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36.涙のあとに

 ハナエに届けて欲しい――そう言って差し出された白い花束から、ヨシュアはふいと目を背けた。


「嫌なこった。自分で行けよ」


「僕ではダメなのです」


「なんでだよ」


「ハナエ様は、僕の前では泣かないと、心に決めておられるようですから」


「……は?」


 ヨシュアは少し戸惑った様子で、やっとアデルの方を向いた。


「悲しみを人に見せないだけなら、何の問題もありません。誰の目にも届かぬところで、声を上げて泣くことができているのなら、僕は何も言いません。でも、ハナエ様がやろうとしていることは、そうではない」


 アデルは悲し気にうつむいた。


「あの方は、悲しみを押し殺し、切り離そうとしています。泣いてはいけない、悲しむ暇さえあってはならない――白の騎士としてふさわしくなければ、何も守れない。そう思っているのでしょう」


 確かにそうだ、とヨシュアも思った。大切な仲間をふたりも失ったのだ。もう誰も失うわけにはいかないと、ハナエが自分自身を追い詰めてしまうことは十分に考えられる。


「悲しみというのは、心の一部です。たくさんある心の表情のひとつです。悲しみだけを取り出して殺すことはできません。悲しみを殺すということは、心ごと殺してしまうということです」


「心ごと、殺す……」


「白い剣は、主の思いに応えます。心を失った騎士が振るう剣は、ただただ冷徹で残酷な破壊の剣なのでしょう。もしかしたらそれが、正しい白の騎士の姿なのかもしれません。でも――」


 アデルは一度言葉を切ると、ゆっくりと空を仰いだ。

 途切れた雲の間から、月が明るく輝いている。


「星読みの里を滅ぼさずにすんだのは、ハナエ様に心があったからです。それだけじゃない。ただの落ちこぼれ兵士だった僕を、城の外へと連れ出して広い世界を見せてくれたのも、トトや子どもたちを救うことができたのも、臆病で泣き虫で、真っすぐで優しくて――あのひとが白の騎士だったから、僕は変わることができた。勇気と自信を持つことができた。ヨシュア、あなただって変わりました。自分でも分かっているはずですよ」


「俺は――」


 風が吹く。ふたりの間を、透明な風が吹いていく。

 アデルはヨシュアを真っすぐに見つめた。


「僕はハナエ様が好きです。あの方を心からお慕いしています。あの笑顔をお守りできるのならば、何だってする覚悟です。けれど今、あの方に必要なのは、僕ではなくあなたです。あの方は今、泣く必要がある。あなたの前でなら、ハナエ様は泣ける――僕と同じ思い、同じ覚悟を胸に秘めているあなたなら、きっとハナエ様を助けてあげられる」


「べ、別に俺はそんなこと、思ってねえけど……」


 もごもごと言い淀むヨシュアを、アデルは微笑んで見つめている。


「お願いします。花束を届けて、しばらく側にいてあげてください」


 ヨシュアはしばらくぶつぶつ言いながら、落ち着かない様子だった。

 だが、やがて観念した様子で手を伸ばすと、乱暴に白い花束を受け取る。


「……俺は、うまく慰めたりとか、たぶんできねえぞ」


「十分ですよ」


 アデルはホッとした様子で頷いた。


「お前は、今からどうすんだよ」


「ガルシア様たちと共に、作戦を立てます。どうすれば明日の攻撃をしのげるのか……ただ力でぶつかるだけでは、兵力差で必ず負ける。けれど、僕たちには地の利があります。うまくやれば、何とかしのげるはずです」


