第8話 再び鏡の国へ
緑深い森林を歩き始めて、どれくらい経っただろう。
どこまでも続いているように思える森林の中を歩くたびに紅葉の絨毯がサクサクという音を立てる。
この世界にも季節というものはあるらしく、一度目にこの世界にやって来た時は夏だったから、今は秋なのだろう。
四季の順番は私がいる世界と変わらないようだ。
「おやおや、一度、帰ったお姫様がまた迷い込んできたのかい〜?」
突然、頭上から聞き覚えのある声がして私は足を止めた。
そして、声がしたであろう頭上を見上げると、木の枝の上に座ってこちらを眺める紫色の髪に緑の瞳を持つ青年レナートがいた。
「レナート!」
「久しぶりだねぇ、アリシア」
「ええ、久しぶりね。元気にしていた?」
「勿論、元気だよ〜」
「そう、よかったわ」
久しぶりの再会に心が弾んだものの、ふと気になっていたことを思い出し、問いかけた。
「ねえ、シディスとはたまに会っていたりするの?」
私が白ウサギの名前を口にした途端、何故かチャシャ猫の表情がわずかに変わった。
いつもなら笑って誤魔化すはずの彼がしばらく黙り込んだのだ。
数秒の沈黙の後、レナートは腰を下ろしていた木の枝の上から立ち上がり、地面へと飛び降りてきた。
「えっ……!」
流石はチャシャ猫。
軽々と地面へと着地し、アリシアを見て無邪気な笑みを浮かべた。
「びっくりしたかい?」
「ええ、急に飛び降りるんだもの。びっくりしたわよ」
「あははっ、そうだよねぇ」
「ええ、それでさっきの話なのだけれど……」
「シディスは何も言わずに消えてしまったんだよ。でも、彼らしくない物を一つ残してたんだ」
レナートは自身の服の黒いジャケットのポケットから横長の白い封筒を取り出し、私に差し出してきた。
「これは……」
「これはね、彼が残した手紙だよ。普段、誰かに手紙を書くことなんて滅多にないんだよ。そもそも、シディスは文字を書くことが苦手だからね、めんどくさがり屋だしさ」
「読んでもいいの?」
「ああ、構わないよ〜」
レナートの返事に頷き返してから、私は封をそっと開け、中から二枚重ねの便箋を取り出した。
そして、便箋をゆっくりと開くと、そこには見慣れた几帳面な文字が並んでいた。
行方不明になった彼が、いったい何を伝えようとしていたのだろう。
私は胸の奥に込み上げる不安を押し殺しながら、一文字ずつ、その手紙に目を走らせた。
アリシア様、そしてチャシャ猫へ。
突然姿を消してしまったことを、どうかお許しください。本当ならば、きちんとお別れを告げるべきでした。
けれど、私にはどうしても確かめなければならないことがあるのです。
あの日、赤の国で起きた女王陛下の死について。女王陛下は衛兵に扮した侵入者の手によって命を落とされました。あの事件は、決して偶然に起きたものではありません。
私はずっと考えていました。
もし、陛下があのような最期を迎えずに済んでいたなら。もし、陛下があのような方にならずに済んでいたなら。
この国の未来は、少しでも違うものになっていたのでしょうか。
陛下がまだ幼かった頃、何があったのか。
なぜ、あの方は誰も信じられなくなってしまったのか。その答えを知るために私は過去へ向かうことにしました。
無謀なことだとは分かっています。過去を変えることが、未来にどのような影響を及ぼすのか。
私にも確かなことは何一つ分かりません。
それでも、確かめずにはいられないのです。
アリシア様。
もし、あなたがこの手紙を読んでいるのなら、どうか私を探さないでください。
これは、私自身が選んだことです。
あなたまで危険に巻き込むわけにはいきません。……と、申し上げたいところですが。
あなたがこの手紙を読んでいる時点で、そのお願いは聞き入れられていないかもしれませんね。まったく、困ったお方です。
けれど、もしあなたが本当に私を追ってくるのなら、一つだけ覚えておいてください。
過去に起きたことには、必ず理由があります。
そして、未来を変えようとする者にもまた、相応の覚悟が必要なのです。
どうか、あなた自身の未来まで見失わないでください。
最後に。チャシャ猫へ。
私の懐中時計を勝手に持ち出していないでしょうね? もし持ち出していたら、帰還した際に返していただきます。一秒たりとも遅れずに。
それでは、またいつか。
白ウサギより
「過去へと向かったってどういうこと? シディスはいついなくなったの?」
「シディスが姿を消したことに僕が気づいたのはアリシア、君がこの世界から現実世界へと帰還してから5日経った頃だよ」
「なんですって!?」
レナートの話しによると、私が元の世界に帰還してから5日経った頃、レナートはシディスがいる家へと訪れたようだ。
しかし、いつものように家の扉を三回ほどノックしても、中から返事が返ってくるも、ドアが開かれることはなかったらしい。
不審に思ったレナートは、開いたままになっていた窓から家の中へと入ったそうだ。
けれど、家の中にシディスの姿はなかった。
仕方なく帰ろうとしたそのとき、ふと机の上に目を向けると一通の白い封筒が置かれていることに気づいたという。
それが、行方不明になったシディスが残していった手紙だったのだ。
「まあ、そういう訳だから、シディスはもうここにはいないんだよ〜」
「探す気はないの?」
「探すって、情報は過去に向かったことしかないのにどう探すんだい? 過去と言ってもどの年代かもわからないのに」
「確かにそうよね……」
限られた情報しかない今の状況でシディスを探すのは確かに無理がある。
けれど、このまま何もせずにいるのも腑に落ちない。だからといって、闇雲に探し回ったところで見つかる保証はどこにもない。
私は手元の手紙に視線を落とした。
彼が過去へ向かったというのなら、きっと何か理由があるはずだ。
せめて、その理由だけでも知りたい。
そう思わずにはいられなかった。
「とりあえず、今ある情報を紙に書き出して整理しましょう。シディスはきっと、今は亡き女王陛下があのような人間性になる前の過去へ向かったのだと思うわ」
「そうかもしれないねぇ」
「ええ、それでレナート、シディスを探すのに協力してくれるわよね?」
「ああ、もちろんだよ。アリシア」
レナートの力強い返事に、私はほっと胸を撫で下ろした。
こうして、二度目のこの世界で私とレナートによる白ウサギ探しの日々が始まったのだった。




