二十八話 強襲イベント
私たちは、しばらくのあいだ、ただ泣き続けた。
誰も、すぐには立ち上がれなかった。
何を言えばいいのかも、何を考えればいいのかもわからなかった。
そんな中で、最初に口を開いたのはリンクだった。
「……街に行こう」
掠れた声だった。
「ヴァルハラのメンバーが、いるかもしれない」
その言葉に、私たちは黙って従った。
会えたとして、何ができるわけでもない。
それは、みんなわかっていた。
それでも、じっとしていられなかった。
街に着くと、そこにはいつもの活気がなかった。
人は大勢いる。
けれど、誰もが項垂れ、広場にも通りにも、重苦しい空気が沈んでいた。
まるで、街全体が息を潜めているみたいだった。
私たちは声も出せないまま、街中を駆け回った。
ヴァルハラのメンバーを探して。
見知った顔を探して。
けれど、誰にも会えなかった。
やがて力尽きるように、私たちは中央広場の噴水に腰を下ろした。
そこで、二人の男女に声をかけられた。
ポリスを懲らしめたあと、街の新しいルールを作ると言っていた二人だった。
私たちは、しばらくその二人と話をした。
今の街の様子。
ポリスたちをまだ監禁していること。
新しく作ろうとしているルールの内容。
街の人たちも、それに協力してくれていること。
そして、その二人もまた、ヴァルハラの全滅に気を重くしていた。
その時だった。
また、ウィンドウが光った。
皆が、はっとして顔を見合わせる。
「怖い……次は、何?」
華菜が怯えた声で言った。
直哉は、何も言わずに華菜の手を握り、静かに頷く。
リンクが、恐る恐るウィンドウを開いた。
「……強襲イベント?」
「え?」
私も慌ててウィンドウを開く。
そこには、無機質な文字が流れていた。
『これより、強襲イベントを開始します。街の外は危険です。魔物から街を守ってください』
絶望値が、83になっていた。
「お、おい……どういうことだよ?」
直哉が、不安を隠せない声で言う。
華菜は、その腕にしがみついていた。
「外、見に行ってくる!」
リンクはそう言うと、すぐに駆け出した。
私たちも、そのあとを追う。
「……なんだよ、これ?」
街の出入り口に着いたリンクが、呆然と呟いた。
そこには、白い光の膜が張られていた。
半透明の壁のように街の出入り口を塞ぎ、その表面には、淡く発光する奇妙な模様が浮かんでいる。
リンクが、おそるおそる手を伸ばして触れる。
けれど、その膜はびくともしなかった。
まるで、本物の壁だ。
「……壁になってる」
「他は?」
直哉の言葉に、私たちは他の出入り口も見て回った。
けれど、どこも同じだった。
街は、完全に閉じ込められていた。
その時、私は気づく。
光の膜に浮かぶ模様。
それが、私の小指に浮かんでいる契約の模様と、まったく同じだということに。
頭の奥に、猫の声が蘇る。
――君が英雄になるイベントもあるからさ。
「……これか」
思わず、声が漏れた。
だから、この模様を。
胸の奥が、嫌な音を立てて沈んでいく。
「リンク、華菜、直哉。よく聞いて」
私がそう言うと、三人が一斉にこちらを見た。
「このイベント、多分……私のためのイベントだ」
「ど、どういうことだ?」
リンクが困惑した顔で聞き返す。
私は黙って、自分の右手小指を持ち上げた。
そこには、いつも浮かんでいる契約の模様がある。
「あ、それ……」
華菜が目を丸くした。
「いつもついてるやつ。同じ模様だったの?」
「華菜、気づいてたの?」
「うん。でも、ネイルみたいなやつかと思ってた……」
そんなふうに思っていたらしい。
私は、小さく息を吸ってから話し始めた。
猫と初めて会った時のこと。
契約を結ばされたこと。
そして、この模様が、その契約の印だと説明されたこと。
三人は黙って聞いていた。
私が話し終わる頃には、全員の顔が強張っていた。
「多分……私だけが、外に出られる」
そう言って、私は白い膜に手を伸ばした。
三人が、息を呑む気配がした。
おそるおそる触れる。
けれど、何の抵抗もなかった。
そのまま、私は白い膜をすり抜けて、街の外へ出た。
「……本当だ」
リンクが、呆然と呟く。
街の内側にいる三人と、外に出た私。
