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第2話「街と英雄」

 


「どうせ逃げだす奴隷を買ったと思ってるんだろう?」

 ジョーは日が落ちる前にコザックを捕まえ、酒場に連れていき酒を奢らせた。


「なんだ? コロシアムの英雄はもう逃げだしたのか? ジョーでもダメだったか……」

 コザックは文句も言わずにジョーのコップに酒を注いだ。含みを持たせた言い方が気になる。

「どういうことだ? 言い訳くらいは聞いてやる」

 白く濁った酒を呷ってコザックに顔を近づけた。


「あの女剣闘士はコロシアムでは負けなし。魔物とやり合っても多人数との戦いでも客を引き付ける天才だった」

「そうなのか? そんな剣闘士をどうして俺に売った?」

「コロシアムの職員として、いや、ファンとして、簡単に奴隷を使いつぶすような主人には売りたくなかったんだ。ジョーなら、傷くらい治してくれると思ってな」

「いや、治したぞ。いや、治したが、あれくらいの傷なら、時間をかければコロシアムの医療班でも治せただろ?」


 自作の回復薬が効くくらいだ。医療を修めている者たちが治せないはずがない。


「戦えない剣闘士に金を出す者はいない。治すには金が必要だ。あの女剣闘士の最後の戦いでは大勢の剣闘士たちが負傷した。本人から『私はこのコロシアムで充分に戦った。他の者を治してやってくれ』と言われたら、俺たちもそうするしかないだろ?」

「それでも死なせるわけにはいかなかった。だから俺に売ったのか?」

「そうだ。コロシアムが英雄を殺すわけにもいかない。お前に売るしかなかったんだよ」

「死ぬつもりだったのか……」

 ジョーは傷だらけのシズクの顔を思い出した。


「納得したか? なら、俺は帰るぞ。明日もコロシアムの仕事はあるんだからな。あの女剣闘士が逃げたのなら、コロシアムの客たちも喜ぶ。パトロンだった貴族にも言い訳が立つし、丁度いいときにジョーがいて良かったよ」

 都合よく使われただけらしい。

「おい、じゃあ、あの女奴隷を買った金は返してくれるんだろうな」

「どうせツケで買った奴隷だろ? まぁ、少し負けてやる」

「いや、逃げる奴隷の補償くらいはしてくれよ」

「おい、ジョー。買ったのはお前で、逃がしたのもお前だ。授業料だと思って、働け」

 そう言われると、確かに責任は自分にある。ジョーは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「くそっ」

 悪態を吐き捨て酒を一気に呷った。


「いや、期待はしてたんだぞ。冒険者の夢を諦めたお前なら、あいつの傷も癒せるかもしれないってな」

「傷なら癒したさ。ポイズンアナコンダの生息域に入って薬草まで取ってきたんだぞ」

「そうじゃねぇ。ここの傷だ」

 コザックは自分の胸を叩いて言った。


「あの女剣闘士は普通の生活を知らない。親に捨てられて子供のころからコロシアムにいたんだ。心許せる仲間も信頼できる主人もいない。強すぎて主人から毒を盛られることもあったくらいだ」

「一人で生きていけるのか?」

「お前でも一人で生きて残ってるんだ。お前よりも強いあいつなら自分でどうにかするだろうよ」

「……そうだな」

 強さと生き残れるかどうかは、また別の能力だ。それでも戦闘が強いなら、ある程度稼ぎ口もあるだろう。なんだったら冒険者になったっていい。名前とわずかな金さえあれば、なれるのだから。


「もっとカッコイイ名前をつけてやればよかった」

「お前、名前なんてつけたのか?」

「ああ、シズクって可愛らしいのを」

 コザックは眉を寄せてジョーを見てきた。

「いや、これからはあんまり戦いとは関係なく生きていってほしいと思ってさ」

「......そうか。まぁ、使うかどうかは本人の判断だからいいけどよ」

 名前なんかつけて浮かれてたけど、向こうはコロシアムの英雄だ。奴隷だったとはいえ、冒険者崩れのジョーとは格が違う。


「なんにも渡してやれなかったなぁ。革の鎧の一つでも買ってあげれば、後々恩でも感じてくれたかもしれないのに。どうして俺はいつも選択肢に気づかないんだろうなぁ」

 飲まなきゃやってられなくなってきた。

「まぁ、そう卑屈になるな。一晩でもコロシアムの英雄と過ごせたんだと思え。普通なら一晩金貨10枚はするんだからな」

「スタンが言ってたのはそういうことか。コロシアムじゃ、夜の商売が盛んなんだな!?」

「当たり前だろ? なんのためにお前に筋トレのコーチをしてもらってると思ってるんだ? お前の訓練生たちは夜のほうが稼ぐぞ」

 コロシアムの戦いで肉体美を見せて、夜に稼ぐのか。ジョーはこの街について何も知らない、とんだ甘ちゃんだったようだ。


「おめぇは何回言ったらわかるんだよぉ!」

 唐突にキッチンの方から怒鳴り声が聞こえてきた。

「あのなぁ、ここはキッチンで料理長は俺なんだ。いい加減、今の自分の立ち位置を認めて、とっとと手を動かせ! 嫌なら出てけ!」

 料理長らしき男が、身体の細いおっさんをぶっ飛ばしてるところだった。細いおっさんは悔しそうな表情で立ち上がり、店から出て行った。

「お騒がせして、すみませんね」

 料理長はそれだけ言って、何事もなかったようにキッチンへと戻った。


「最近、多いな。ああいう手合い」

 コザックが、ワインに口をつけた。

「細いおっさんの方か?」

「ああ、王都で仕事をしていた奴らが田舎なら稼げるだろうと思って、カプリに来るんだけど、プライドばかり高くて仕事にならない奴らさ。この前、王都の学校で魔法を教えてたっていう中年女を雇ったんだけど、なんにも仕事できなくてすぐにクビになってたよ」

