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32.救出

 ――聞こえる。


 薄暗い牢の中で、ヨシュアは目を開けた。

 かすかに、足音がふたつ。


 ひとつは、まるで野生動物のようにかすかな足音。

 もうひとつはパタパタと、まるで緊張感のない……むしろどこか楽し気ですらある、軽快な足音だった。


「……あのバカ、なんで来たんだよ」


 そう言いつつも、頬が自然と緩んでしまう。

 ヨシュアはゆっくりと体を起こして、駆けつけてくる人物を待った。


「お待たせ、ヨシュア!」


 目が合うと、ハナエは笑う。

 ヨシュアは、わざと呆れた様子で口を開いた。


「なんでお前が来るんだよ」


「もー、助けに来たのにそれはないでしょ」


 ハナエはカギを取り出すと、錠をガチャリと外す。


「おい、何でカギ持ってんだよ」


「あとで話すよ。立てる?」


 ヨシュアは難なく立ち上がる。

 その様子を見て、リトがヒューウと口笛を鳴らした。


「なーんだ。お兄さん、元気そうじゃん」


「……ハナエ、この頭の軽そうな男は何者だ」


 あからさまに不機嫌になるヨシュアに、ハナエは思わず笑いだす。


「それも、あとで話す。さあ、こんなとこ早く出よう!」


 おりからヨシュアを連れだしたちょうどその時、廊下の端から派手な悲鳴が上がった。鋭く警戒するヨシュアに、リトが声をかける。


「大丈夫、大丈夫。行ってみようぜ」


 納得いかない顔のヨシュアを連れて、リトは悲鳴の上がった方へと駆け出した。




 廊下の真ん中に、大の字になって男が転がっていた。ベルカンだ。白目を剥いて気絶している。

 チューチューとからかうように、子ネズミが二匹、男にまとわりついてた。


「第四師団のイジワルな団長補佐さん、ネズミが大の苦手なんだとさ。イージャ、マーレ、もういいぞ!」


 子ネズミはチュッと鳴くと、ささっと男から離れてリトの足元へと身を寄せる。

 ヨシュアは手を伸ばすと、ベルカンの腰にある一振りの剣を取り上げた。


「返してもらうぞ。この剣はお前みたいなクソ野郎にはふさわしくない」


 菖蒲しょうぶの意匠があしらわれたさやが、燭台しょくだいの火を反射してきらりと光る。

 剣は元通り、ヨシュアの腰に収まった。


「じゃあ、そろそろオサラバしようぜ!」

「そうね。イージャ、マーレ、案内よろしく!」


 チュッと返事をして、二匹のネズミは素早く動き出す。

 ハナエたちも、その後を追いかけて走り出した。



   ***



 二匹と三人は、牢へとつながる回廊を逆方向へとずんずん進んでいく。

 ずいぶん走ったはずなのに、一人の兵士とも出会わない。


「なんで誰もいないんだ? 奇妙だな」


 走りながらヨシュアがつぶやいた。酷いケガをしているはずなのだが、これだけ走っても全く息が乱れていない。ハナエはもうすでに苦しくて、ぜえぜえと大きく息をしているというのに。


