第3話「古き友人」
「いってらっしゃいませって言い損ねた」
シズクはジョーの姿が見えなくなってからつぶやいた。
「病み上がりなんだから無理するなよ」とジョーには言われているが、本当に黙って寝ていたらいつ捨てられるかわからない。掃除くらいしないと。
そう思って箒で玄関を掃いた。
ただ竹の箒を握っていると、コロシアムで持っていた槍を思い出してしまう。
くるくると槍を回し演舞をしてから見栄を切れば会場が盛り上がった。今は軽い箒を槍に見立てて回すだけ。そんなことをしていたら余計玄関の埃を撒き散らしてしまった。反省。
家のなかに入り片付けようとしたら、そもそもあんまり物がなかった。地下室の木材はジョーがまとめて燃やすという。
「暇だ」
ジョーの洗濯物を見つけて、洗うことに。
裏の井戸で水を汲んで、洗濯板でゴシゴシ洗う。あとはギュッと絞って洗濯紐にかけるだけ。
あとは料理をして待っていたいところだけど、そもそも台所を使う許可が出てないし、食材もない。
洗濯物を干した小さな庭の草むしりでもしていよう。この家はジョーも買ったばかりだそうで、雑草が伸びっぱなしだった。
「雑草か……」
コロシアムで生活していると雑草を見ることがほとんどなかった。訓練所でも競技場でも奴隷たちが地面を踏みしめているので草は生えない。
「きっとこの雑草にも名前があるのに、私はなにも知らない。今度旦那様に聞いてみよう」
そう呟いた自分に驚いた。
ほんの数日前まで眼の前の敵を倒すこと、観客からの拍手を浴びることだけを考えて生きてきたというのに。ここには敵もいなければ観客もいない。ライバルに嫉妬する必要もなく、足を引っ張られることもない。ただ、ジョーと暮らしのことだけを考えればいいだけ。
「不思議だ。奴隷のままなのに、自由を感じてるなんて」
バウ……!
顔を上げると、野良犬がこちらを見ながら家の周りを歩いている。
人は獣と対峙するときに道具を使わなければ勝てない。コロシアムで散々酷い目にもあった。今、私の手には箒。
「来るか?」
私は槍を構えるように箒を構えた。
ガルルルル!
野良犬はいつでも飛びかかれるよう体勢を低くした。
「キエイッ!」
裂帛の気合いを放ち威嚇すると、野良犬は口を大きく開けて飛びかかってきた。持っていた箒の柄がその口の奥へと吸い込まれるように伸び、喉に突き刺さる。
ゴェエエッ!
野良犬は悶え苦しみながら、よろよろと立ち上がったが倒れて動かなくなった。
よく見ればガリガリに痩せこけた身体で、皮膚病を患っているのか毛が所々にしか生えていなかった。
「すまないことをしたな」
シズクは野良犬の動かない目を見ながら後悔した。
「コロシアム随一のアマゾネスが、随分と優しくなったものだ」
犬の死体が喋った。
「誰だ?」
「忘れたかよ」
その低いだみ声には聞き覚えがある。
「法術士の爺さんか」
「ヒッヒッヒ。覚えていたようじゃのう」
塀の上に猿のような爺さんが体を丸めてこちらを見ていた。気配もなく、顔はどこにでもいる皺だらけの爺さん。だが、目だけが鋭い。
シズクはこの爺さんに何度か助けられたことがある。自分のことを「法術士」と名乗り、奴隷としてコロシアムにも出場していた。戦術に長けていて、対人対魔物どちらの戦いでも連戦連勝。チーム戦では爺さんの言うとおりに動けばいつの間にか戦況はこちらに傾いている。
「コロシアムの戦術家」などと呼ばれ、夜には貴族の奥様方からも大人気だった。
数年前にコロシアムから忽然と消えてしまい、「主人を殺した」とか「砂塵とともに昇天した」などと噂が立っていた。
「なにしに来た?」
「迎えにな」
