二十九話 現実に
今、私たちは宮殿内部、ボス部屋の玉座の前に立っている。
玉座は、あの時と変わらず、今も淡く光を放っていた。
強襲イベントの後。
街の皆の前で、私たちは「魔王を倒す」と宣言した。
その時、華菜がふと思いついたように言ったのだ。
「ねえ、あれだけモンスター倒したんだから、石とか落ちてるんじゃない?」
実際に街の人たちと一緒に外へ出てみると、そこには大量の石が落ちていた。
私たちはそれを皆で拾い集め、ペニーへ交換した。
その金で、大量の酒と料理を店から運び込んだ。
やがて中央広場では、自然と宴会が始まった。
私たちの周りには、多くの人が集まってくると、感謝の言葉をくれる人。
不安そうな顔で、これからのことを聞いてくる人。
ただ黙って、私たちを見つめている人。
その一人一人に向かって、私たちは言った。
必ず、魔王を倒す、と。
街の人たちは心配していた。
けれど、誰かがやらなければいけないのなら、魔王の場所でもスキルを使える私たちが行くしかない。
そんな空気が、街の中には確かにあった。
私たちが「二日後に魔王を倒しに行く」と宣言すると、宴会は静かな熱を残したまま、お開きになった。
次の日。
私たちは、いつも蜘蛛を狩っていた場所へ行った。
最後の日を惜しむみたいに。
今までのことを、一つずつ確かめるみたいに。
四人で、夜が更けるまで語り合った。
そして、宣言した当日。
私たちは街へ行き、これから魔王を倒しに行くと皆に伝えた。
「頑張って!」
「頼んだぞ!!」
「絶対戻ってこいよ!」
そんな声が、あちこちから飛んできた。
私たちはその声を背に受けながら、玉座の前までやって来た。
「皆、スキルの準備はいいか?」
リンクの声に、私たちは黙って頷く。
私はウィンドウを開いた。
希望値は、十二まで上がっていた。
皆が期待してくれている。
それが、数字になって表れていた。
「さて、帰りますか」
「寂しくなるけどね」
「あ、そうだった。今のうちにメモ渡すね」
私は、携帯番号を書いたメモを三人に渡した。
それぞれが受け取って、自分の番号や、キルアさんの番号を見る。
その瞬間、皆の顔が少しだけ歪んだ。
「……キルアの仇を討つ」
リンクが低く言う。
その言葉に、私たちは全員、静かに頷いた。
「行くぞ?」
「ドンと来い!」
「行こー!」
「浪漫だな」
リンクがウィンドウを操作する。
次の瞬間、景色が切り替わった。
私たちは、ヴァルハラが魔王と戦った、あの場所に立っていた。
けれど、何もいない。
「どういうことだ?」
拍子抜けしたように、リンクが言う。
「さあ?」
華菜が首を傾げた、その時だった。
全員のウィンドウが同時に光る。
そこに、魔王戦開始のアナウンスが流れた。
そして、何もなかった空間の中央に、魔王が現れた。
圧倒的な存在感だった。
ただ立っているだけなのに、空気が張りつめる。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
私たちには、細かい作戦なんてなかった。
いや、いらなかった。
四人なら大丈夫だと、思っていた。
言葉にしなくても、無意識に連携できる。
その自信があった。
「疾風怒濤!」
リンクが叫ぶ。
スキルの光が走り、リンクから華菜と直哉へ力が流れ込む。
私もすぐに〈神速〉を発動した。
「皆! 一気に行くから!」
「おう!」
その瞬間、魔王がこちらを見た。
そして、すぐに詠唱を始める。
「魔防障壁!!」
リンクが重ねるように叫ぶ。
次の瞬間、私たちの身体が薄い光の膜に包まれた。
「華菜! 直哉のフォローを! 私が囮に!」
私が叫ぶと、華菜は短く「おう!」と返す。
すぐに〈ジャグリング改〉を展開し、無数のナイフをその身の周りに浮かせたまま、直哉の横へついた。
直哉はすでにしゃがみ込み、地面へ次々と〈ハエトリソウ〉を設置し始めている。
私は、一気に魔王との間合いを詰めた。
速さなら、負けない。
踏み込み、そのままナイフで魔王を斬りつける。
けれど、硬い。
手応えが、ほとんどなかった。
それでも、その一撃で魔王の詠唱は止まる。
魔王は即座に剣を抜き、こちらへ斬りかかってきた。
速いけれど、神速の今の私には見える。
地面を蹴り、真横へ飛ぶ。
魔王の剣は、寸前で空を切った。
魔王の剣が空を切った、その一瞬だった。
「今っ!!」
私が叫ぶ。
次の瞬間、華菜の〈ジャグリング改〉で浮かんでいた無数のナイフが、一斉に魔王へと飛んだ。
キィン、キィン、と硬い音が連続して響く。
大半は弾かれた。けれど、数本は肩や脇腹、首元に突き刺さる。
「入った!」
「浅い!」
華菜が叫び、私は同時に踏み込む。
魔王がこちらへ振り向く。
その動きに合わせて、私は低く潜り込み、膝裏を狙ってナイフを滑らせた。
今度は、手応えがあった。
黒い血が飛ぶ。
それを見た、リンクの表情が変わった。
「行けるぞ!押し切る!」
リンクが再び杖を掲げる。
「疾風怒濤!」
光が走り、華菜と直哉の動きがさらに加速する。
私の身体も、神速と相まって、ほとんど自分でも制御が難しいほど軽くなった。
魔王が剣を振る。
私は後ろへ跳ぶ。
同時に、華菜のナイフが顔面めがけて飛ぶ。
魔王が腕で庇った瞬間、その足元に直哉が仕掛けた緑の円が光った。
バクン!!
