31.戦争の足音
アヤとの決着から、一夜が明けたころであった。
アデルの肩に寄りかかって寝息を立てていたハナエの耳に、慌ただしい羽ばたきの音が飛び込んできた。
「アデル、いるか?」
ばさりと音を立てて地面に降り立ったのは、飴色の髪のスレンダーな美女である。
「カイラ! 何かあったのですか?」
「リトとハナエも戻ってたのか……って、なんだよこりゃあ」
カイラは驚いた顔で、見る影もなく破壊された集落を見渡している。
無理もない。たった数日留守にしただけで、こんな惨状になるなんて予想もしていなかっただろう。
「えらく派手にやられたな。みんなは無事なのか?」
「ええ。全員無事です」
ならいいや、とカイラはあっさり言った。
獣人族は人間よりも、住処に対する執着が薄いのかもしれない。
「それより大変だ、黒の国が動き出した。白の国に攻め込む気だぞ」
「えっ?」
「軍の偉い奴らが、ついさっき会議で決定した。すぐに進軍の準備に入って、先発隊がリペルを征服するつもりらしい」
「なるほど……その後、本隊をリペルに招き入れてから、本格的に王城を狙うつもりですね。こんな早朝に会議を行うとは……反対勢力が口をはさめないように仕組んだのでしょう」
アデルは険しい表情で、じっと虚空を睨んでいる。ものすごい速さで考えを巡らせているのが、そばで見ていても分かる。
いつの間にか、周囲には里の人々が集まってきていた。
「おい、アデル! どうすんだよ! 戦うのか? 俺たちも加勢するぞ!」
クマの獣人が、アデルの肩を後ろから掴んで揺さぶる。リトが渋い顔でその手を押さえつけた。
「ベイリー、ちょっと黙ってろよ。アデルは今、考えてるんだから」
「うるせえぞ、リト! 俺たちの命があるのは、アデルのおかげなんだ」
ベイリーは憤慨した様子でまくしたてる。
「黒の騎士が現れたとき、俺たちは戦うつもりだった。でもアデルが戦うなって言って、俺たち全員を避難させたんだ。そうでなきゃ全滅だった。コイツには恩がある!」
側にいた獣人たちも、うんうんと頷いている。リトはあきれた顔で言った。
「分かった、分かったよ! けど、ちょっと待てって。勢いだけでモノを言うんじゃねえよ。アデルも困るだろーが」
むう、と不満げな顔で口をつぐんだベイリーたちを見て、アデルは笑顔を見せた。
「ありがとうございます――さて、考えがまとまりました。リト、何か書くものをお借りできますか?」
リトは身軽に駆け出すと、すぐに紙と羽ペンを持って戻ってきた。
アデルはそれを受け取ると、焼け残ったテーブルの天板の上で何かを綴り始める。
さらさらと手を動かしながら、アデルは口を開いた。
「カイラ、空を飛べる者の中からふたり、飛行速度が速い人に頼みたいことがあります」
「あたし以外で、ってこと?」
「そうですね。カイラには他に手伝って欲しいことがあるので、できれば別の人にお願いしたいです」
「だったらシロハヤブサのマサと、アマツバメのミチかな」
カイラが「呼んでこようか?」と言う前に、群衆の中から声が上がった。
「ハイハーイ、ここにいるよ」
「スピードなら任せてくれよ」
マサは、ツンツンと逆立った銀髪の青年。ミチは漆黒の髪をふたつに結った少女だった。
アデルは書き上げた二通の手紙を差し出す。
「マサ、あなたはリペルの村へ飛んでください。そして、この手紙をターニャという少女に渡してほしいのです。珍しい赤毛の女の子なので、すぐにわかると思います」
「ターニャに?」
ハナエは首を傾げた。リペルには、バムじいも近衛兵のヨハンもいる。
なぜ大人ではなく、わざわざ幼いターニャに渡すのだろう。
