四十話 こんな物!!
指を自ら切り落とす描写、自殺をしようとする描写があります。十五歳以下の閲覧は御遠慮ください。また、苦手な方はお気をつけください。
「絶望値が百になってしまうなんてさ。ほら、見てごらんよ。この黒さ。とてもじゃないが、食べる気になれない」
ロイは、ガラス玉を見つめていた。
その中は、真っ黒だった。
光なんてどこにもない。
あれほど眩しかったものが、今は濁りきって、底の見えない泥みたいになっている。
その黒さよりも、別のことが気になっていた。
「前回の世界で、魔王に殺された人たちが、今回、幽霊みたいになってたけど……あれは何?」
「ん? ああ、抜け殻だね」
軽く返された言葉に、思考が止まる。
抜け殻?
「抜け殻って何?」
「気になるのかい? まあ、話してもいいか」
当たり前だ。
聞かないでいられるわけがない。
まるでお菓子の説明でもするみたいな口調で言った。
「あれは、希望の光に味をつけるための抜け殻だよ」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「味……?」
「ほら、人間も食事をする時に味付けするだろう? それと同じさ。人間の魂を抜いた肉体で、希望の光に味をつけるんだよ」
キルアさんたちは、ヴァルハラの皆は、そのために殺されたのか。
魔王の場所にはスキルを持ち込めない、人間は、まともに抗えない、つまり最初から、殺されるために。
そこで、前に言っていた言葉を思い出した。
贄が必要。
私が人を殺せないから、モンスターを贄にすればいいと言っていた。
でも、本当は違った。
最初から猫は、人間が死ぬように仕組んでいた。
キルアさんたちは、贄にされたんだ。
その瞬間、腹の底から怒りが噴き上がった。
ロイを睨みつける。
ロイは、そんな視線を気にした様子もなく、続けた。
「今回の世界にあれがいたのは、その世界線に魂が固定されているからだろうね。君がまたあの世界を望めば、きっと現れるよ」
私が望めば、また会える。
その言葉に、ほんの少しだけ救われた気がした。
「今回の人たちを解放してあげて」
「それは無理なんだよね」
「なんで……?」
「僕は、その世界に人間を転送することはできる。でも、閉じ込めたのは僕じゃないからさ」
意味が分からない。
お前がやったんだろ。
叫びたかった。
「君だけは、現実に戻れる。だけど君が現実に戻る時、その世界には鍵がかかるんだ」
「鍵……?」
「そう。ロックされる」
頭が追いつかない。
分からないまま、それでも一番大事なことだけを聞いた。
「どうしたら、皆を解放できるの?」
ロイは少しだけ目を細めた。
「普通は解放されないよ。永遠にね」
その言葉だけで、十分だった。
もう、それ以上聞きたくなかった。
けれど猫は、楽しそうに続きを口にした。
「ただ、例外が一つだけある」
顔を上げる。
「閉じ込めた張本人が死ねば、解放されると思うよ」
閉じ込めた張本人。
君だよ、と猫は笑った。
「まあ、君に死なれると本当に僕が困るから、そんなことはさせないけどね」
私が死ねば、解放される。
その瞬間、頭の中で何かが音を立てて切れた。
私は立ち上がり、そのままキッチンへ向かった。
包丁を掴んで、部屋へ戻る。
「死ねええええ!!」
叫んで、斬りかかった。
けれど刃は、ロイの体をあっさりとすり抜けた。
「無理だよ。僕を切ろうだなんて」
その時、右手の小指が目に入った。
契約の印。
こんな物。
「こんな物!!こんな物!!こんな物おおおお!!」
半狂乱になって叫びながら、小指をテーブルの上に押しつけた。
左手で包丁を握る。
そのまま、全体重を叩き込んだ。
ぶつり、と嫌な感触が走る。
次の瞬間、血が勢いよく噴き出した。
「グッウウウ……」
激痛に耐えきれず、包丁を取り落とす。
切断面を左手で押さえる。
熱い血が指の隙間から溢れ、ぽたぽたとテーブルに落ちていく。
「そのままだと、死んでしまうね」
ロイがのんびりと言った。
「傷だけ治してあげるよ」
その声と同時に、痛みがふっと消えた。
荒い息を吐きながら、小指を見る。
傷口は塞がっていた。
けれど、テーブルの上には、私の小指だったものが転がっている。
そして契約の印は、切り落とされたはずなのに、まるで嘲笑うみたいに、宙に浮いてそこにあった。
それを見た瞬間、私はもう一度包丁を掴んだ。
「死んでやる……死んでやる!!」
「駄目だよ。しょうがないね」
ロイはそう言って、シルクハットを撫でた。
私は喉めがけて、包丁を思いきり突き立てる。
ぐにゃり、と刃が曲がった。
まるでゴムだった。
「……え?」
信じられなくて、もう一度刺す。
胸。
首。
何度突き立てても、刃は柔らかく曲がるだけで、皮膚ひとつ破れない。
「死にたい!!死にたい!!死なせろ!!死なせろおおおおお!!」
叫んだ。
叫んで、叫んで、叫び続け。
最後には、その場に崩れ落ちていた。
「うう……」
泣き声が、止まらなかった。




