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第03話:再侵入

処置室には、寝台が二つ並んでいた。


前に来た時、この部屋に台は一つしかなかった。増えた一つに、彼女が横たわっている。白い病衣。細い腕に電極。俺と同じ配線が、俺と同じ機械へ伸びている。


「観測条件を確認します」


主任の声は、いつも通り平坦だった。


「接続残存により、導入は前回より浅くなります。照合は、接続確立後。以上です」


以上です、で本当に以上だった。質問の余地を与えない話し方にも、もう慣れた。


「十七号、脈拍安定。……保護対象、脈拍やや速いですが、許容域です」


管制官が二人分の数値を読み上げていく。二人分。その響きだけが、前と違った。


寝台に上がるまでに、俺は二度、足をもつれさせた。リハビリは終わっていない。この身体は、まだ廊下の端まで走ることもできない。それでも、ここに寝ているのは命令ではなかった。俺が自分の手で書いた、あの歪んだ署名の続きだった。


背骨に沿って、細い針が入っていく感覚があった。覚えのある冷たさだった。前は、この冷たさを一人で数えた。カウントの声を一人で聞いて、一人で落ちた。


今は、隣で同じ機械が同じ音を立てている。


彼女がこちらを向いた。電極のコードが、白い首筋で揺れた。何も言わなかった。ただ、小さく頷いた。俺も頷き返した。それだけで、済んだ。


「意識同期、臨界に入ります」


「開始まで、五」


目を閉じる直前、彼女が先に目を閉じるのが見えた。


「四」


俺も閉じた。


「三」


瞼の裏に、廊下。


「二」


窓。青空。校庭。


「一」


遠くで、誰かの笑い声。


世界が、裏返った。



きんこんかんこん。


間延びしたチャイムの音で、俺は顔を上げた。


頬に、木の感触。鼻先に、削れた鉛筆の匂い。机に突っ伏していたらしい。顔を上げた先に、横長の窓、白いカーテン、整列した机。


教室だった。


制服。細く白い手。若い身体。何もかも、あの時と同じだ。チャイムは授業の終わりを告げたらしく、教師が教科書を閉じ、生徒たちが一斉に伸びをしたり、椅子を引いたりし始めている。


同じ再演。同じ檻。


そう身構えかけた俺の、すぐ右で、椅子の鳴る音がした。


隣の席に、彼女がいた。


制服姿で、机に手をついて、ゆっくりと身体を起こしたところだった。長い黒髪が、肩から滑り落ちる。彼女は自分の手を一度見て、それから、俺を見た。


前に来た時、彼女はこの教室にはいなかった。四階の、名前のない席にいた。今は、隣にいる。世界の配置が、変わっている。


「……覚えてる?」


彼女が先に、小さな声で言った。


「覚えてる」


俺は答えた。


「署名した。二人で戻ると決めた。ここまでの全部だ」


「わたしも。……全部」


それだけの確認だった。だが、それだけで、胸の内側の強張りが一段ほどけた。前は、この教室で目覚めた瞬間から、確かめ合える相手が一人もいなかった。記憶が本物かどうかさえ、自分一人で抱えるしかなかった。


今は、隣に証人がいる。


教室の生徒たちは、あの頃と同じ密度で騒いでいた。あくびも、私語も、よそ見も、見本帳から配られたような、ちょうどいい散らばり方。一人で見ていた時は、その整いすぎだけを手がかりに立っているしかなかった。今は違う。俺が違和感を見つけるより先に、隣の視線が同じ場所で止まっていることがある。答え合わせのできる違和感は、恐怖の質を少しだけ変える。


安堵に浸りかけて、俺はやめた。ここは、安堵していい場所ではない。


黒板の上へ、目を上げる。


白い文字盤の時計。針は十時を指している。それも同じだ。だが。


秒針が、動いていた。


かち。


……かち。


遅い。正しい一秒よりも、明らかに遅い。一目盛り進んでは、次の一目盛りの手前で引っかかり、迷うように震えてから、また進む。止まった時計でも、正しい時計でもない。歩き方を思い出しかけている時計だった。


「動いてる」


彼女も見ていた。


「前は、ずっと止まってたのに」


「ああ。……最後に、一目盛りだけ動いた。それの続きかもしれない」


断定はしなかった。この空間で断定は、たいてい裏切られる。


彼女が、先に立ち上がった。


「名簿、見に行こう」


「名簿?」


「確かめたいの。わたしの欄が、まだ空白かどうか」


俺が段取りを組むより先に、彼女は歩き出していた。前に来た時、彼女は現れて、消えるだけの存在だった。廊下の奥に立って、瞬きの間にいなくなった。その彼女が、いま俺の前を歩いて、扉を開けている。


職員室脇の掲示板は、同じ場所にあった。


クラス名簿。出席番号順に、名前が並ぶ。俺は上から目で追った。


空白は、あった。


三十二番。彼女の欄。最初から何も書かれていない、あの空白のままだ。


そして、もう一つ。


別の番号の欄が、空いていた。


前に見た時、そこには名前があったはずだ。この教室の誰の名も勝手に覚えてしまう俺の頭が、その欄の名前だけを思い出せない。番号から座席を辿ると、窓から三列目、後ろから二番目——俺が今朝、突っ伏して目を覚ました席に、当たるように見えた。


見える、だけだ。座席表の読み方が正しいのか、確かめる術はまだない。


「二つに、なってる」


彼女が呟いた。


俺は頷くだけにした。一つの意味も分かっていないのに、二つの意味を推理しても仕方がない。ただ、腹の底に、冷たいものが一枚増えた。


「戻ろう」


言ったのは、また彼女だった。


「もうすぐ昼休みが来る。……見ておきたいもの、あるでしょう」


筋書きを、彼女も覚えている。あの繰り返しの中で、同じ回数を数えてきた一人として。


昼休みのチャイムが鳴ったのは、教室に戻った直後だった。


きんこんかんこん。生徒たちが一斉に動き出す。弁当を広げる者。購買へ駆ける者。机を寄せて輪になる者。


知っている風景だった。何度も見た。この後に何が起きるかも、順番ごと覚えている。


窓際の二つ後ろの席。あの生徒が、弁当の包みを解き、蓋に指をかける。


俺は見ていた。彼女も、いつのまにか同じ方向を見ていた。


蓋が、指から滑る。


落ちる。からん、と乾いた音がして、周りが笑う。何十回と繰り返された、筋書き通りの——


落ちなかった。


滑った蓋を、その生徒のもう片方の手が、机の縁で押さえていた。本人は何事もなかったように蓋を置き、箸を割っている。笑い声は、起きない。起きるはずだった場所に、ただの昼休みの雑音が流れている。


落ちるはずだった。


俺はそれを、確信として知っていた。この世界の筋書きに、あの蓋は落ちると書いてあった。何度も見た。一度も外れたことがなかった。


隣を見る。


彼女が、同じ顔をしていた。

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