35.戦う理由
赤黒い雲の隙間から、オレンジ色の夕焼けがのぞいている。
村の奥、大きな楡の木がそびえる場所では、透明な静けさが満ちていくような夕暮れの時を迎えていた。
澄んだ風が、大樹の枝葉をすり抜けていく。
ハナエとアデルは、楡の木の根元に小さなウサギを埋めた。
風が吹くたび、楡の枝葉がさわさわと囁く。
ハナエは両手を合わせ、じっと目を閉じていた。
(戦わなきゃ――もうこれ以上、何も失わないために)
「ハナエ様……」
遠慮がちなアデルの声に、ハナエは顔を上げ、にこりと笑う。
「これから作戦会議が必要だよね。白の王城から本隊が来るまで、あたしたちでここを守り抜かなきゃ」
だが、アデルは頷かなかった。
「僕は少し、ハンスたちと打ち合わせをしてまいります。そこで少し話がまとまってから、作戦会議に移ります。ハナエ様はそれまで、ここでお待ちくださいませんか」
「そっか……分かった。待ってるね」
「あの――いえ、何でもありません」
アデルは言いかけた言葉を飲み込んだまま、ハナエを残して村の方へと足を向ける。
途中でふと足を止め、アデルは振り返った。
夕暮れに染まる空の下では、楡の木もハナエの背中も、まるで影絵のように見えた――その悲しみも痛みも、すべて黒く塗りつぶしてしまったかのように。
(僕には、何ができるだろう――ハナエ様のために、一体何をすればいい?)
アデルは大きく息を吐く。
そして再び前を向くと、村のほうへと歩き出したのだった。
***
「『星読みの民』の力を借りて、村の藁や枯れ草を全部水浸しにしておいたんだ。だから火矢は効かなかった。でも結局、砲撃を受けてさ……」
そう説明するトトの肩にも、厚く包帯が巻かれている。
「そうですか……」
アデルは空を見上げた。
赤黒い雲に覆われた空が、さらに暗さを増している。夜が近づいていた。
「星読みの民は夜目がききますから、暗がりでは黒の国の方が不利になります。たぶん、今夜は攻めてこないでしょう」
「危ないのは、明日の明け方――だよね」
トトはごくりと喉を鳴らした。
こわばった横顔が、昼間の恐怖を物語っているようだ。アデルは無言のまま、その背を軽く叩いてやった。
村の建物は、つぎはぎだらけになっていた。
戦で壊されたというよりは、村人の手によって解体されたらしい。恐らく村を守るため、バリケードの材料に使われたのだろう。
そのおかげか、村の中心部にはほとんど戦の爪痕は残っていない。
よく戦ったものだとアデルは思う。もっとひどい被害を想定していたのだが、星読みの民の協力と、事前の伝令が功を奏したということか。
「あ、そうだ!」
トトは急に立ち止まると、アデルを見上げた。
「さっきガルシアさんが村に着いたって聞いたよ。応援の兵士たちも来てるって」
「ガルシア様が?」
本隊が到着するには、あまりに早すぎる。
ミチの伝令を聞いたガルシアが、個人の判断で先発隊を連れてきてくれたのだろう。
少数とはいえ、ガルシア直属の精鋭部隊だ。これで何とかなるかもしれない。
「トト、ガルシア様はどこにおられますか?」
「駐屯地は病院になっているから、たぶん村の中央広場だと思う。こっちだ」
トトは先頭に立つと、大通りを左に入って早足で歩き出す。
アデルもその後を追った。
前線基地となった村の中央広場には、いくつも篝火がたかれていた。
赤黒い空はいよいよ暗さを増しており、その一部分だけが月の光を透かしてぼんやりと明るい。
広場では、大勢の兵士や村人が、武器や物資を抱えてせわしなく行き来していた。
「明日の朝が勝負の分かれ目になるぞ、しっかり準備しておけ!」
中心にいる大柄な男が、朗々と響く声で指示を飛ばす。
厳しい声ではあるものの、どこか温かく、勇気を奮い起こしてくれるような強さがあった。
「ガルシア様!」
アデルが駆け寄ると、ガルシアは目を見開いて笑った。
「おお、ガーラントの倅よ! 白の騎士殿はご無事か?」
