三十六話 キルア ヴァルハラ
メインクエストのある街や洞窟、神殿を、私はひたすら駆け抜けた。
途中で船に乗った時は、案の定、あの時と同じように船酔いした。甲板の端で吐きながら、四人で揃って気持ち悪くなっていた時のことを思い出す。あまりにもくだらなくて、少し笑ってしまった。笑いながら吐くなんて、我ながらひどい顔をしていたと思う。
山道に入ってしばらく進んだ頃だった。
木陰で休んでいる大勢の人影が見えた。何気なく目を向けて、心臓が、大きく跳ねた。
頭の上に浮かんでいたクラン名は、
『ヴァルハラ』
息が止まりそうになった。
まさか、と思いながら、おそるおそるその人たちに近づいていく。
すると、そのうちの一人がこちらに気づいて目を丸くした。
「お?うさぎじゃん」
聞き覚えのある声だった。
その瞬間、もう駄目だった。涙が勝手に溢れてきた。
「何で泣いてんだよ」
「リンクに何かされたか?」
いつもの調子で言葉が飛んでくる。
本当に会えた。そんなはずないと思っていたのに、本当に。
慌てて涙を拭いながら、震える声で訊いた。
「キルアさんは……?」
「こっちだ」
案内されるまま、その人のあとをついていく。
少し進んだ先に、見覚えのある後ろ姿があった。誰かと話していたらしく、ちょうどこちらに背を向けている。
「キルア!」
呼ばれた声に反応して、その人が振り返る。
私の姿を見たキルアさんは、少し目を見開いてから、いつものように笑って手を上げた。
「うさぎちゃん。どうしたんだ?」
その顔を見た瞬間、胸の奥に溜まっていたものが一気にこみ上げてきた。
何も考えず、ただキルアさんに向かって、抱きついた。
はずだった。
けれど、私の体は、そのままキルアさんをすり抜けた。
勢いのまま地面に倒れ込み、何が起きたのか分からないまま顔を上げる。
キルアさんは、困ったように頭をかいた。
「……まあ、そういうわけだ」
意味が分からなかった。
すり抜けた。今、確かに。
目の前にいるのに、触れられなかった。
「キルア……さん……?」
自分でも情けないくらい、かすれた声が出た。
キルアさんは少しだけ表情を和らげると、近くの岩を顎で示した。
「ま、座ろうか」
私たちは岩に腰を下ろした。
ヴァルハラの皆も、その周りに黙って座る。
皆、どこかおかしかった。
いつもの騒がしさがなかった。
「キルアさん……?」
私がそう呼ぶと、キルアさんは少し視線を落としてから口を開いた。
「何て言えばいいのかな。俺たち、魔王に殺されたよな?」
私は、声が出なかった。
「気づいたら街にいたんだ。で、妙だと思って色々試したら、武器は持てねえし、まともに触れねえしでな」
「……」
「死んだまま、この世界にいるんだって分かった」
キルアさんは苦く笑った。
「マテリアルライズを使えば、少しの間だけ実体化できる。だからそれで誤魔化しながら、ここまでクエストを進めてた」
「記憶は……?」
「ある。全部な」
その言葉が、胸に重く落ちた。
私は怖かった。
全部話したら、キルアさんたちにどう思われるのか。
それでも、もう黙っているわけにはいかなかった。
猫のこと。
この世界のこと。
前の世界のこと。
リンクたちのこと。
希望値と絶望値のこと。
全部、話した。
話し終わるまで、誰も口を挟まなかった。
長い沈黙のあと、キルアさんがじっと私を見た。
責められると思った。怒鳴られるかもしれないと思った。
けれど、キルアさんは小さく息を吐いただけだった。
その後、ヴァルハラの皆は、それぞれ俯いた。
リンクたちが食べられたことを聞いて、泣き出す人もいた。
しばらくして、キルアさんが手を伸ばした。
私の頭を撫でようとして、その手は少し手前で止まった。
触れられないのだと、そこで改めて思い知らされた。
「で?」
キルアさんは言った。
「どうすればいい?」
唇を噛んでから答えた。
「魔王を、味方にしたいです」
キルアさんの顔が、はっきりと曇った。
「魔王を?」
「う、うん」
返事を待つ間が、ひどく長く感じた。
「無理だろ」
キルアさんは低く言った。
「あいつは俺たちの敵だ」
「私は、キルアさんたちの敵ですか?」
「そんなわけないだろ。うさぎちゃんは仲間だよ」
「今の私には、部下がいます」
「部下?」
「その部下は、敵ですか?」
「違う。仲間だ」
「その部下が、魔王です」
「は?」
モンスターもボスも全部自分に従うこと、絶望値を百にしなければいけないこと、そのために魔王まで利用するつもりだということを、できるだけ順を追って話した。
キルアさんは途中で何度も渋い顔をした。
けれど最後まで聞き終えると、頭を掻いて、ふっと笑った。
「……ほんと、うさぎちゃん、取り引き上手くなったな」
「そうですか?」
「気に食わねえけど、理屈は分かった。しゃーねえ。やるか」
「キルアさん……」
「ただし、魔王が仲間ってのは最後まで慣れねえからな」
何度も頷いた。
「ありがとうございます。必ず、キルアさんたちを助けます」
「俺たち、もう死んで魂だけの存在なんだけどな」
キルアさんは冗談めかして笑った。
「笑えません」
「だよな」
それから私は、今後の計画を全部話した。
ヴァルハラの皆は、ただ真面目な顔で聞いていた。
キルアさんたちに肉体がないのは、ある意味では都合がよかった。
全力でスキルを使っても、もう壊れる体がないからだ。
話し終えると、キルアさんが立ち上がった。
「分かった。じゃあ街に戻るか」
「うん」
「で?」
キルアさんが、にやりと笑う。
「喧嘩は、どう売るつもりなんだ?」
そこで固まった。
「……まだ、そこまでは」
「考えてねえのかよ」
周りから、久しぶりに小さな笑いが漏れた。
キルアさんは肩をすくめる。
「しゃーねえ。そこは俺たちに任せな」




