三十話 猫と希望の光
「どうだい? この人間の希望は。美しいだろう?」
猫はそう言って、バスケットボールほどの大きさのガラス玉を見つめた。
その中に、私たちはいたのか。
そう思うと、ひどく不思議な気持ちになった。
けれど、猫の言う通りだった。
ガラス玉は、きらきらと、真っ白な光を放っている。まるで、内側から輝いているみたいに。
私はそれをちらりと見て、慌ててポケットに手を突っ込んだ。
あった。
取り出したメモには、リンクたちの携帯番号が書かれている。
猫はそれを見ると、にこにこと笑った。
「どうだい? そのメモ、役に立ったかい?」
「うん……」
それだけ答えて、私はベッドの上に置いてあった携帯を手に取った。
震える指で、リンクの番号を登録する。
華菜、直哉、そしてキルアさんの番号も。
途中で、視界が滲んだ。
涙が、勝手に落ちてくる。
最初に電話するなら、リンクだと思った。
華菜はきっと、もう直哉にかけている気がしたから。
私はリンクに電話をかけた。
けれど、呼び出し音が鳴るだけで、出る気配はない。
「……出てよ」
小さく呟きながら、切って、今度は華菜にかける。
それでも出ない。
直哉も同じだった。
嫌な不安が、胸の奥にじわじわと広がっていく。
私は無意識のうちに立ち上がり、玄関へ向かった。
扉を開ける。
そこにあったのは、見慣れたアパートの通路だった。
「あ……」
そうだ。
帰ってきたんだ。
私は、もう現実に戻ってきている。
リンクたちは、もう隣にはいない。
さっきまで当たり前みたいに一緒にいたのに、もういない。
そう思った瞬間、急に寂しさが込み上げた。
私は静かに扉を閉め、部屋へ戻る。
そのままテーブルの前に座り込んだ。
猫は、そんな私など気にも留めず、ガラス玉を眺めていた。
「そうそう。言い忘れていた」
その一言に、心臓が止まりそうになる。
怖い。
「時間、戻ってるから」
「あ……」
私は咄嗟に左腕を見る。
そこに表示されていた数字は、
48:00
になっていた。
「僕は、しばらく君の前には現れないかもね」
最高のことを言い出した。
そのまま永遠に現れるな、と言いたくなった。
「それより、電話かい?ゲームの中の人間と?」
「うん……」
「それは、まだ無理なんだ」
「え……?」
猫は、うっとりしたようにガラス玉を見つめたまま言う。
「なんで、こんなにもこれが輝いているか分かるかい?」
「いや……」
「中の人間そのものが放っている、希望の光なんだ」
「どういう事?」
私がそう聞いても、猫はすぐには答えなかった。
ただ、じいっとガラス玉を見つめ続けている。
嫌な沈黙だった。
そのあとで、猫はぽつりと呟く。
「本当は、ね」
声が、少しおかしかった。
「僕は、もう、たまらないんだ」
猫の様子が、明らかにおかしい。
「君だけだよ。この世界に戻ってきたのは。まだ、みんな中にいるよ」
「え?」
頭が、真っ白になった。
「みんなは……?いつ戻るの?」
私は思わず身を乗り出した。
けれど猫は、その質問には答えない。
ただ、ますます恍惚とした顔で、ガラス玉を見つめている。
「もう、ダメだ。ああ、ああ……」
猫の身体が、小さく震え始める。
怖い。
何が起きるのか分からない。
分からないのに、絶対にろくでもない事だけは分かった。
次の瞬間だった。
「ナァァァァゴ!!」
猫が、猫みたいな鳴き声を上げた。
同時に、その口が、ありえないほど大きく裂けた。
身体の半分ほどもあるんじゃないかと思うほど、大きく。
声も出なかった。
そして、
バクン!!
猫は、ガラス玉を丸ごと口の中へ頬張った。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
次の瞬間。
ゴクン。
何かを飲み込んだ音が、やけに大きく部屋に響いた。
猫は、うっとりと目を細め、体を震わせる。
「嗚呼……人間の希望は、美味しい」
全身の血が、音もなく引いていく。
猫は、満足そうに笑った。
「君、ありがとう。また今度も、よろしく頼むよ」
そう言うと、猫の姿はふっと掻き消えた。
部屋には、静寂だけが残る。
私は、動けなかった。
思考が止まっていた。
何が起きたのか?今、何をしたのか?
何ひとつ、理解できなかった。
暫く、テーブルの上を見つめていた。
そして、出た言葉は一言だけだった。
「は?」




