疲れて、倒れるまでやっていた。


「さ、私は行くわ! コルビン、大人しくしててね」

「あ、俺も行くよ。午後の仕事が残ってるから」

 カスミとジョーが地下室から出て、仕事に向かった。

「いってらっしゃい」

 シズクは初めてちゃんとジョーの背中を見送った。カスミと話しながらもジョーは手を上げて返し、坂を下りて行った。


 シズクは台所に行って、前に住んでいた住人が置いて行った割れた皿や深皿を丁寧に集める。主人の言ったことを聞き逃さない。シズクの中でこの家にいるときのルールが決まっていく。

 ほとんど割れている皿と欠片を集めながら、自分が笑っていることにシズクはまだ気づいていなかった。



◇



コロシアムまで来ると、ジョーとカスミは二人は分かれてそれぞれの仕事に向かった。

「よう、ジョーからの紹介だってな。仕事は単純だ。魔物を操って、剣闘士と戦うだけ。いい攻撃を与えられたら、タイミングよく引き下がって負けてくれ」

 コザックがカスミに説明した。

「わかったわ。魔物はどんな奴らがいるの?」

「グリフォンの子供から、ケンタウロス、ハーピー、それからデザートサラマンダーにヘイズタートル、グリーンタイガー、オックスロード、その日によって違うが、だいたいそんなところだ」

「その日によって違うっていうのは?」

「死んだら終わりだ。肉になって、スタッフが美味しくいただくことになっている。ケンタウロスやハーピーは夜用だから、あんまり無理させないようにな」

「夜用?」

 カスミは思わず眉間にしわを寄せた。

「ジョーから聞いてないか? 夜になったら、貴族のご婦人や金持ちたちが、ぬくもりを求めてやってくるんだ。あんたも気が向いたら、夜の大会に出るといい。かなり稼げるぞ」