「迎え? 私はどこにもいく気などないぞ?」
「戦うために生まれてきた者が、平和に暮らせるものか」
「私はもうコロシアムの奴隷ではない。主人のものだ」
爺さんはふわりと跳び地面に降りると、杖でシズクの身体を打ってきた。とっさに持っていた箒で弾く。爺さんの攻撃は止まず、影から蛇を作り出してシズクに襲いかかってきた。
シズクは蛇の攻撃をことごとく箒で打ち据え、爺さんの喉元に箒を突き出した。
爺さんは杖で箒を弾いて、シズクから距離を取った。
「ほらな。心でどんなに思っていても身体は正直だ。アマゾネスの血が騒ぐだろう?」
「主人を守るため、この家の留守を預かっている者として当然のことだ」
爺さんは「ヒッヒッヒ」と笑った。
「そう抑えられるものか。平凡な毎日、退屈な日常、静寂、それらはお前の心を乾かせ、潤いを求めるように再び戦いに身を投じるさ」
「残念だが、それはない」
「今は新しい主人に惑わされているだけだ。いずれわかるだろう。また来る」
爺さんはそう言うと、後ろにあった塀をふわりと跳び越えた。
追いかけて塀をよじ登って見たが、すでに爺さんの姿は消えていた。
残ったのは野良犬の死体だけ。
◇
ジョーは仕事中、ずっと家に残してきたシズクがどこかへ逃げ出さないか不安だった。考えてみれば、傷が治って出ていかない理由がない。
そう思っていたが、次の日もその次の日もシズクは逃げ出さなかった。
「どこにも行く場所がないのか?」
独り言を口にしていた。
「お前なに言ってんだ?」
御者のスタンがジョーの顔を見た。
「いや、この前買った奴隷の話だ」
「奴隷は皆、行く宛なんかないだろ? だから奴隷なんだ」
スタンの言うことは正しいが、ジョーの不安は拭えなかった。おそらくシズクは自分の力を隠している。もし、本気を出せば、そこら辺の冒険者では太刀打ちできないはずだ。それはコロシアムの戦歴からもわかること。
個人成績55勝1敗。最後の試合は仲間をかばい、一人で大型の魔獣を相手にしたため負けた試合だったという。新人の奴隷たちは大した力はない。どんぐりの背比べだが、長く生き残っている者はそれなりに理由がある。
おそらくシズクもとんでもない力を持っているはずだ。そんな奴隷の主人が自分ってどう考えても力不足だろう。ジョーの眉間のしわが深くなった。
せめて飯くらいはちゃんと食わせないと、主人としての格好がつかない。護衛の仕事を終えて傷薬を道具屋や冒険者ギルドに持って行ってみた。反応は悪くなかったがほとんど買い叩かれてしまい、銅貨二枚にしかならなかった。仕方がないのだが、これでは副業にもならない。
「やっぱり料理屋とか港に行ってみようかな」
その考えが甘かった。料理屋では臭いと言って突き返され、港の漁師たちは試供品だからという理由で、無料で持っていかれてしまった。
顔は覚えてもらえそうだが、商売にならない。やはり冒険者をやめるべきじゃなかったか。
筋トレと護衛で得た金で串焼きと野菜炒めを買っていると、声をかけられた。
「ジョー? やっぱりジョーね? 会いたかった!」
それがカスミだった。前にジョーがいた冒険者パーティーの魔物使いで、やたらと胸がでかいダークエルフだ。
「カスミ、お前こんなところでなにをしてるんだ?」
「いや、あなたがあのパーティーを抜けた後、すぐに金銭トラブルがあってね。パーティー崩壊よ」
「え!? じゃ、もう冒険者はやめたのか?」
ジョーは驚いて、串焼きを落としそうになった。
「ううん、冒険者はやってるよ」
「そうか。カスミのテイムの能力は滅多にないから続けた方がいいぞ」
「ははっ、そう言ってくれるのはジョーだけ」
「いやいや、皆、カスミの能力には一目置いていた」
