三十四話 絶望値へ
暫く、クランのホームで一人で過ごしていた。
ほとんど、ソファに寝転がっていた。
ロイが居ない世界は、こんなにも平和なのかと、しみじみ思う。
次に何をするのかは、もう決めていた。
だから、ゲーム世界を選んだ。
希望を上げれば、猫に食べられる。
なら、選ぶべきは絶望だった。
絶望値を百にして戻れば、この世界に囚われた人たちがこの先どうなるのか、私には分からない。
見捨てることになるのかもしれない。
それでも、怖かった。
人を殺せと命じられることが怖い。
それ以上に、左腕を切断されたあの瞬間を、もう一度味わうのが怖かった。
腕がなくなった時の、あの激痛。
血の気が引いて、息もできなくなって、頭の中が真っ白になったあの感覚。
思い出すだけで、身体が震えた。
私は最低だ。
自分が怖いから、自分が痛いのが嫌だから、この世界に来た人たちを犠牲にしようとしている。
正しいことなんて、本当は分かっていた。
けれど、分かっていても選べなかった。
自分を選んだ。
街に戻ると、始まりの館へ向かった。
選ぶ職業は、最初から決まっている。
シーフ。
職業マスターに話しかけると、前と同じように専用スキルが用意されていた。
それを受け取ると、そのまま街を出た。
やるべきことは決まっている。
まずは、メインクエストを進める。
けれど、進めるうちに、すぐに異変に気づいた。
モンスターが、まったく襲ってこない。
最初は偶然かと思った。
けれど違った。
近づいても、目の前を横切っても、モンスターたちはこちらを見ようともしない。まるで、最初から私なんて存在していないみたいだった。
それでも、ナイフ乱舞を使ってモンスターを倒していった。
シーフのスキルを集めるためだ。
襲ってこない相手を、一方的に殺していく。
奇妙な感覚だった。
そして、メインクエスト序盤の中ボスを倒しに洞窟へ向かった時だった。
奥の部屋に足を踏み入れた瞬間、待ち構えていた中ボスが、いきなり口を開いた。
「詩韻兎様、お待ちしておりました」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「……え?」
「お待ちしておりました」
聞き間違いじゃない。
私は警戒しながら、そっと問い返した。
「あの……待っていたって?」
「はい。あなたの言葉に従うよう、プログラムされています」
その言葉を聞いた瞬間、ロイの言っていたことが頭をよぎった。
『私に都合のいい世界』
ああ、そういうことか。
「私の言葉に従うって……?」
「はい。何でもご命令ください」
何でも、と言われても困る。
そんなふうに急に言われたって、すぐに何か思いつくほど頭が回る方じゃない。
昔から、会話がぽんぽん続く人を見るたびに思っていた。
どうしてそんなに次から次へと言葉が出てくるんだろうって。
会社にもそういう子がいて、少し羨ましかった。
頭の回転が速いんだろうな、と。
けれど、その“何か”を思いつけずにいた。
中ボスは、黙ったまま立っている。
私が口を開くまで、一歩も動かない。
その場に座り込んで、しばらく中ボスを眺めていた。
本当に、何を言っても従うんだろうか。
ふと、くだらない考えが口をついた。
「……死ねって言ったら?」
「かしこまりました」
「え?」
次の瞬間、中ボスは迷いなく自分の剣を持ち上げ、そのまま自分の胸に突き立てた。
肉を貫く鈍い音がして、巨体がその場に崩れ落ちる。
呆然と立ち尽くした。
視界の端で、クエスト更新のウィンドウが開く。
本当に、従った。
この世界は、私にとって都合がいい。
猫の言っていた意味が、ようやくわかった気がした。
私は部屋を出て、近くにいたモンスターへ声をかけた。
「死んで」
モンスターは一瞬も迷わなかった。
自分で自分の首を掻き切り、倒れた。
別のモンスターにも命じる。
同じだった。
また一体。
また一体。
みんな、当たり前みたいに死んでいく。
はっきりと確信した。
たぶん、魔王ですら、私の言葉に逆らえない。
そこまで考えた瞬間、妙なおかしさが込み上げてきた。
……それじゃあ、魔王って私じゃん。
そう思った途端、腹の底から笑いがこみ上げた。
気づけば声が漏れていた。
「あははは…」
洞窟の奥はしんと静まり返っているのに、笑い声だけがいやに響く。
倒れたモンスターたちまで笑ったような気がした。
けれど、笑っている場合じゃない。
この状況は、間違いなく有利だ。
だったら、利用しない手はない。
問題は、この世界で、どうやって絶望値を上げるかだった。
モンスターが従う。
どこまで、従うのだろう?と考えた。
試すしかない。
私は、洞窟を出ると、クエストを終わらせて、更にメインクエを進めた。
また、ボスまできた。
次は、神殿の中のボス。
ここのボスも、同じ台詞を言ってきた。
「私の言葉全てに従うの?」
「はい。その様にプログラムされています」
「街を破壊して」
「分かりました。何処の街か言ってください」
「今のはなし」
「分かりました」
そんな事まで……。
暫く考えた。
街の破壊を命令出来るなら……。
あの時のイベント、私が英雄になるイベントを作り出せる。
次は、モンスターを率いて、街を攻撃するフリをすれば……。
しかし、どうやって、モンスターを率いるのを皆に見せる事が出来るか?
魔王戦では、中継される。
そこで、魔王に私が操られる姿を見せる。
しかし、この世界にいる皆に、私の強さを初めに見せる必要がある。
もう一つ問題がある。
魔王の場所では、魔王を倒すまで帰れない。
魔王を倒すと、そのまま現実世界へ…。
どうやって街に戻るか?
全ての言葉に従う?
ボスに聞いてみる。
「私を攻撃して」
「詩韻兎様をどんな理由でも攻撃してはならないとプログラムされています。あなたの言葉でも」
「制限がある?」
「はい」
「じゃあ、私を襲って」
言葉を変えてみたが無理だった。
しかし、違う事は可能だった。
「私と、戦闘の練習をして?合図をすると、攻撃してきて?ただし、私を殺さない事。これは、あくまで演習」
「分かりました。演習を開始します。合図をお願いします」
これならば、計画に組み込める。
そして、おそらく無理だろうと思ったが、一応聞いてみた。
「私を、始まりの街に転送して?」
「かしこまりました」
次の瞬間、街の中央広場にいた。
そこに居た人達が驚いていたが、気にする事なく、クランホームに戻った。
ソファに座ると、計画を練る。
転送ができた。
魔王もおそらく?
全てのボスで試す必要がある。
そして、大事な事はこの世界の皆に、私の強さを認めさせる事。
私は、計画を練った。
後は、計画通りに行動するだけ……。
ソファから立ち上がると、誰もいない一人だけのホーム。
「行こー!かなり!行くぞー!」
そう叫んだ瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
誰もいないはずなのに、直哉のあのダサいナレーションが聞こえた気がした。