「今までの自分を無駄だと思いたくないんだろうな。俺も同じだ。杵柄だけで飯食ってるんだから」


 筋トレくらい誰だって教えられる。過去の自分を捨てきれないでいる。儲かってるのは王都の一部。どこも不景気で仕事を変えなきゃ、食っていけない。人生の敗者に選べる仕事なんかないのだ。


「ジョー、お前はこれからだろ? 家も持って、奴隷を買って痛い目見て、商売始めて失敗する」

「なんだよ、商売やる前から俺は失敗してるのか?」

「当たり前だ。どうせ、お前は自分がやりたいことってなんだ? くらいしか考えてないだろ?」

 図星なので、言い返せない。

「いいか? 自分がやりたいことじゃなくて、この街に足りないものを探せよ。誰かに必要とされることで稼ぐんだ」

「そう言われても、この街にはなんでもあるじゃねぇか。ほら、ワインもあるし、コロシアムだってある。パンと見世物が充実していれば、足りないものなんて……」

「はぁあ、眼が曇っているな。世話の焼ける男だぜ。明日からもコロシアムに来い。それがわかるまでは雇ってやる」

「すまん。世話になる」

「いいさ、お前には借りがあるからな」

「あんなの大したことじゃない。昔の話だろ?」

「これも助け合い、だろ?」

 コザックはコップのワインを飲み干し、笑った。


「じゃあ、また明日」

 コザックとは店の前で別れた。ジョーが冒険者だった頃、コザックを助けたことがある。

 あれは雨が降る森の中だった。奴隷を乗せた馬車が魔物に襲われ、泥濘にはまり立往生しているのを偶然見つけた。ジョーは襲っている魔物を討伐。馬車を泥濘から出すのを手伝い、無事に街へと送り届けた。大した魔物でもなかったし、気まぐれで助けただけ。

「これも助け合い……、か」

 昔のジョーが助けた理由に困って発した言葉をコザックは覚えていたらしい。


 広場の噴水に、先ほど出て行った細いおっさんが呆けたように月を見上げていた。


「運がいいだけだな、俺は」

 月夜に伸びるおっさんの影が目に焼き付いた。


 家に帰り、魔石灯を点ける。

 昨日まで寝床で休んでいたシズクはもういない。

「広くなったな」

 頑丈な石の壁に地下室。何でもできそうだが、店をやるには人通りがなさすぎる。奴隷もいないので、一人でどうにか生活していくしかない。

「この街に足りないものねぇ……」

 コザックの言ったことを反芻する。

 考えたって、今のジョーにはわかりそうにない。とりあえず、寝てしまおう。


 ガラガラガラガシャンッ!


 まだシズクの匂いがする寝床に潜り込もうとしたら、地下から音が鳴った。

 さらに耳を澄ますと息遣いのような音も聞こえた。

 人がいない家に何かがいる。魔物か、浮浪者か。


 引っ越しの時、地下を見たが特に何もなく、蜘蛛の巣や壊れた椅子や机の板が散らばり、掃除もしていなかった。床には鉄を引きずったような跡があったため、牢屋か何かに使われていたのかもしれないと、ジョーは予測していた。


「牢屋に閉じ込められていた者の霊が魔物化したか?」


 ジョーは急激に酔いから醒め、全身に鳥肌が立った。霊の魔物になら回復薬が効くはず。武器はシズクに使った回復薬のあまりとナイフくらい。不審者なら、脅して立ち退かせる。魔物なら、自分一人では対処できないから、夜が明けたら冒険者ギルドにでも相談しよう。


 ジョーは覚悟を決め、魔石灯を持って、梯子を下りた。

 じめじめとした空気の中、奥の壁には松明が掛かっていて、地下室全体をぼんやりと照らしていた。

 地下室は地上で見えている母屋と同じくらいの大きさがある。かびと人の汗の臭いがこびりついている。


 松明の明かりの下には女がいた。女の目の前には板の山が崩れている。

「誰だ?」

 女が振り返ると、逃げだしたと思っていた奴隷がそこにいた。


「あ……おかえり、なさい。だんな……さま」

 シズクがまだ慣れない言葉を吐いた。

「シズク……」

「こんな夜更けになにをしてる?」

「夜更け? すみません。そんなに時間が経っているとは思っていませんでした。汚れていたので掃除をしていました」

「……そうか。動いて大丈夫なのか?」

「はい……」


 動いていいのに、なぜ逃げていないのか。ジョーの頭は混乱した。


「えっと……飯は食べたか?」

 ジョーの口からは、それくらいしか出てこなかった。

「いえ」

「わかった。もう掃除はいいから、ちょっと上で待ってろ」

 ジョーはどうしていいかもわからず、コロシアムの英雄の腹を満たすため、急いで梯子を上りコザックと飲んでいた居酒屋へと向かった。


「……はい」

 シズクは一人取り残され、ジョーに届かぬ返事をした。

「余計なことをした……?」

 コロシアムの奴隷と、一般的な家庭の奴隷は違うのかもしれない。シズクは掃除の手を止め、梯子を上った。

 昼からずっと地下にいたからわからなかったが、月がきれいな夜だった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 新作楽しみにしています。
[一言] 夏目漱石の書く日本の美しい世界感を感じる素敵な回だと思います。
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