「皆が一目置いていたのは私の胸でしょ? リーダーに何度襲われそうになったか。止めてくれるジョーもいなくなったし、パーティーが崩壊してよかったのよ」
リーダーのアルは典型的なヒーロータイプだったが女癖が悪く、俺が止めていたこともあった。
「そうか、これからどうするつもりだ?」
「魔大陸に行くつもりよ。そのためにコロシアムで少し稼ごうかと思って」
コロシアムは奴隷と魔物が闘うメイン会場のほか、地下にある力自慢なら誰でも参加できるところもある。
カスミは毎日大きな魔物の世話をしているため、ジョーよりも腕力がある。それだけに嫌な予感がする。
「いやぁ、いいところでジョーに会ったわ。軽くいいでしょ?」
「今からか?」
ジョーが聞くと、カスミは頷いて笑った。
町外れの森に移動。
大狼の魔物であるフィンリルが巨木の下で大きなあくびをしていた。
「コルビン!」
ジョーがフィンリルに声を掛けると、周囲を見回し立ち上がった。本来、フィンリルは鼻はいいはずなのだが、この時期のコルビンは花粉症でつらそうだ。
コルビンは走ってきてジョーに飛びついた。白い毛玉が襲ってくるようなもので、まるで魔獣らしくはない。馬よりも大きい身体だが、これでもまだ幼体だ。魔物の寿命は長い。
小一時間ほど、ジョーはコルビンと遊び回った。
「なかなか私以外の人間に懐かないから、ジョーがこの街にいてくれて助かった。最近は移動ばかりで狩りのやる気もなかったんだよ」
カスミが小言を言ったが、当のコルビンは舌を出してジョーを見ている。
「やる気出せよ」
ジョーがそう言っても、コルビンはくしゃみをするばかり。
「花粉症が辛そうだな」
「そうなのよね。このままコロシアムに出たら危ないかなぁ。カプリのコロシアムってレベル高いんでしょ?」
「どうだろうな。うちにコロシアムの元英雄っていう奴隷がいるんだけど、話を聞いてみるか? まぁ、まだ逃げてなければの話だけど」
「ジョーが奴隷!? 珍しいわね。あんなにパーティーで荷物持ちの奴隷を持つことに反対していたのに。その奴隷って女?」
「そうだ」
「ふ~ん」
意味ありげにカスミはジョーを見た。
◇
「街には街の、コロシアムにはコロシアムの法があります。コロシアムで魔物が勝つ筋書きはありません」
シズクは端的に説明した。
「ああ、そっか……」
言われてみれば、そうだった。カスミはずっとうなっているコルビンの首を撫でた。
「でも、優秀な魔物使いは常に足りてませんから、その魔獣を出さないのであればお勧めします。悪い稼ぎではないと思いますよ」
シズクがカスミにそう言うと、「そうね」と返していた。
「カスミが働いている間、うちの地下ならまだ空いてるからコルビンを預かれるぞ」
ジョーが提案すると、カスミが頷いた。
「うん、ちょっと考えてみる」
カスミは見立てが浅はかだった自分を恥じた。
「森にはポイズンアナコンダがいるからな! 気をつけろよ!」
「ありがとう!」
森の野営地に戻るカスミを、ジョーとシズクは手を振って見送った。
「旦那様」
シズクが言いづらそうに切り出した。
「どうかしたか?」
「実は昼間、野犬が出まして……」
「大丈夫か?」
ジョーはシズクの身体を心配して、怪我がないか確認した。
「怪我はありませんが、その……箒がぽっきり折れてしまいまして」
折れた箒を見せた。
「箒で倒したのか……。すごいな。箒くらいすぐに直せる。気にするな」
「ありがとうございます」
「シズクがいて助かったよ。さ、飯にしよう」
「はい……」
夕日に照らされて赤くなったシズクの顔を、港町の涼しい風が撫でていった。




