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兎と猫  作者: 藤原 智
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二十一話 華菜の左腕

 メインクエストを進める中、ある街の宿に泊まった夜だった。

 ふと、自分の左腕に刻まれた時間を見る。


 44:18


 数字は、そう表示されていた。

 二分ほど減っている。

 この世界に来てから、もう一年以上が経っていた。

 けれど現実世界では、たった二分しか過ぎていないらしい。


 妙な気分だった。


 この世界で私は、確かに一年を生きた。

 泣いて、笑って、皆と過ごしてきた。

 それだけの時間を、ちゃんと生きたはずなのに。


 現実では、二分。


 長かったような、短かったような。

 何だか、自分がどちらの世界にいるのかさえ、わからなくなりそうだった。

 翌朝、そのことを皆に話すと、三人とも信じられないという顔をしていた。


「一年で二分?」

「マジ?」

「信じられねえ」


 リンクが静かに腕を組み、直哉は露骨に眉をしかめ、華菜は笑っていた。


 メインクエストは、もう終盤に差しかかっていた。

 その頃には、キルアたちヴァルハラとも何度か顔を合わせるようになっていた。

 先へ進んだ者同士、自然と情報交換をしながら進んでいた。


 そんなある日。

 メインクエストの依頼として、“魔王の力に最も近いNo.2のモンスターを討伐せよ”という内容が示された。


 目的地は、砂漠の奥深くにある宮殿。


 私たちは、そのクエストに挑むことになった。

 砂漠の宮殿は、今までより明らかに空気が違った。

 通路の一つ一つが広く、静かで、まるで最初から侵入者を殺すためだけに作られているみたいだった。


 出てくるモンスターも強かった。


 一体一体が、これまでの中ボス級みたいな強さをしている。

 何度も息を切らし、何度も回復し、ようやく私たちは最奥の部屋へ辿り着いた。


 そこにいたのは、巨大な怪物ではなかった。

 私たちとほとんど変わらない大きさの、人型のモンスター。

 両手に剣を持ち、ただ静かに立っている。

 その姿が、かえって不気味だった。


 そいつは、私たちが部屋に入った瞬間、ゆっくりと二本の剣を持ち上げた。


「来る!」


 リンクの声と同時に、直哉が前へ出る。

 華菜がナイフを構え、私も腰を落とした。

 次の瞬間、消えた。


「え?」


 そう思った時には、金属音が響いていた。 


 ギィンッ!!


 直哉が、咄嗟に短剣で一撃を受けていた。

 受けたはずなのに、そのまま床を滑るように吹き飛ばされる。


「ぐっ……!」

「速っ!」


 華菜が叫ぶ。

 私も地面を蹴って横に飛ぶ。

 そのすぐ横を、銀色の軌跡が走った。

 壁が、斜めに裂ける。

 冷たいものが背中を伝った。

 今のを避け損ねていたら、私の体もああなっていた。


「離れて!」


 リンクが叫ぶ。

 私たちは距離を取って囲む。

 華菜の〈ジャグリング〉が放たれ、三本のナイフが弧を描く。

 直哉が足元へ罠を仕掛け、私は横から斬り込む。


 けれど。

 モンスターは、ほんのわずかに体を傾けただけで、全部を避けた。


 私の短剣が空を切る。

 その瞬間、目の前に顔があった。

 速い。

 反応が遅れた。

 剣が振り下ろされる。 


「うさぎ!」


 華菜が、私を突き飛ばした。

 次の瞬間。

 ぶしゅっ、と嫌な音がした。

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 華菜の悲鳴が、遅れて響く。


「っあああああああ!!」

 床に、赤いものが散る。

 華菜の左腕が、肩口から先ごと消えていた。


「華菜!!」


 私の喉が裂けるみたいに叫ぶ。

 華菜はその場に膝をつき、切断面を押さえながら、顔を歪めていた。


「う、ああああ!!」


 血が、吹き出している。

 直哉がすぐに駆け寄り、華菜の体を抱きかかえる。


「華菜!華菜、しっかりしろ!!」

「腕が!私の腕が!」


 華菜の声は、もう半分泣き声だった。

 モンスターが、再びこちらを見る。

 次は確実に、華菜を狙う。


「逃げるぞ!!」


 リンクの声が、今までで一番鋭く響いた。


「疾駆!」


 光が走る。

 リンクから、直哉へ。

 そして、自分自身へ。

 直哉の動きが一気に軽くなる。

 華菜を抱えたまま、床を蹴って後ろへ跳んだ。

 リンクも続く。

 私は、歯を食いしばる。


「疾風!」


 スキルを発動させた瞬間、体が弾かれるように前へ出た。


 逃げる。

 ただ逃げるんじゃない。

 追撃を引きつけるために、私は最後尾へ回った。

 モンスターが来る。

 剣が閃く。

 私は転がるように避けて、通路へ飛び出す。


「うさぎ!!」


 リンクの声が聞こえる。


「行って!!」


 私は叫び返した。

 もう一度、剣が振られる。

 今度は短剣で受ける。

 重い。

 腕が痺れる。

 指が開きそうになる。


 けれど、その一瞬で十分だった。

 リンクと直哉が、華菜を抱えて角を曲がる。

 私はその後を追って全力で駆けた。

 背後から、床を蹴る音が迫る。


「まだ来る!」


 直哉が叫ぶ。

 リンクが振り返りざまに、回復魔法ではなく、光弾のような牽制を放つ。

 わずかに足を止めさせ、その隙に私たちは通路を駆け抜ける。


 華菜の呼吸は浅かった。

 時々、小さく呻く声が聞こえる。

 止まれば終わる。

 でも、このままでも危ない。

 それでも、今は宮殿を出るしかなかった。

 砂漠の光が見えた瞬間、私は初めて、少しだけ息をした。


 外に出た瞬間に、リンクは、華菜にヒールをした。

 傷口は塞がったが、腕を失ったままだった。

 直哉は華菜を抱きしめ、リンクは華菜の頭に手を置いた。

 私は、茫然としていた。

 何て、声を掛ければいいのかわからなかった。


 私達は、ウィンドウを開いてクランのホームに戻った。

 ホームに着くなり、華菜は誰の顔も見ないまま、自分の部屋へ入っていく。


 私はその背中を見て、迷った。

 でも、迷っている時間なんてない気がした。

 華菜の部屋に入る。

 そして、私はすぐに頭を下げた。


「華菜、ごめんなさい。私を庇ったせいで」

「あんたのせいで」


 低い声だった。

 泣いているのに、目だけがひどく鋭かった。


「あんたのせいで!!あんたの!!」

「ごめんなさい」

「返してよ!!私の腕!!」


 息が詰まる。

 それでも、私は頭を下げることしかできなかった。 

「華菜、ごめんなさい」

「年下のあんたに何で呼び捨てにされないといけないのよ!前から思っていたけどさあ!!」


 華菜の声は、もう悲鳴みたいだった。


「あんたの顔なんて見たくない!!出ていけ!!クランからも出ていけ!!」


 私は、しばらく動けなかった。

 けれど、最後には小さく頷く。


「わかった。ごめんなさい」


 それだけ言って、私は華菜の部屋を出た。

 扉が閉まった瞬間、堪えていたものが切れた。

 自然と涙が溢れてきた。


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