「わかった――そっちは頼んだぞ」


 しっかりと視線を交わし、ふたりは同時に背を向ける。

 それぞれの行く先へと歩き出したふたりは、一度も振り返ることはなかった。



   ***



 月は蠢く雲に遮られ、ゆらゆらと不安定に輝きを放っている。


 村の奥の、楡の木の前。

 放心したように座り込むハナエの背中を、気まぐれな月明かりが照らし出す。


 背後から、足音が近づいてくる。

 ハナエがゆっくりと振り返ると、ヨシュアが歩み寄ってくるところだった。


「チビどもが摘んできた。お前に渡してくれってさ」


 目の前に差し出された白い花束は、暗い夜の下でもほのかに輝いて見えた。

 ハナエはしばらく、それをぼんやりと見つめていた。が、やがて手を伸ばし、小さな花束を受け取る。


「ありがとう」


 夜風が花束を撫でていく。ほのかに甘い香りがあたりに広がり、すぐに消えた。

 木の根元に花束を置くと、ハナエは両手を合わせて目を閉じた。


 どれくらいの間、そうしていたのだろう。

 ハナエはすっくと立ち上がると、振り返って笑った。


「ヨシュア、ごめんね。わざわざありがとう」


「……何が」


「落ち込んでる場合じゃないよね……私、行かなきゃ。役目を果たさないとね」


「……」


「呼びに来てくれたんでしょ? 行こう!」


 ハナエの言葉に、ヨシュアはなぜかうんざりした様子で、大きくため息をついた。


「何よ、失礼ね」


「……あのバカの言う通りなのがムカつく」


 ヨシュアはきつくハナエを睨むと、がしっと頭をつかむ。


「ちょっ?」


 そのままぐいっと引き寄せると、ヨシュアはハナエを荒っぽく抱き寄せた。


「な、何すんのよ!」


「うるせえ」


「だって、ヨシュア……!」


「いいから!」


 その強い声に、ハナエは思わず黙ってしまう。

 ヨシュアはハナエを抱き寄せたまま、今度は静かな声でささやいた。


「……もういいから、謝んな。今ぐらい泣け」


 ぐっと腕に力が籠る。

 ヨシュアの温かさが、ハナエの全身を包み込む。


「離して」


「ダメだ」


「離してって!」


「ダメだっつってんだろ!」


「だってこのままじゃ、ホントにあたし……泣いてしまう……!」


 じたばたと暴れるハナエを、ヨシュアは無理やり腕の中に捕まえる。


「泣けよ、いいから」


「強くなるって決めたのに! ぜんぶ守るって、決めたのに……っ!」


 そう叫んだハナエの声は、まるで悲鳴のようだった。

 ヨシュアは少し腕を緩めると、ハナエの頬に手を当て、その顔をのぞき込む。


「あたし……あたしは……! アヤもリトも……守れなかった!」


 ぼろぼろと、ハナエの両目から涙がこぼれ落ちた。

 ヨシュアが指で拭っても、いくつもいくつも涙がこぼれていく。


「白の騎士として……ふさわしくなるって決めたのに! 白い剣が、力を貸してくれたのに……! あたしが、弱いから……!」


「そんなことねえよ」 


 ヨシュアは再び、ハナエをしっかり腕に包む。


「っう……うぁっ……あ、あああっ……!」


 ハナエはこらえきれず、声を上げて泣き出した。


「うわああああああっ!」


 泣きじゃくるハナエを抱きしめたまま、ヨシュアは目を閉じた。


 自分にできることは何なのか。

 ヨシュアは今、自分の頭で必死になって考えていた。





 雲の向こうでぼんやりと光る月は、すでに頭上を越え、西の山並みへと向かっている。


 ヨシュアはまだハナエを抱きしめたまま、楡の木に背を預けて空を見上げていた。

 ハナエはだいぶ落ち着いたようで、眠っているのかと思うほど静かだ。


「――ねえ、ヨシュア」


「なんだ、起きてたのか」


「うん……そろそろ離して?」


「泣き止むまでダメだ」


「もう泣いてないもん」


「嘘つけ」


「嘘じゃないって」


「ふん」


 ヨシュアはぐいっとハナエの頭を抱えた。どうも離す気はないらしい。


「もう、戻らなきゃ。明日に備えないと」


「月が沈んでしまうまで、ここにいていいってさ」


 ヨシュアはそう言ったきり、再び黙ってしまった。


 ハナエも仕方なく、じっと目を閉じる。たくさん泣いたせいでまぶたが痛い。きっと腫れてしまっているだろう。


「――そういえば、アヤはどうした」


 ヨシュアが思い出したように、ぽつりと言った。


「アヤは……北の丘の、巨大な蔦に飲み込まれた。一時は正気に戻せたんだけど、結局助けられなかった……」


「アイツ、何か言ってたか?」


「えっ?」


 ハナエは顔を上げる。ヨシュアはぼんやり空を見つめたままで言った。


「アヤが何をしたのかは、リトから聞いた。けど、あいつは根っからの悪人じゃない。俺はそう思ってる。ただ寂しくて、誰も信用できなくて――孤独に負けてしまっただけなんだと思う。その気持ちは、俺にも分かる」