 コザックが下卑た目でカスミの胸を見た。

「私はやめとく」

「いや、相手をしろってことじゃなく、もしかしたら魔物が暴れるかもしれないから、護衛がいると助かるんだ。報酬ははずむから考えといてくれ」

 なるべく早く海を渡りたいカスミは迷ったが、ひとまず昼のコロシアムを体験することにした。


 ジョーは御者のスタンに連れられて、臭いものが入った樽を運ばされていた。

「なんだこれは? 卵が腐ったような臭いがする」

「硫黄だ。近くの火山から採れる。お前が仕事を探してるっていうから、いろんな仕事を見せてやろうと思ってな」

「これがなんの仕事になる? コロシアムでは錬金術師でも雇っているのか?」

「そんなところだ。樽を馬車に詰め込んだら、その錬金術師たちのいる小屋に行くから、早くしろよ」

「はいはい」

 馬車に詰めるだけ樽を積み、スタンと共に海岸沿いをしばらく東へ向かい、森の中に入っていく。ジョーたちの家は北側なので、こちら側には来たことがない。

「届け先はずいぶん遠いんだな」

「遠いけどよ。お前、御者台にも乗らず、よく走ってるなぁ」

 馬車には硫黄の樽が満載なので、ジョーは馬車に並走している。

「下ろしもあるんだから、無理して体力使うなよ」

 スタンはジョーの体力を心配した。

「まぁ、コロシアムの英雄を奴隷にしたから、少しくらい体力ないと主人として格好がつかないんだ」

「えっ!? まだ、あのアマゾネスはお前んちにいるのか?」

「ああ、いるよ。逃げださずにな」

「お前、見かけによらず床上手なんだなぁ」

 スタンは感心した。

「いや、そう言うんじゃない。俺があんまりみっともないから、ちょっとの間いてくれてるんだろう」

「そうか? いやぁ、そんな甲斐性があるとはなぁ。どんな必殺技があるんだ? 回転舐めとか、地獄突きとか、あるんだったら教えてくれよ?」

 スタンは性の知識に関してどん欲だ。

「別にねぇよ」

 そのまま猥談を挟みつつ森の中を進み、一軒の小屋にたどり着いた。

 小屋は崖の上にあり、下には川が流れてる。


「おい、いるか?」

 スタンが小屋の中に声をかけると、法被を着た鮫肌の獣人が現れた。

「なんだスタンか。そっちの兄ちゃんは?」

「ジョーです。よろしくお願いします」

 ジョーが自己紹介すると、鮫肌の獣人は「ああ」とだけ挨拶を返した。

「最近、コロシアムの仕事を手伝ってる新人だ。奴隷の筋トレとかもやってる。そこそこの床上手だそうだ」

「いや、そんなんじゃないっす」

「なんでもいい」

 鮫肌の獣人はスタンの扱いに慣れているのか、とっとと荷台の後ろに回った。


「花火屋だ。コロシアムの開場や大一番のときに使う花火を作ってるんだ」

「ああっ! あれって魔法でやってるわけじゃないのかぁ」

 確かに打ちあがっていたが、あまり意識をしていなかった。ここは火気厳禁で、魔力なんて使った日にはどこで爆発が起きるかわからないってことだ。

「こいつらの家業さ」

「おい、兄ちゃん、走ってきたのか?」

 荷台の中を見て、花火屋がジョーに聞いた。

「ええ、その方が積めるんで」

「スタンの爺の猥談聞きながら?」

「ハハ、まぁ、そうです。あ、今俺が下ろしますよ」


 荷台から樽を下ろしていく。危険地帯につき、自然と言葉が丁寧になってしまう。

小屋から同じように法被を着た鮫肌の獣人たちが出てきて、樽を回転させながら中に運んで行った。

「スタンはもうすぐクビになるのか?」

 花火屋がジョーに聞いた。


「いや、そんなことはないと思いますけど……。なんでそんなこと聞くんですか?」

「あんた、ジョーって言ったか。あんたがいりゃ、一回で運べるじゃねぇか。スタンだけだったら馬車で何回も往復しないといけなかったんだ」

「そうなんですか。まぁ、今日は俺がふらふらしてて、ちゃんと仕事が決まらないから、いろいろ見せてくれてるんですよ」

「なんだ、そうか。臭い荷物運ぶ仕事で悪かったな」

 花火屋は自分のマスクをしながら笑った。

「いえいえ、コロシアムの時を告げる立派な仕事ですよ。危険手当はあるんですか?」

「多少だな。興味あるか?」

「興味はありますよ!」

「じゃ、ちょっと見てけ。どうせ時間はあるんだろ?」

「はい! ありがとうございます!」

 その後、ジョーは花火屋に案内されて小屋の中に通された。


 硫黄と木炭、硝石で黒色火薬を作るのは知っていたジョーだったが、本当に作っている現場は見たことがなかった。ちょっと配合によって色合いが変わるし、星を均一にしないとキレイに爆発しないそうだ。


「へぇー! 繊細で相当な技量が必要だ。本物の錬金術師なんですね!」

「まぁな。へへへ」

 一通り見せてもらって、外に出る。

「すみません、忙しいのに素人が邪魔しちゃって。ありがとうございました!」

 ジョーが頭を下げると、花火屋は「構わねぇよ」と手を振った。


「スタン、荷運びの時は、またジョーを連れてこい。一回で済むからな」

 花火屋は外まで見送ってくれた。

「月二回の仕事が増えたな」

「月二回じゃあ食べていけないよ。でも、いろいろ見れて勉強になった。顔と名前も覚えてもらったしな」

「俺のお陰だな」

「ありがとよ」


 帰りは荷台に乗った。すでに日が落ち始めている。

「配合の時に使う皿は消耗品か……」

 小屋の外には割れた皿の破片が転がっていた。

「ジョー。今夜はコロシアムの宴に行くのか?」

「いや、俺は行かねえ」

「奴隷が逃げてるかもしれないからな」

「ああ、奴隷に見捨てられないように、ちゃんと仕事考えないと」

 そう言って、ジョーは笑った。



 深夜、コロシアムの宴に顔を出したカスミは、かなり精神を削られていた。

「とっとと金を貯めて、こんな町から出てってやる!」

 そう捨て台詞を吐いて、森の野営地にコルビンを連れて帰っていった。

「そんな辛い仕事なのか?」

 ジョーがシズクに聞くと、「慣れない人には」と答えた。

「仕事ですから」

「そうだよな。簡単な仕事ばっかりじゃないよな」

 そこでようやくジョーは自分の臭いに気付いた。

「臭うな。今日、荷運びで……。すまん、飯の前に体洗うんだったな。臭かったろう?」

「いえ、いいんですよ」

「寝る前に、ちょっと洗ってくる」

 そう言って、ジョーは裏の井戸に向かった。

「背中、洗います」

 シズクもついて行って、ジョーの背中に声をかけた。

「いや、先に寝てていいぞ……」

「いえ、洗わせてください。奴隷の仕事ですから」

「そうか。じゃあ、頼む」


 月明かりの下、ジョーは今日あったことをシズクに話し始めた。


「明日、暇だったら割れた皿を直そうかと思うんだ」

「……はい」

 


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