その時だった。
まるで、私が膜に触れたことが合図だったかのように、街の外の地面が、揺れた。
「え……?」
華菜の声が震える。
次の瞬間、あちこちの地面や空間から、次々とモンスターが姿を現し始めた。
前方に。
横に。
遠くに。
そして、街を取り囲むように。
数が、おかしい。
スライムやゴブリンのような弱い魔物だけじゃない。
見たことのない大型の魔物まで混じっている。
「な、なんだよこれ……!」
直哉が叫ぶ。
私も、言葉を失っていた。
どうやら、街の外にいた人間はかなり多かったらしい。
突然現れたモンスターたちに襲われ、あちこちで悲鳴が上がっていた。
逃げ惑う人々。倒れる者。必死に武器を振るう者。混乱は、もう始まっていた。
考える暇なんてなかった。
私はすぐに後ろを振り返る。
街の出入り口には、内側から見た時にあった白い膜が、外側からは見えなかった。
つまり。
中から外へは出られない。
けれど、外から中へは入れる。
私は息を吸い込んで、大声で叫んだ。
「こっちに!!街の中に入って!!」
逃げていた人たちが、一斉にこちらを見る。
その顔は、恐怖で引きつっていた。
私はすぐに〈神速〉を使った。
身体が一気に軽くなる。
景色が流れ、空気が裂ける。
両手にナイフを握りしめたまま、私はモンスターの群れへ突っ込んだ。
「街の中に!!早く!!」
「は、はい!」
逃げる人たちに叫びながら、最も近くにいたゴブリンの首を切り裂く。
返す刃で隣の犬型モンスターの喉を裂き、そのまま踏み込んで別の一体を蹴り飛ばした。
大型の猪みたいな魔物が牙を向けて突っ込んでくる。
私は横へ流れ、すれ違いざまに脚を斬る。体勢を崩したところへ、さらに首へ刃を滑り込ませた。
私自身でも怖くなるくらい、身体が動いていた。
モンスターたちは、私の速さについてこれていない。
小型、中型はナイフで十分だった。
問題は、大型だ。
「ナイフ乱舞!」
頭上に魔法陣がいくつも展開する。
そこから吐き出された無数のナイフが、大型モンスターへと降り注いだ。
熊みたいな巨体の魔物が、吠える間もなく全身を貫かれて崩れ落ちる。
そのまま私は走る。止まらない。
左では、逃げ遅れた数人がモンスターに囲まれていた。
そちらへ駆ける。
一体を斬る。
二体目の腹を裂く。
三体目は蹴りで体勢を崩してから、頭を突き刺した。
「中へ!今のうちに!!」
助けた人たちは、泣きそうな顔で何度も頷きながら街へ駆け込んでいく。
だが、全部を守り切れるわけじゃなかった。
少し離れた場所では、誰かの絶叫が響いた。
視線を向けた時には、すでに数人が倒れていた。血が地面に広がっている。
歯を食いしばる。
そちらへ向かいたくても、今目の前にいる人間を見捨てるわけにはいかない。
また別の場所では、足を切断された男が地面に転がっていた。
その男を、仲間らしき者が半ば抱えるようにしてこちらへ引きずってくる。
「た、助けてくれ!」
「入って!早く!!」
私はその周囲のモンスターを斬り払い、道をこじ開ける。
二人は必死の形相で街へ飛び込んだ。
リンクたちがいるのが見えた。
「リンク!!復元お願い!!」
私が叫ぶと、リンクがすぐに動いた。
「任せろ!」
男は蒼白な顔で呻いていたが、リンクが〈復元〉を使うと、切断された足がみるみるうちに再生していく。
周囲から、息を呑む音が上がった。
けれど私は、それを見届ける暇もなく、すぐに身を翻した。
まだ終わっていない。
街の外では、あちこちでモンスターが湧き続けていた。
私は再び〈神速〉を使い、駆けた。
大型が現れれば〈ナイフ乱舞〉。
小型、中型は、すれ違いざまに切り捨てる。
何体倒したのか、もう数えていない。
腕も足も勝手に動いていた。
呼吸は荒く、肺が熱い。けれど止まれなかった。
別の出入り口付近へ回ると、そこでも人々が必死に街へ逃げ込んでいた。
私は先頭のモンスターへ飛び込み、まとめて刃を叩き込む。
「こっちだ!!今のうちに入れ!!」
人々が次々と中へ駆け込んでいく。
街の中からも、誰かの叫び声が聞こえた。
「うさぎー!!後ろ!!」
華菜の声だった。
振り返る。
大型の蜥蜴みたいな魔物が、口を開いて飛びかかってくる。
