二十六話 専用スキル
「遂に、魔王攻略だ」
キルアさんが、そう言った。
私は一度ホームへ戻って風呂に入り、着替えてから、またここへ来ていた。
華菜は私の膝を枕にして、すうすうと静かな寝息を立てている。
髪を撫でるたび、柔らかい感触が指先に触れた。
微かにゲロの匂いが残っていたけれど、不思議と嫌ではなかった。むしろ、それすら今の華菜らしくて、少しだけ可笑しかった。
さっきまであんなに泣いていたのに、今はずいぶん穏やかな顔をしている。
私が戻ってきたことで、ようやく安心したのかもしれない。そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
リンクは、悔しそうに唇を噛んでいた。
その隣で、直哉は対照的に明るい声を上げる。
「やるじゃん」
キルアさんは、そんな二人を見てから続けた。
「ここのボスを倒すと、玉座が光るらしい。その玉座から、魔王のいる場所へ行けるみたいだ」
私たちは黙って、その話を聞いていた。
「行ってみようとはしたんだが……」
キルアさんは、そこで一度言葉を切る。
「魔王の場所に行くと、魔王を倒すまで戻れないらしい。そう書いてあった」
「どうするんだ?」
リンクが身を乗り出して聞く。
「これから忙しくなるな。準備もしなきゃならんし、魔王についても調べないといけない。街の図書館に何か書いてあるかもしれん。全部の街を回って、NPCの話も聞いてみるつもりだ」
「俺たちにできることがあれば、何でも言ってくれ」
直哉が真っ直ぐに言う。
「ああ。何か頼むかもしれん」
それから私たちは、日が昇るまで話し合った。
その場で寝転がっている人もいれば、まだ小声で語り合っている人もいた。
戦いの前だというのに、どこか穏やかな時間だった。
「悔しいが、魔王攻略の手柄はお前たちに譲るよ」
リンクはそう言って、キルアさんと肩を叩き合った。
「あ、キルアさん。これに携帯番号を」
私は猫にもらったメモ帳を取り出して見せた。
現実に持って帰れることを説明すると、キルアさんは目を丸くする。
「どこでそんなもん手に入れたんだ?」
「ドロップしたんですよ」
直哉が、平然と嘘をついた。
私は吹き出しそうになったけれど、黙って頷いておいた。
私たち四人の携帯番号を書いたメモを一枚、キルアさんに渡す。
代わりに、キルアさんの番号も四人分、メモ帳に書いてもらった。
現実に戻ったら、皆で遊ぼう。
そんな約束をしてから、リンクと直哉はホームへ戻ることになった。
私が、華菜が起きるまでここにいると言うと、直哉は「俺たちも残る」と言った。
けれどリンクが察したように肩をすくめる。
「いや、ここは二人にしとこうぜ」
そう言って、半ば強引に直哉を連れていった。
キルアさんも何か感じ取ったのか、ヴァルハラの皆をホームへ戻らせた。
辺りが、急に静かになる。
けれど、寂しい気分にはならなかった。
膝の上には、安心しきった顔で眠る華菜がいる。
戻ってきた私を確かめるみたいに、華菜はさっきからずっと、こうしてくっついたままだった。
少しずつ明るくなっていく空を見上げた。
戻ってきてよかった、と。
ただ、そう思った。
しばらくして、華菜が目を覚ました。
「あれ……?みんなは?」
目をこすりながら、華菜があくびをする。
私は、にやりと笑った。
「華菜〜?私に何をしたのかなあ?」
「え?」
一瞬きょとんとしていた華菜だったが、すぐに何かを思い出したらしい。
「はっ!」
顔が引きつる。
「はは……ははは……」
乾いた笑いを漏らすと、華菜はさっと立ち上がった。
そのまま私に背を向けて逃げ出そうとするが、寝起きのせいか、足がもつれて盛大に転んだ。
「いてっ!」
その姿に吹き出しそうになる。
けれど、まだ少しだけ気恥ずかしさが残っていて、私はわざと声を張り上げた。
「か〜な〜!!」
すると華菜は、慌ててウィンドウを開くと、そのまま姿を消した。