床を割って現れた巨大な植物が、魔王の右足に噛みつく。
「入った!!」
「直哉、ナイス!」
私はその一瞬を逃さなかった。
「ナイフ乱舞!!」
頭上に展開した無数の魔法陣から、刃が雨みたいに降り注ぐ。
至近距離から浴びせたそれは、さすがに全部は防ぎきれなかったらしい。
魔王の肩。胸。腕。
黒い血が次々と散る。
重たい音を立てて、魔王が片膝をついた。
「おおお!!」
「やれる!やれるぞ!」
リンクと華菜の声が重なる。
私は荒い息を吐きながらも、油断しなかった。
まだ終わっていない。
魔王が、ゆっくりと顔を上げた。
その目が、まっすぐに私を見る。
「うさぎ!離れろ!!」
リンクの叫びと同時だった。
魔王の全身から、黒い魔力が爆発するみたいに噴き出した。
私は反射的に後ろへ飛ぶ。
けれど、衝撃波みたいなそれに巻き込まれ、身体が吹き飛ばされた。
「うさぎ!!」
華菜の声が遠くで聞こえる。
床を転がりながら、なんとか受け身を取る。
痛いけれど、まだ動ける。
見ると、魔王の足に噛みついていた〈ハエトリソウ〉は、黒い魔力に焼かれたみたいに崩れて消えていた。
魔王は、ゆっくりと立ち上がった。
肩や胸に刺さっていたナイフを、自分で引き抜く。
そして、何事もなかったみたいに捨てた。
傷はある。
血も流れている。
でも、致命傷には程遠い。
華菜のナイフが再び舞う。
今度は顔だけじゃない。目、喉、指、関節。防ぎにくい場所ばかりを狙っていた。
魔王が剣で弾く。
その剣筋は重くて速い。けれど、華菜のナイフの数も異常だった。
「直哉!」
「おうよ!」
直哉が床を叩くようにして、連続で〈ハエトリソウ〉を設置する。
一つ、二つ、三つ。
緑の円が、魔王の周囲を囲むように広がっていく。
リンクが叫ぶ。
「うさぎ!左から回れ!華菜、もっと上!直哉、正面塞げ!」
誰も返事はしなかった。
でも、全員がその通りに動いていた。
私が左へ駆ける。
華菜のナイフが上から降る。
直哉の罠が正面に並ぶ。
魔王が、私を斬ろうと身体を捻る。
その瞬間、華菜のナイフが頬を裂いた。
わずかに視線がぶれる。
私は、その懐に飛び込んだ。
ナイフを逆手に持ち替え、今度は脇腹ではなく、首元の隙間を狙って突き込む。
ガギッ、と嫌な感触。
硬い。けれど、通った。
黒い血が噴き出す。
「よし!!」
リンクが叫ぶ。
その瞬間、魔王が片手をこちらへ向けた。
まずい、と思った時には遅かった。
黒い魔法陣が、目の前に展開する。
「うさぎ!!」
リンクの声と同時に、私の身体を包んでいた〈魔防障壁〉が強く光った。
直後に爆発する。
轟音が部屋を揺らす。
私はまともに吹き飛ばされ、今度は壁際まで叩きつけられた。
「くっ……!」
息が詰まる。
けれど、死んでいない。
リンクの障壁が、ほとんど防いでくれた。
「大丈夫か!?」
「……生きてる!」
叫び返すと、リンクがすぐに〈全体ヒール〉を発動する。
温かい光が身体を包み、さっきまで軋んでいた肋骨の痛みが少しだけ引いた。
「リンク、助かる!」
「その代わり、魔力がゴリゴリ減る!早めに決めるぞ!」
「了解!」
魔王は、今の一撃で勝負を決めるつもりだったのかもしれない。
でも、それを耐えたことで、あきらかに空気が変わった。
いける!