「はい……ガルシア様、戦況はお聞きになりましたか」
「おお、聞いているとも。だがもう心配はいらぬぞ」
「本当ですか! では、何か策があるのですね」
ほっとしてアデルが笑うと、ガルシアは不思議そうに首を傾げた。
「何を言っている。白の騎士殿がご無事なら、何の問題もあるまいよ」
ガルシアは朗らかに笑いだした。周囲の騎士たちも、ニコニコと笑っている。
アデルは眉をひそめて、低い声でつぶやいた。
「……どういうことですか?」
「おいおい、ガーラントよ。お前は何も知らないのか?『白の騎士』とは、白の国を救うために現れる救世主だぞ。あの方が何とかしてくださるだろうよ」
「まさか、本気でおっしゃっているわけではないでしょうね」
「本気も何も、白の騎士とはそういうものであろう?」
アデルは目を見開いて、言いかけた言葉を飲み込む。
ガルシアはそんなアデルを意に介さず、笑いながら周囲を見渡した。
「ところで、白の騎士殿はどちらにおられるのだ?」
アデルは顔を上げ、はっきりと言った。
「今のあなたには、教えられません」
「なんだと?」
ガルシアがじろりと睨む。
「逆らうつもりか、ガーラント。白の騎士の居場所を隠して、一体何をするつもりだ」
だが、アデルはその鋭い眼光を、真っ向から睨み返した。
「あなたこそ、ハナエ様に一体何をさせようというのですか」
「決まっているだろう。これからどうすべきか、指揮をいただくのだ。今こそあの方にすべてを委ねよう。我々はあの方の忠実な――」
「いいかげんにしてください!」
アデルの怒鳴り声が、喧騒の中、鋭く響き渡った。
「ガーラント、貴様……」
ガルシアが剣に手をかける。
「小僧が調子に乗るのはここまでだ。さっさと白の騎士殿の居場所を言え!」
「お断りします」
「ふざけるな! 今がどういう状況か分かっているのか? 戦争がはじまっておるのだぞ! このままでは白の国が滅びかねんのだぞ!」
「だったら滅んでしまえばいい!」
アデルの言葉に、ガルシアは目を見開く。
周囲の兵士たちも、ざわりと殺気立つ。剣を抜き放つ音が、広場のあちこちで冷たく響いた。
だが、アデルは敢然と言い放った。
「白の騎士が何とかしてくれる? バカバカしい! ひとりで立てない国などいずれ滅ぶ! だったら今、滅んでしまっても構わないでしょう!」
広場が、水を打ったように静まり返った。篝火の爆ぜる音が、やけに大きく響く。
「お前、自分が何を言っているか、分かってるのか!」
「落ちこぼれのガーラントめが、いっぱしの口を利きやがって」
「反逆者め、ここで切り捨ててくれる!」
ガルシア直属の兵士たちが抜き身の剣を構え、今にも切りかからんと睨みつけてくる。
だが、アデルは顔色一つ変えずに言葉を返す。
「あなたたちこそ、自分たちが何を言っているか分かっていますか? 白の騎士にすべてを委ねる? ハナエ様に『死ね』と言われれば、あなた方はもろ手を挙げて死ぬのですか?」
「バカなことを! 救世主様がそんなこと言うわけないだろう!」
「同じことです! 誰かに問題を丸投げして、考えることを止めて、言われるがままに従うだけ――その結果が今の窮地を招いたのだと、なぜ分からないのですか!」
「黙れ!」
兵士たちの気迫に、村人たちは息を飲む。だが、アデルは動かなかった。おびえた様子もなく、ただ真っすぐに、彼らを見つめ返して立っている。
「……もういい。ガルシア隊長、俺が探してきますよ」
兵士の一人が構えを解くと、早足でアデルの横を通り過ぎようとした。
――だが。
目の前に、両手を広げたアデルが立ちはだかっていた。
「どけ」
「どきません」
「邪魔だって言ってんだ! いいからどけ!」
兵士は強くアデルを突き飛ばす。
だが、アデルは倒れなかった。
これまでなら簡単に尻もちをついていたはずのアデルが、体をぐらつかせることもなく、しっかりと大地に足をついて立ちはだかっている。