 ヨシュアと同じく、けろりとした顔のリトが言う。


「見張りのいないルートを選んで通ってる。けど、それだけじゃないな。今は中庭でえらい騒ぎになってるはずだし」


「中庭?」


 ヨシュアが眉をひそめる。


「アデルたちが噴水の止水弁を壊しに行ったの」


 ハナエが言うと、ヨシュアは「ああ」と納得した様子で頷いた。


「確か、高低差を利用して水圧で噴き上げる仕組みだって言ってたな」


「そういうこと。だから今頃、中庭では水が際限なく噴き上がってるだろうよ。クジラの潮吹きみたいにさ」


 そう言ってカラカラと笑うリトを、ヨシュアは胡散臭うさんくさそうに見ている。


「おい、ハナエ。コイツは一体何なんだ」


「彼は、リト。『外の森』に住んでる『星読みの民』よ。あたしたちに協力してくれてるの」


 ハナエがそう教えても、ヨシュアはまだ不審ふしんそうにリトをにらんでいる。


「まあまあ、そう怖い顔すんなよ。仲良くやろうぜ、ヨシュア」


「それより、アデルはどこだ」


「おい、無視かよ」


 バチバチとにらみ合うふたりを振り返って、子ネズミが「ジジッ!」と鳴く。


「ほら、イージャが怒ってるよ。ケンカしないの! アデルは東の門で待ってるわ」


 回廊を抜け、渡り廊下を通り過ぎ、らせん階段を下って城外へ。


 途中でちらりと見えた中庭は、水浸しのビショビショで、まだまだ水が高く噴き上がっていた。兵士らは蟻の子のようにわらわらと、大慌てで物資を運びだしている。


「あれじゃ、大半の火薬は湿気しけっちまっただろ」


 リトがへへっと笑う。


 城内に混乱をもたらして見張りを減らし、さらに戦争のための武器を使えなくする――アデルの作戦には二重の狙いがあったのだ。


「でも、ちょっとやりすぎじゃない?」


 ハナエが顔を曇らせる。

 けれどそんな心配も、ヨシュアが簡単に笑い飛ばしてしまった。


「ここは工業国だ。戦争なんかにかまけてなけりゃ、こんな故障くらいすぐ直せるさ。水びたしではあるけど、洪水ってわけじゃない。そこまで被害は大きくならねえよ」


 前を走る子ネズミたちが、チチッと鋭く鳴いた。

 東の門が見えてきたのだ。


 落とし門は以前のように、太いロープで城壁の上に吊るされている。あのロープを切れば、門が落ちてきて閉まるのだ。


「止まれっ、何者だ!」

「ここは通さんぞ!」


 ふたりの見張りが声を上げ、槍を片手に飛び出してくる。

 リトはぐんとスピードを上げると、ちらっとヨシュアの横顔をうかがった。


「ヨシュア、いけるかい?」


 ヨシュアはふんと笑った。


「当たり前だ。少しは礼をさせてもらわないと、気が済まん」


「オッケー。じゃあ、右よろしく!」


 子ネズミたちを追い越して、リトが駆け抜けていく。負けじとヨシュアも飛び出した。 見張りの兵士を目がけて、ふたりは信じられない速度で迫っていく。


 兵士たちは、声を上げる暇さえなかった。


 リトとヨシュアは加速をつけたまま兵士たちに飛びかかると、飛び蹴りを一発見舞う。兵士たちは無言のまま、その場に崩れ落ちた。


「ヨシュア、リト!」


 背後から声がして、アデルとカイラが駆け寄ってくる。その足元にも、三匹のネズミたちが群れていた。


「話は後だよ。さあ、早く外に!」


 カイラに言われるがまま、ハナエは子ネズミたちと一緒に門をくぐった。カイラはヨシュアの肩もぽんと叩く。


「ほら、あんたも早く行きな! 門はあたしが閉めてやるから」


「しかし、それじゃアンタがここに残されちまうぞ!」


「心配ご無用。ほら、行った行った!」


 カイラを残し、全員が門をくぐる。まだ追手は来ていない。カイラは短剣を抜くと、ロープをぷつりと断ち切った。


 ドゴン!

 門が落ち、扉が閉まった。


 軽い羽音を響かせて、一羽の鷹がひらりと城門を超えてくる。鷹はハナエの頭上を越えて、そのまま森へと向かって飛ぶ。


「あたしたちも行こう!」


 針葉樹の森はもう目の前に見えている。ハナエはラストスパートのつもりで、乾いた大地を懸命に蹴った。



   ***



 森に飛び込んでから少し走って、一行はやっと足を止めた。

 ハナエは荒い息を繰り返し、その場に座り込んでしまった。


「がんばったね、ハナエ」


 人の姿に戻ったカイラが、頭をくしゃりとなでてくれた。


「任務完了だな! うまくいったもんだぜ」


 リトは満足そうだ。ネズミたちも今は人の姿になって、作戦の成功を喜んでいる。

 アデルはほっとした様子でため息をつくと、真正面からヨシュアを見据えた。


「無事でしたね、ヨシュア」


「……当たり前だろ」


 そして、ふたりは同時に笑う。

 互いの意匠を刻んだ剣鞘が、月明りを跳ねてきらりと輝いた。


「ねえ、これからどうするの?」


 ハナエが首をかしげると、アデルが言った。


「まずは戦争を止めることです。黒の王を探したのですが、城内にはいないようでした。こうなったらもう、王女様のお力を借りるしかありません。飛べる仲間に伝令を頼みましたので、準備ができ次第、白の国からの応援部隊がリペルに向かうはずです。それまで何とか持ちこたえられれば……」


「俺たちもいるし、里の仲間も先にリペルに行ってる。何とか食い止めなきゃな」


 リトが頼もしく言うと、カイラたちも頷いた。


「じゃあ、あたしたちは――」


 そう、ハナエが言いかけた時だった。


 ドォン!