華菜も、直哉も、リンクも、それを感じていた。
「っしゃああ!いくぞ!」
直哉が吠える。
「浪漫、見せてやるよ!」
その声と同時に、魔王の足元一帯が、一気に緑色に染まった。
「え?」
私が目を見開く。
さっきまでの罠は、囮だった。
直哉はその間に、広範囲にびっしりと〈ハエトリソウ〉を設置していたのだ。
「今だ、うさぎ!!」
「任せろ!!」
私は〈神速〉を最大まで引き上げるつもりで地面を蹴った。
景色が歪む。
一気に魔王の正面へ出る。
魔王が剣を振るう。
その一撃に合わせて、華菜のナイフが横から飛び込み、直哉の罠が次々に口を開ける。
バクン! バクン! バクン!
魔王の脚、腕、裾、剣ごと、植物が噛みついていく。
「ナイフ乱舞!!」
魔法陣を、今度は今までで一番多く展開する。
視界を埋め尽くすほどの刃。
全部、叩き込む。
魔王の全身に、刃が突き刺さった。
黒い血が舞うと、魔王の身体が、ぐらりと揺れた。
「倒したか……!?」
リンクが、息を呑んで言う。
その瞬間だった。
魔王の背中から、黒い何かが、ゆっくりと広がった。
翼みたいに。
あるいは、闇そのものみたいに。
まだ、終わっていなかった。
魔王の背中から広がった黒いものは、翼だった。
いや、翼と呼ぶには禍々しすぎた。
闇そのものが形を持ったみたいに、どろりと揺れながら、空間いっぱいに広がっていく。
「うわ……」
「まだあんのかよ……!」
華菜と直哉の声が重なる。
次の瞬間、魔王の姿が掻き消えた。
見失った、と思った時には遅かった。
真横から、凄まじい衝撃が来る。
華菜の身体が吹き飛んだ。
「華菜!!」
壁に叩きつけられ、華菜が苦しそうに息を吐く。
すぐにリンクが叫んだ。
「全体ヒール!」
温かい光が私たちを包む。
けれど、それと同時に魔王はもう次の一撃に移っていた。
黒い翼が振るわれる。
それだけで刃みたいな衝撃波が何本も走った。
私は神速で避ける。
華菜も直哉も、疾風怒濤がかかっているおかげで何とかかわす。
けれど、リンクは一歩遅れた。
「リンク!」
肩口から腹まで、赤い線が走る。
血が噴き出した。
「っ……まだだ!」
それでもリンクは倒れず、歯を食いしばって杖を握り直す。
その姿を見た瞬間、頭に血が上った。
「よくも!!」
私は一気に間合いを詰める。
魔王は剣を振るう。
速い。今までより遥かに速い。
刃と刃がぶつかる。
私のナイフは弾かれ、腕が痺れた。
でも。
ここで止まるわけにはいかない。
「華菜!目を狙って!直哉、足止め!!」
「おう!」
「任せろ!」
華菜の無数のナイフが、流星みたいに魔王の顔面へ降り注ぐ。
魔王が腕で庇う、その一瞬。
直哉が地面を叩いた。
「食え!!」
足元に開いた〈ハエトリソウ〉が、魔王の左足に噛みついた。
すぐに引きちぎられる。
けれど、その一瞬で十分だった。
私は懐へ潜り込むと、硬い場所を避けて、繋ぎ目だけを狙って斬る。
黒い血が床を染めてゆく。
「効いてる!」
「もっと押すぞ!」
リンクが叫ぶ。
「疾風怒濤!」
再び身体が軽くなる。
足が地面を蹴るたび、景色が置いていかれる。
魔王が吠えた。
空間に、巨大な魔法陣が幾つも展開する。
「また来る!」
「魔防障壁!!」
リンクの叫びと同時に、私たちの周囲に光の膜が重なる。
直後、闇の槍みたいなものが無数に降り注いだ。
視界が揺れる。
膜が一枚、二枚と砕ける感覚が伝わってきた。
でも、耐えた。
耐えた瞬間、私は前へ出た。
魔法の直後は、ほんのわずかに隙ができる。
それを、もう私たちは知っていた。
「今!!」
私が叫んだ瞬間、全員が動いた。
華菜のナイフが喉元へ。
直哉の罠が左右へ。
リンクの支援が背中を押す。
魔王が剣を振り上げる。
私は、それを待っていた。
わざと正面から踏み込む。
魔王の視線が、完全に私に固定された。
「うさぎ!!」
「大丈夫!」
剣が振り下ろされる、寸前。
私は地面すれすれまで姿勢を落として潜り込んだ。
空を切った剣の先。
そこに、直哉が仕掛けた罠があった。
「そこだあああ!!」
バクン!!