「自分で考えることもできない人に、僕は一歩も引かない。あなたたちなど、怖くありません!」
ガルシアは目を瞠る。あのガーラントが――弱虫で引っ込み思案で、言いたいこともはっきり言えない軟弱者が、まるで巨大な壁のように、自分たちの行く手を阻む日が来るなんて。
ガルシアは歩み出ると、アデルの前で静かに剣を抜いた。
「どかぬというなら、貴様を切るまでだ」
「……今夜は敵襲はありません。せめて今だけでも、あの方をそっとしておいてください」
「ならぬ」
ガルシアは真っすぐアデルに近づいていく。 ほとばしる殺気は、精鋭たちでさえも言葉を失うほどだ。
けれど、アデルは静かに言った。
「今必要なのは、白の騎士にすがることではない――自分に何ができるのか、どうすればこの窮地を脱することができるのか、ひとりひとりが考えることです」
「そんなことをして何になる? 我々の考えなど無駄だ。女王様のお導きに従い、白の騎士に運命を委ねる。それが一番、国のためなのだ」
「国とは、何です?」
「なに?」
ガルシアがピタリと足を止めた。アデルの言葉が鋭く響く。
「答えてください、あなたなりの考えを。僕を切り殺してでも守りたい国とは、あなたにとって何なのです?」
「……国は国であろう! 王女様が治める、この『白の国』だ!」
「それは領土ですか? ここで暮らす人々ですか? それとも王女様そのものでしょうか? 誇り、未来……あなたにとって、守るべきものは何ですか!」
「黙れ! 何も分からぬ小僧が偉そうに! 俺を誰だと思っている?」
ガルシアの怒号が広場全体を震わせる。
周囲の兵士たちは血の気を失った顔で、その場に硬直するばかりだった。
だが、アデルは違った。
カッと目を見開くと、真正面からガルシアを睨み返して大きく叫ぶ。
「だったら答えられますか! 自分が『誰』なのか――何のために戦うのか!」
「俺は近衛隊長だ! それ以上でもそれ以下でもない! 貴様こそ、何様のつもりでいる!」
「我が名はアデルバード=ガーラント! たとえ相手があなたでも、僕は戦う! 今、友人を失って悲しみの底にいるハナエ様を守るために。トトや子供たちが、笑って生きていく未来を守るために!」
アデルは一息に剣を抜いた。
「貴様、正気か? この儂と戦って、勝てると思うのか!」
「誰が相手でも恐れはしない! これは近衛隊でも従者でもない、僕自身の意志だ!」
周囲は痛いほど静かだった。
どうなってしまうのか、皆が固唾を飲んで見守っていた。
ガルシアが剣を構え、一歩前に出る。アデルは両手で柄を握ると、低く身構えた。
その時であった。
「待ってください、ガルシア隊長」
人だかりから、背の高い影が歩み寄ってくる。
「ヨシュアか」
ガルシアはアデルを見据えたままで、そう言った。
ヨシュアはゆっくりとふたりに近づいていく。
そして、アデルの隣に並び立つと、口を開いた。
「コイツを切るつもりなら、その前に俺が相手になりますよ」
「……貴様まで、この儂に刃を向けるつもりか」
「隊長には、孤児だった俺を拾ってもらった恩がある。だけど――すべてを捨ててでも、譲れないモノのひとつくらい、俺にだってあるってことです」
ガルシアの鋭い眼光の前でも、ヨシュアは全く動じなかった。アデルをかばうように立つと、真正面からガルシアと向き合う。
ヨシュアが手にした剣の意匠は『菖蒲』。由緒あるガーラント家の家紋である。
一方のアデルが構えた剣は『月桂樹』。部隊で一番の使い手に贈られる、兵士にとって最高の栄誉そのものであった。
「ほう、成程な……」
ふたりの剣を、ガルシアは眩しそうに眺める。
一触即発の状況だというのに、その口元はかすかに綻んでいた。
「やめて! 仲間どうして戦わないで!」
「おじちゃん、ケンカはヤダ」
「ケンカはダメ」
そう言って、小さな足音が広場に飛び込んでくる。