私は地面を蹴り、紙一重でかわした。
着地と同時に〈ナイフ乱舞〉を発動する。
魔法陣から放たれた刃が、蜥蜴型の巨体を一瞬で貫いた。
巨体が鈍い音を立てて倒れる。
最後に残ったのは、小型の群れだった。
私は息を吐く暇もなく飛び込み、ただひたすら斬り続けた。
最後の一匹の首を裂いた瞬間、辺りが静まり返る。
血の匂い。
荒い息。
遠くで泣いている声。
私はナイフを握ったまま、その場に立ち尽くした。
もう、動くモンスターはいなかった。
そして、私は、モンスターの返り血で全身真っ赤に染まっていた。
「……終わった?」
誰かが、街の中から呟く。
次の瞬間だった。
「うおおおおおお!!」
「助かった!!」
「すげえええ!!」
「やったあああ!!」
街のあちこちから、歓声が上がった。
街の中から、大勢の人が私を見ている。
喜んでいる者もいれば、手を振っている者もいる。
さっきまで絶望に沈んでいた空気が、一気に揺れた。
その時、私は、ウィンドウを開く。
そこにはいつもの数字が表示されていた。
絶望値 28
「……下がってる」
思わず呟く。
あれだけ上がっていた絶望値が、一気に二十八まで落ちていた。
街の人たちの歓声。
助かったという安堵。
ほんの少し戻った希望。
それが、数字になって現れているのだと、すぐにわかった。
街へ戻ると、リンク、華菜、直哉が笑顔で駆け寄ってきた。
いつの間にか、あの光の膜は消えている。
けれど、三人が私のところへ来るより早く、さっき助けた人たちが押し寄せてきた。
何人もの手が、私の手を掴む。
「ありがとうございます!」
「本当に、助かりました……!」
「あなたがいなかったら、俺たち……!」
次々に頭を下げられる。
感謝の言葉が、胸に突き刺さった。
でも、そのたびに思い出してしまう。
助けられなかった人たちのことを。
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
気づけば、街の人たちが大勢、私の周りに集まっていた。
皆、不安そうな顔をしている。
助かったはずなのに、その目にはまだ怯えが残っていた。
私は三人の方を見た。
「リンク、華菜、直哉。魔王、倒そうか」
リンクが、にやりと笑う。
「おお!」
華菜が強く頷く。
「うん!」
直哉は、いつものように口の端を上げた。
「浪漫だな」
その時だった。
人混みの中から、低い声が飛んだ。
「……ヴァルハラでも無理だったんだぞ?」
一瞬で、空気が凍る。
「お前たち、四人だけだよな?」
「四人で何ができるんだよ……」
その言葉をきっかけに、あちこちから声が漏れ始めた。
「もう帰れない……」
「帰りたいよ……」
「息子に、会いたい……」
さっきまで少しだけ戻りかけていた空気が、また沈んでいく。
私は、歯を食いしばった。
このままじゃ駄目だ。
「みんな!!聞いて!!」
私は思いきり叫んだ。
ざわめきが、少しだけ止まる。
「この小指を見てほしい!!」
そう言って、私は右手を高く掲げた。
すると、遠くの方からすぐに声が飛ぶ。
「見えるか!!」
一瞬、街に笑いが起きた。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
私はその隙を逃さず、さらに声を張った。
「私の小指にあるこの模様!さっき街の外を塞いでた光の膜と、同じ模様なんだ!」
ざわめきが広がる。
「私達は、この世界に選ばれてる!」
リンクたちの方を指さす。
「私たちだけは、街の中でもスキルが使える!それ、みんな知ってるよね!?それが証拠だよ!」
皆の目が、少しずつこちらへ向いてくる。
私は、胸の奥から声を絞り出した。
「ヴァルハラが負けたからって、終わりじゃない!」
「まだ終わってない!」
「私たちなら戦える!私たちなら、魔王を倒せる!!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出ていた。
「だから!!」
私は、集まった人たちを見渡す。
泣きそうな顔。
俯いた顔。
怯えている顔。
その全部を、まっすぐ見た。
「みんな、家に帰ろう!!」
その言葉が、街の空気を震わせた。