今までで一番巨大な〈ハエトリソウ〉が床を割って現れ、魔王の右腕ごと剣を噛み込んだ。
「華菜!!」
「っしゃあ!!」
華菜のナイフが、今度は全部、魔王の顔へ集中した。
目、頬、口元、額。
魔王が咄嗟に顔を背ける。
その瞬間、胸が開いた。
鎧の継ぎ目。
そこだけが、わずかに見えた。
たぶん、一度しかない。
「リンク!!」
「全部乗せる!!」
リンクが、今までで一番大きな声で叫ぶ。
「疾風怒濤!!全体ヒール!!行けええええ!!」
身体が限界を超える。
血が沸くみたいに熱い。
私は神速を、さらに重ねた。
一瞬で、魔王の眼前。
「これは!!」
ナイフを逆手に持ち替える。
「キルアさんの分!!」
胸の隙間へ突き込む。
硬いが、止まらない!
「ヴァルハラの分!!」
さらに押し込む。
黒い血が、吹き出す。
「皆の分だあああああ!!」
叫びと同時に、私は残った力を全部叩き込むように〈ナイフ乱舞〉を発動した。
至近距離。
ほぼゼロ距離。
無数の魔法陣が、魔王の胸の内側を向いて開く。
次の瞬間、何十、何百という刃が、内側から魔王を貫いた。
魔王の身体が、びくん、と大きく震える。
口から黒いものを吐き出し、翼が崩れ、全身に亀裂が走った。
「が、あ……ああ……」
低い声が、ひび割れるみたいに漏れる。
魔王が倒れると、全身が、黒い砂みたいに崩れ始める。
「やった……?」
「倒した……のか?」
「うそ……」
誰も、すぐには信じられなかった。
けれど、魔王はもう立ち上がらない。
黒い翼は消え、剣は砕け、禍々しい気配も急速に薄れていく。
最後に、魔王は私たちを見た。
そして、そのまま静かに崩れ落ちた。
完全な静寂が訪れる。
数秒遅れて、私の膝から力が抜けた。
「……勝った」
「勝った……」
「勝ったあああああ!!」
「浪漫だろおおおお!!」
直哉が叫び、華菜が泣きながら笑い、リンクはその場に座り込んで天井を見上げていた。
私も笑った。
笑いながら、気づけば涙が出ていた。
四人で、ここまで来た。
その時、ウィンドウが光った。
全員、同時だった。
開くと、そこには文字が流れていた。
『メインクエストクリア』
『魔王が討伐されました』
『帰還条件を満たしました』
希望値が、ぐん、と跳ね上がっていく。
24
37
52
68
81
94
100
元の世界に帰りますか? はい
と、ウィンドウに浮かんでいる。
『はい』しかなかった。
私達は、黙って抱き合う。
「現実で」
「ねえ、何して遊ぶ?」
「カラオケ!!」
「え〜、俺、音痴」
ひとしきり笑い合うと。
「じゃあ」
「うん」
「またね」
「すぐに、電話な」
私達は頷くと、笑顔で、そして涙を流して、はいを押した。
その瞬間に、リンク、華菜、直哉の体が真っ白い光を放っているのを見た。
気がつくと、部屋にいた。
シーフの服ではなく、ゲームの世界に行く前の服を着て。
「やあ、やったね。君ならやってくれると信じていたよ。僕の希望だね。やっぱり君は」
下を見ると、猫がテーブルの上に座っていた。
とても懐かしく感じたが、現実に戻って来たことを実感した。