「識字率が低いこの国で、しかも辺境の村であるリペルでは、字が読める者はほとんどいないでしょう。近衛兵のハンスも、それは同じです。けれど、賊に捕まっていた時、ターニャは双子に『絵本を読んであげた』と言っていました。ということは、ターニャなら確実に字が読めるはずです」
そこまで考えていたとは……感心するハナエの前で、アデルはもう一通の手紙をミチに手渡す。
「ミチは、少し遠いですが、白の王都へ飛んでください。城下町に、緑の屋根の食事処があります。そこの店主にこれを渡してください」
「遠いのは平気。でも、お城じゃなくていいの?」
「ええ、それが最善です。その時『アデルはここのシチューに目がない』と伝えてください。僕の伝言が本物だと分かるはずです」
「了解。じゃあ、出発するね!」
ふたりはすぐに姿を変えると、羽音を残して空へと舞い上がった。
「じゃあ、俺たちもリペルに向かうか?」
リトが言うと、食いつくようにベイリーが身を乗り出す。
「アデル、俺たちも行くぞ!」
「ベイリー。気持ちはありがたいですが、リペルは確実に戦場になります。あなたたちの命を危険にさらすことはできません」
「何言ってんだよ、水くせえ! お前に拾ってもらった命だぞ、お前が使え!」
「いいえ、あなたの命はあなた自身のものです。他人に使われてはいけないものです」
「でもよォ……」
ベイリーは不満げにうなっている。
「ベイリー、友人を困らせるものではない」
ゆっくり近づいてきたのは、里長シエルの姿だった。
「でもよぉ、里長」
「アデルの言う通りだ。お前は自分で自分の運命を決めなさい――私のようにね」
シエルはアデルの前で足を止めた。
「アデル、私もリペルへ行こうと思います」
「なぜです、危険だとお判りでしょう」
「リペルが陥落すれば、次はこの里が危ないのです。今の我々に、黒の国と戦う準備はありません。リペルの村と力を合わせることで、数日の間なら耐え凌ぐことができるかもしれない。その間に、白の国からの援軍が来れば――我々はそれに賭けるしかありません」
そう言ってシエルは微笑む――覚悟の決まった顔だった。
シエルはそのまま言葉を続ける。
「危険なのは百も承知。ですが、私は自らの意思で、リペルへ赴くことを決めました。それに、ベイリーたちが突然現れたら、リペルの人も怯えてしまうでしょう。私がきちんと話をします。そうすればリペルの人々も、我々森の民を受け入れやすくなるでしょうから」
「俺も行くぜ! 文句は言わせねえぞ、アデル!」
ベイリーが吠えると、周囲の獣人たちも、そうだそうだ! と声を上げる。
「……分かりました。ですが、ひとつだけ」
アデルがそう言って手を上げると、騒いでいた獣人たちがぴたりと黙る。
「決して無理はしないと約束してください。生き延びて、皆でまた会いましょう。いいですね?」
ウオォ……! と歓声が沸いた。
アデルは深々と頭を下げる。
ハナエも並んで、深く礼をした――あたしたちには今、こんなに心強い仲間がいる。
「んじゃ、さっそくリペルに向かうとするか」
「いいえ、リト。僕たちは先に行くところがあります」
「どこだよ」
「黒の王城です」
ハナエははっと顔を上げた。
「ヨシュアを助けに行くのね!」
「ご明察ですね。その通りです」
アデルはにっこり笑って頷いた。
「黒の王城は今、戦争の準備で浮足立っているはず。リペルへの進軍を開始すれば、人手も不足します。潜入して救出するには、絶好のタイミングです」
「そういうことなら、カイラは必須だな。あとは俺と――ベイリーたちはどうだ? クマの姿で檻とかぶっ壊してもらうか?」
リトが言うと、アデルは笑って首を振った。
「そんな派手はことはしませんよ。そうですね――双子のネズミたちに手を借りたいのですが、いいですか?」
「イージャとマーレか? あいつらで大丈夫か?」
「ええ、もちろん。危険なことはさせませんから、ご安心を。もし他にもネズミの獣人がいれば、手を貸してもらえると助かります」
