第09話:チャンネル
放送は、昼休みの真ん中で、続きから鳴った。
「――ください。繰り返します。下校時刻です」
誰も顔を上げなかった。
昼休みだ。下校時刻のはずがない。だが生徒たちは弁当を広げたまま笑い、喋り、何も聞いていない。
放送だけが、昨日の放課後の切れ端を引きずっていた。
混線は、俺の中だけで起きているのではない。世界の側でも進んでいる。
俺は廊下に出た。
行き先は決めていなかった。それなのに、足は迷わなかった。
音楽室の扉は、開いていた。
彼女は窓際に立って、外を見ていた。校庭では、投げ上げられたボールが、まだ空中で止まっている。
「来ると思った」
「呼んだのか」
「呼んでない。……でも、聞こえたでしょう」
聞こえていた。声ではない。方角だけが、ずっと分かっていた。
彼女が振り向く。
その瞬間、流れ込んできた。
白い廊下。高い天井。俺の知らない場所なのに、床のつなぎ目の数まで知っている。大人たちの背中。書類。閉じたままの扉。扉の向こうから聞こえる、対象は、対象の、対象を、という声、声、声。
膝をつきそうになった。
これは俺の記憶ではない。
なのに、俺の恐怖として、胸が冷えている。
「ごめんなさい」
彼女が小さく言った。
「見せるつもりじゃなかった」
「……こっちも、見せているのか」
「うん」
彼女は自分の両腕を抱いた。
「砂の匂いがする。無線の音。重いものを、ずっと構えてる。あなたの手、本当はこんなに細くない」
俺は自分の掌を見た。高校生の、白い手。
だが彼女が見ているのは、この手ではない。
武器ではない。
俺はそう理解した。炎も雷も出ない。照準もなければ、弾道もない。
ただ、座標が合っていく。
俺という位置と、彼女という位置が、少しずつ重なっていく。相手の記憶の岸に、自分の足が浸かる。どこまでが俺で、どこからが彼女なのか、境界線が水面のように揺れる。
軍にこんな訓練はない。
こんなものに、名前を付けていいのかも分からない。
だが現実側は、付けていた。
『チャンネル形成を確認』
研究主任の声だった。今日も、その声だけが濁りなく届く。
『被験者、現状を維持。観測条件を崩すな。感情接触は――そのまま。全て記録しろ』
記録。
その言葉が、なぜか白い廊下の声と同じ響きに聞こえた。
『バイタル、警告域です。継続は――』
管制官の声は、そこで砂に埋もれた。
彼女が顔をしかめた。
半秒遅れて、俺の左腕に熱が走る。赤い筋が、袖の下で脈打っている。
俺より先に、俺の痛みを感じている。
「平気」
彼女は言った。俺が何か言う前に。
「まだ、平気。だから――もう少しだけ」
彼女は目を閉じた。
座標が、深く重なる。
白い廊下の奥。閉じたままの扉。その前に、彼女は何度も立っている。何度も。同じ服で。同じ高さの目線で。時間だけが違う。
扉の向こうに、誰かいる。
声がした。
低い、抑えた、命令に慣れた声。
「次は、彼女を見捨てろ」
俺は息を止めた。
その声を、俺は知っている。
毎日、聞いている。
俺の声だった。
そんな言葉を、俺は言った覚えがない。
言った覚えがないのに――「次は」とは、何だ。