 地面ごと突き上げるような衝撃だった。


 轟音ごうおんがめりめりと響く。大地が音を立てて揺さぶられている。とても立ってなどいられない。皆、地面に倒れ伏すと、岩や木の幹にしがみついて体を支える。


 何が起きているというのか。


 あたりが急激に暗くなっていく。

 ハナエは空を見上げ、そして息を飲んだ。


「雲が……!」


 そばにいたアデルも、天を仰いで目を見開いている。驚きの形に開いた口からは、何の言葉もこぼれてこない。


 思わず言葉を失うほど、それは異様な光景だった。


 赤黒い雲がもうもうと湧きあがって、空をものすごい勢いで覆い尽くしていく。


 遠く、北の方角。

 森の奥から太く立ち上がった赤い煙の柱。それが天へと届くと、そこから水を流し込むように、雲が四方八方へとどくどくと広がっていく。渦を巻く分厚い雲から、時々不気味な閃光が走り、轟々《ごうごう》と恐ろしいうなり声が聞こえてくる。


 カイラはばさりと鷹に姿を変えると、空へと舞い上がった。やがてすべるように着地すると、再び人の姿に変わる。


「見たこともないデカイ木が、煙を噴き上げてる!」


「場所はどこですか?」


 アデルが聞くと、カイラは煙の柱のほうへ目を向けた。


「北の丘だ。朝もこのあたりを飛んだけど、あんなものはなかったはずだよ」


 フィィィィ……


 かすかに音がする。

 すぐ近くから――虫の羽が震えているような、小さくて高い音だ。


「おい、ハナエ。それ、光ってないか?」


 ヨシュアの視線を追って、目を落とす。

 腰にいた白い剣が、ほのかに光って小刻みに震えている。


「なに、これ」


 ハナエはつかを押さえたが、白い剣はまだ震え続けている。何かを訴えるように、ゆっくりと白く点滅を繰り返している。


「……ハナエ、お前は北の丘へ行け」


「え?」


「剣が呼んでる。あの黒い煙は、白い剣と因果があるのかもしれない」


 ヨシュアが厳しい表情で言った。


「ヨシュアはどうするの」


「俺はリペルの村へ行く。ベルカンの野郎が言ってた、あの村を落とせば白の王城はすぐ落ちると。そんなこと、させてたまるかってんだ」


 リトはしっかりと頷くと、口を開いた。


「よし、俺もそっちへ行く。アデル、お前はハナエと一緒に北の丘へ向かってくれ」


「いいえ、僕は白の国の近衛兵です。リト、あなたが戦場に向かう必要はない」


「白の国が滅んだら、奴らは確実に森の民も襲う。ここで食い止めなきゃ、俺たちもまずいんだ。それに、あれが本当に木なら、植物に詳しいお前が見た方がいいだろ?」


 リトが言うと、ヨシュアも頷いた。


「ハナエを頼む」


「……分かりました。皆、くれぐれも気を付けて」


「そっちもな」


 ヨシュアはカイラに向き直った。


「お前、先に村に飛べるか?」


「もちろんだ。鷹の翼をナメんじゃないよ」


「なら、伝言を頼む。奴らは火矢で村を燃やすつもりだ。農村には枯草や干し草が多いから、いったん火が付けば消し止められなくなる。何とかして先に知らせたい」


「わかった。任せな」


 カイラは羽音を残すと姿を変え、一直線に飛び立った。


「俺たちも急ごう」


 ネズミたちを肩に乗せ、リトとヨシュアも動き出す。


 ハナエも立ち上がった。足が痛いなどと言ってはいられない。何が何でも走り続ける覚悟で、ハナエは言った。


「行こう、アデル!」


「ええ、行きましょう」


 顔を見合わせて頷くと、ふたりは北の丘へ向かって駆け出した。

次回は4/1の夜に更新予定です。

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