ホームに逃げたのだと、すぐにわかった。
「逃がさん!!」
私もすぐにホームへ戻る。
案の定、華菜は自分の部屋へ逃げ込もうとしているところだった。
リンクと直哉が、何事かという顔でこちらを見る。
「華菜あああ!」
「いやああっ!」
私はそのまま華菜に飛びついた。
「このゲロ野郎!!こうしてやる!」
脇腹に手を差し込む。
「待って、待って!うさぎ様、あはははははははは!!」
私は容赦なく、両脇をくすぐった。
リンクと直哉が、声を上げて笑う。
「うさぎ様!もうしません!ごめんなさい!!」
「本当に?」
「はい!!」
私が手を緩めると、華菜は息を切らしながら、それでも言い返してきた。
「うさぎだって、前に私に鼻水つけたでしょ!」
「私の鼻水は、聖水くらい綺麗だ!」
「じゃあ、私のゲロだって!」
「ゲロは汚ねえだろ」
直哉が真顔で言った。
一瞬の沈黙のあと、私たちは一斉に笑い出した。
気づけば、いつものかなり。に戻っていた。
それから私たちは、これからどうするのかを話し合った。
リンクたちは、ヴァルハラなら魔王くらい簡単に倒してしまうだろう、と思っていた。
けれど、せっかくここまで来たのだから、自分たちでもメインクエストを進めてみようと、華菜が言い出した。
「あんなことがあったばかりだぞ?」
リンクが眉をひそめる。
直哉も珍しく反対した。
けれど華菜は、まっすぐ私を見て言った。
「今度は大丈夫。うさぎが、私の仇を取ってくれたし」
私は何も言えず、ただ黙っていた。
そのとき、ふと、あることを思い出す。
「ねえ、そういえば……私たち専用のスキルあったんだった」
「ああ、そんなこと言ってたな」
「お、じゃあ先にもらいに行こうぜ」
「だねー」
その場は、あっさり満場一致だった。
私たちはすぐに始まりの館へ向かった。
館の中は、いつものように人でごった返していた。
ポリスの一件のせいなのか、そこにいた人たちがちらちらと私たちを見る。
少し気まずくて、私たちは自然と足早になり、そのまま職業マスターの元へ向かった。
「詩韻兎様、お待ちしておりました」
「ど、どうも……」
思わず頭を下げると、リンクたちが少しだけ笑う。
「リンク様、華菜様、直哉様ですね。皆様にも専用スキルが用意されております。ウィンドウをお開きください」
言われた通りウィンドウを開くと、スキル欄に『new!』の文字が浮かんでいた。
開いてみる。
共通で追加されていたのは、パッシブスキル。
〈自動防御障壁〉
そして、それぞれの職業スキル。
シーフ
〈神速〉
〈ナイフ乱舞〉
ヒーラー
〈全体ヒール〉
〈疾風怒濤〉
道化師
〈玉乗り〉
〈ジャグリング改〉
罠士
〈ハエトリソウ〉
「なんで俺だけ一個なんだよ!」
直哉がすぐに文句を言った。
職業マスターは、何事もなかったように微笑む。
「以上です。詩韻兎様、お気をつけて」
そうして私たちは、始まりの館をあとにした。
館を出るなり、皆さっそくスキルをセットし始める。
「どうする?」
「行こうよ、宮殿」
華菜が即答した。
「行ってみるか」
「行くか」
私も頷いた。
ホームに戻り、デバイスで登録してあった〈宮殿前〉を選ぶ。
次の瞬間、私たちは宮殿の前に立っていた。
「危なくなったら逃げること。いいな?」
リンクがいつになく真面目な声で言う。
皆、ただ黙って頷いた。
華菜の腕が切り落とされた時のことが、頭をよぎる。
きっと、みんな同じことを思い出していた。
「行こう!」
そう言って、華菜が真っ先に宮殿の中へ入っていった。
「なんであんなやる気なんだ?」
「さあ?」
「リベンジしたいんだろ」
直哉の言葉に、私たちは頷きながら後に続いた。
中に入ると、華菜が少し先で待っていた。
「じゃ、まずは試すぞ」
リンクはそう言って、華菜と直哉に〈疾風怒濤〉を使った。
次の瞬間、二人の動きが一気に跳ね上がる。
「すご〜い!!速っ!!」