 ヨシュアはハナエの顔に視線を落として、ちょっと笑った。


「最後にお前らが手を差し伸べて、アヤも本音が言えたんなら、多分アイツも救われたんだろうよ」


 ハナエはうつむいた。

 最後に手を振りほどいたときのアヤの微笑みが、頭をよぎる。


「……アヤは、騙されたって言ってた」


「騙された? 誰に?」


「わからない。騙されたって認めたくなかった、って」


 ヨシュアはハナエから手を離すと、腕を組んで首を傾げた。


「妙だな」


「えっ、何が?」


「騙すってことは、その前にそれなりに信用してなきゃ成立しない。だが、アヤは誰も信用していなかった。側近のゴウトやベルカンにも、心を許してはいなかった。俺たちとたもとを分かった後は特に、一人の殻に閉じこもってるみたいだったぜ」


「じゃあ、いったい誰に……?」


 よいの風が、楡の枝をさわさわと揺らす。


「……なあ」


「……ねえ」


 同時に言葉がこぼれ出る。ふたりは顔を見合わせた。


「そんな馬鹿な」


「そうよね、まさか」


「でも、ほかにいるか?」


「……いない、と、思う」


 ハナエは信じられない思いで、その思い付きを言葉に変えた。


「まさか、黒の王が……?」


 風が吹く。

 幾枚かの楡の葉が、宵染めの空を舞い落ちていく。


「でも、どうして? 黒の王は、白の国も自分の物にしようとしてる、ってこと?」


「どうかな。作物が満足に取れなくなってきた白の国なんか、奪い取ったところで何の利益もない」


「じゃあ、なんで……?」


 ヨシュアは空を仰ぎ見た。


「……この赤黒い雲は、北の丘の蔦の仕業なんだよな」


「うん」


「その蔦にアヤが取り込まれて、アヤは『騙された』と言った――もしアヤをだましたのが黒の王なら、その蔦も赤い雲も、黒の王の仕業なんじゃねえのか?」


「で、でも! あの蔦は【災厄】じゃないかって、ロッドが言ってた。魔女ならいざ知らず、普通の人間にそんなものが扱える?」


「ロッドって誰だよ」


「待って……魔女の弟子とつながってたのは、軍部じゃなくて黒の王だったってこと?」


「だから、ロッドって誰なんだよ!」


「魔女の二番弟子よ。一番弟子もいるけど、そのひとは魔女と喧嘩別れして出て行ったきりだって」


「じゃあ、そいつと黒の王が共謀してるってのか?」


「うー……わかんない!」


「だよな!」


 二人は同時に立ち上がった。


「戻るぞ、いけるか?」


「うん!」


 ハナエが大きく頷く。

 ヨシュアはハナエの手を掴むと、広場へ向かって走り出した。



   ***



 広場はもう、すっかり夜の帳に包まれていた。


 中央に設置された大きな机を囲んで、ガルシアやアデル、森の民、そしてバムじいをはじめとした村の大人たちが、声を荒げて議論を交わしている。


 誰もが真剣だった。自分の得意なこと、自分にできることをそれぞれが提案し、戦略として形を成していく。


 足音が近づいてきたことに気づかないほど、誰もが話し合いに没頭していた。


「あっ、ハナエ姉ちゃん!」


 トトの声に、大人たちは振り返った。

 篝火かがりびに照らされたハナエの顔には、血の通った表情が戻っていた。


「遅くなってごめんなさい! 明日の戦いに備えなきゃね」


「ハナエ殿」


 ガルシアが、ハナエの前へと歩み出る。


「明日の戦いは、我々におまかせください。あなたは、ご自分のなすべきことをなさってください」


「えっ?」


 驚いて顔を上げたハナエに、ガルシアはいつもの大声で笑いだした。


「いやあ、お恥ずかしい。先ほど、ずいぶんとアデルバードに叱られましてな。やっと目が覚めましたわい」


 笑いを収めたガルシアは、頼もしい声で言った。


「このガルシア、これでも鬼と呼ばれた将にございます。数だけの輩に遅れなど取りますまい。ご心配なく、必ずリペルは守り抜きます」


「ガルシアさん……」


 ガルシアだけではない。シエルも、バムじいも、ハンスもいる。ベイリーら獣人たちも、トトたちも、ハナエを見つめて頷いた。


「ハナエ様」


 立ち上がったアデルの元へと駆け寄ると、ハナエは一気にまくし立てた。


「アデル、一緒に考えて! あたしたち、もうわけがわかんない!」


「ええ、もちろんです。さあ、考えをまとめましょう」


 そう言ってアデルが差し出したのは、一冊の手帳――物事を考えるときの、ハナエの相棒だった。


 ハナエがそれを受け取ると、アデルは安心したように笑った。

次は4/5の夜に更新予定です。

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