赤毛の少女と、双子の子どもたち――ターニャとイージャ、そしてマーレの三人が、アデルとヨシュアに駆け寄っていく。
張り詰めた緊張が、ふっと緩む。
アデルは剣を収めると、その場にかがんで微笑んだ。
「どうしたのです? 三人とも」
アデルが聞くと、イージャとマーレは、ふにゃりと顔をゆがめた。
うつむいた大きな目に、涙がみるみる溜まっていく。
「ハナエ、悲しそうだった」
「ハナエ、つらそうだった」
アデルは無言のまま、ふたりの頭を軽く撫でた。
ターニャは後ろに回していた手を、アデルの目の前に差し出す。
「あのね、あたしたち、何ができるか考えたの。でもね、これくらいしか思いつかなかった……」
その手あったものは、白い花束だった。
花びらは焼け焦げ、ところどころが煤で汚れている。砲撃のあった草原で、こっそり摘んできたのだろう。
「リトにいちゃんに、お供えしてあげて」
ターニャの頬に、涙のすじが幾本も残っている。
アデルは指を伸ばすと、そっとその頬を拭った。
「ありがとう。必ず届けます」
アデルの指に、新しい涙がぽたぽたと落ちてくる。
「ごめんね……あたしたち、いっぱい考えたんだけど、こんなことしかできなかった……」
「ごめんね、アデル」
「ごめんね、ヨシュア」
こらえきれなくなったのだろう。三人はそこまで言うと、わっと泣き出してしまった。アデルは三人の肩を引き寄せると、まとめてぎゅっと抱きしめる。
「いいえ。あなたたちはちゃんと、今できることを考えた。立派です……さあ、泣き止んで。花束は預かっておきますから、あなたたちはトトのところへ戻っていてください」
アデルはそう言って手を離す。三人はごしごしと涙を拭うと、しっかりと頷いた。
「うん。わかった」
そして、ガルシアをじいっと見上げる。三人の視線にたじろぎつつ、ガルシアも体をかがめた。
「おじちゃん、アデルをいじめないでね」
「ヨシュアと喧嘩しないでね」
「喧嘩はダメ」
それだけ言い残すと、三人は再び、ぱたぱたと走り去っていった。
いつしか周囲の影は、ずいぶんと色濃くなっていた。
赤黒い雲の切れ間から、明るい月がのぞいている。
「せめてあの月が、向こうの山に消えてしまうまで……それまで、ハナエ様をそっとしておいてはくれませんか」
ぱちんと、音を立てて火花が爆ぜた。
ガルシアは大きなため息をつくと、カシャンと音を立てて剣を収めた。
「幼子にああも言われては、貴様らを切るわけにいかぬ」
そしてくるりと背を向けると、ガルシアはつぶやいた。
「守りたいもの、か……まさか隊一番の落ちこぼれから、説教されるとは思わなんだ」
そう言って、ふふっと笑う。
水を差されたというのに、ガルシアはなぜかひどく嬉しそうだった。
「貴様らの気迫、名だたる剣豪に一歩も劣らず――その勇気に免じて、この場は引いてやろう」
「ガルシア様……」
「ヨシュア、それとガーラントの倅――いや、アデルバードよ、後できっちり処分は受けてもらうぞ。この国を守り切った、その後でな」
ガルシアはそう言うと、村中に響き渡るほどの大声で豪快に笑った。
「皆、聞け! 明け方には、敵の本隊が攻めてくるはずだ。だが、恐るるに足りず! 我らの誇りにかけて、この村を守りきるぞ!」
うおお! と雄たけびが上がる。
兵士も、村人も、星読みの民も、誰もが勝利を確信した顔で拳を掲げている。
次々と歓声が上がる中、アデルはほっと息をつくと、隣に立つ親友へと向き直った。
「助かりました。ヨシュア、ありがとう」
「……別に。感謝されるようなことはしてねえよ」
相変わらずの態度だが、その口元には満足げな微笑みが浮かんでいる。
アデルは小さく笑うと、改めて口を開いた。
「ついでにひとつ、頼みを聞いてくれませんか?」
「なんだよ?」
「これを、ハナエ様に届けて欲しいのです」
そう言ってアデルが差し出したのは、先ほどの白い花束であった。
次回は4/4の夜に公開予定です。