「うお、なんだこれ!」
さらにリンクは、自分自身にもかけた。
「おお……!」
自分の身体の軽さに、リンクも目を丸くする。
「じゃあ次、私」
私は〈神速〉を使ってみた。
景色が、一瞬で流れる。
疾風とは比べものにならない速度だった。速すぎて、制御するだけで精一杯だ。
「速っ……!」
「なんだそりゃ!」
華菜たちが驚く。
「次、私!」
華菜が得意げに〈ジャグリング改〉を発動させた。
すると、いつもは三本だけだったナイフが、今度は無数に現れ、華菜の身体の周囲をぐるぐると巡り始める。
「おお!?」
「ジャグリングってレベルじゃねえな……」
華菜自身も驚いていたが、すぐに近くのモンスターを見つけて、にやりと笑った。
「いけっ!」
ナイフが一斉に射出される。
雨みたいな勢いで飛んだ刃は、モンスターにことごとく突き刺さり、その一撃で敵を沈めた。
「おお!すげー!」
「どうだ!華菜様のナイフの味は!」
胸を張る華菜に、私たちは思わず笑う。
「じゃあ、次は私だ」
私は別のモンスターを見つけ、〈ナイフ乱舞〉を使った。
すると、私の頭上に無数の魔法陣が展開する。
「え?魔法?」
「なんだこれ……」
リンクと華菜が驚き、直哉は目を見開いた。
「ナイフ乱舞!」
魔法陣から、ナイフが吐き出される。
何十、何百という刃が一斉に放たれ、敵へと降り注いだ。
一瞬でモンスターは消し飛ぶ。
「ヤバ……」
華菜が呟く。
私自身も、驚きでしばらく声が出なかった。
「最後は俺だな」
直哉が胸を張った。
「せっかくだから、ボスで試そうぜ」
「浪漫だな」
直哉がいつものように言って、みんなで笑う。
そうして、私たちはボス部屋の前まで来た。
「じゃあ、うさぎが誘導な。一回やってるし、大丈夫だろ?」
「うん、任せて」
「華菜、ジャグリング出しとけ」
「うん!」
直哉は〈ハエトリソウ〉を使い、床に罠を設置した。
緑色の円が、ぬるりと床に浮かび上がる。
直哉が親指を立てた。
「オッケー!」
「いくよ?」
「おう!」
私はもう一度〈神速〉を使い、そのままボス部屋へ飛び込んだ。
ボスはすぐに私を見つけ、咆哮を上げて追ってくる。
速い。
けれど、神速の方がさらに速かった。
距離を保ちながら、私は罠の場所までボスを誘導していく。
そして罠の向こう側へ回り込み、振り返った。
ボスは一直線に、こちらへ突っ込んでくる。
私はナイフ乱舞の構えを取った。
その瞬間。
バクン!
罠が開いた。
巨大な植物が地面から現れ、ボスを丸ごと飲み込む。
噛み砕くような音が響き、次の瞬間には、もう何も残っていなかった。
静寂が訪れる。
「え?」
「お、終わり?」
私は恐る恐るボス部屋の奥を見る。
玉座が、静かに光っていた。
「……終わり、みたい」
「直哉すご〜い!」
「す、すげえな……」
「な?ろ、浪漫だろ……?」
直哉が、誰よりも驚いていた。
私たちは玉座へ近づいた。
リンクがウィンドウを開いて確認する。
「やっぱり、ここから魔王の場所へ行けるみたいだ。どうする?このまま行くか?正直、このスキルがあれば勝てる気はする」
「でもさあ、ヴァルハラの人たちと約束あるでしょ?」
華菜が言う。
「いや、早い者勝ちだろ」
直哉が口を挟む。
「まあ、そうだけど……」
私は、その会話を聞きながら、別のことを考えていた。
希望値を、百にしないといけない。
そのことが、頭から離れなかった。
どうしよう、と私は内心で焦っていた。
リンクは少し考えてから、静かに言った。
「……まあ、約束は守るさ」
結局、その場で魔王攻略には行かないことになった。
今思えば、それが大きな間違いだったのかもしれない。
いや、間違いはそれだけじゃない。
私は、いくつも大きな過ちを犯していた。
猫の話を、もっときちんと思い出していれば。
あの時、少しでも違和感を...。
この後のことは、変わっていたのかもしれない。