「わかった」
リトが駆け出す。ほどなく、双子のネズミと、他に三人の青年を連れてきた。
青年たちは協力を快諾してくれた。
だが、双子たちはアデルの前に歩み出ると、大きな瞳を潤ませて見上げて言った。
「イージャ、手伝う」
「マーレも、手伝う」
「でも、お願いがあるの」
「お願い、聞いて欲しいの」
ハナエはその場にしゃがむと、子ネズミたちと同じ目線の高さで尋ねた。
「お願いって、なあに?」
「リペル、行きたいの」
「リペルに行って、ターニャに会いたいの」
「お願い、ハナエ」
「お願い、ターニャに会いたい」
ハナエは座り込んだままで、アデルを見上げた。
「どうしよっか、アデル」
「……守るものを一か所に固めておいた方が、守りやすいかもしれませんね」
アデルはそうつぶやくと、ハナエの隣にしゃがみ込んだ。
「分かりました。ヨシュアを助け出した後、皆でリペルへ行きましょう」
「やった! ありがと!」
「ありがと! アデル!」
アデルは双子の頭をくしゃりと撫でると、立ち上がって言った。
「さあ、僕らも出発しましょう」
「ねえ、アデル。本当にこのメンバーで大丈夫なの?」
ハナエが聞くと、アデルはにこりと笑った。
「大丈夫ですよ、僕に策がありますから」
「策って、どんな?」
「道すがら、ご説明します。この方法なら、黒の国の戦力を削ぐこともできるかと思いますよ」
一体どんな策なのか、ハナエにはさっぱり思いつかない。
だが、アデルは自信ありげな様子で笑ってみせたのだった。
***
トポン……トポン……。
規則正しい間隔で、水滴の落ちる音が聞こえている。
通路に設置された燭台の火が、鉄格子の影をちらちらとゆらめかせる。
牢の内側。
ヨシュアは冷たい床に倒れ伏したままで、それをぼんやり眺めていた。
頬も、腕も、割けた衣服から覗く背中にも、青黒く傷跡が浮いている。うつぶせに横たわったまま、ヨシュアはぴくりとも動かない。呼吸のたびに上下する胸だけが、彼の生存を証明していた。
足音が近づいてくる。
カツン、カツンと嫌な音を立て、足音の主はやがて牢の前で立ち止まった。
「よう、気分はどうだ? いい気味だな」
ギシギシと擦るような耳障りな声が、暗がりに響く。
声の主は、アヤと共に勅使として白の国に赴いた、あごひげの嫌味な男――黒の国の第四師団、ベルカン団長補佐であった。
ヨシュアはその憎たらしい笑顔を、キロッと瞳だけで見上げる。腰にはヨシュアから召し上げた菖蒲紋の剣を、これ見よがしに吊るしている。
「……」
ヨシュアは何も言い返すことなく、黙って荒い息を繰り返すばかりだった。
ベルカンはその姿を見て、さも愉快でたまらないといった風に笑った。
「哀れなお前にいい情報を教えてやろうか。今朝の閣議で、白の国に攻め込むことが決まったぞ。手始めに本日午後より、先発隊によるリペルへの侵攻が始まるのだ!」
ベルカンは目をぎらつかせながら、ヨシュアに向かってさらにたたみかける。
「よければ作戦も教えてやるぞ! 大量の火矢で、ワラや木造の家を一斉に射かけるのさ! どうなると思う? あんな農村、あっという間に灰になっちまうだろうよ! その後じっくり攻め込めば、あっさり降伏するだろうさ! くは、くははははは!」
鉄格子の隙間から手を伸ばすと、ぐったりと無抵抗なヨシュアの髪をぐいっと掴んで顔を上げさせる。
だが、ヨシュアは焦点の合わない目で、ぼうっとベルカンの顔を見ようとするばかりであった。
「かわいそうになあ。お前が今ここから出られたら、侵攻に間に合うかもしれない。もしかしたら、村の奴らを逃がすことぐらいはできるかもしれないのになあ。残念だよなァ」
ベルカンはニタニタと品のない笑いを張り付けたまま、ヨシュアの顔をのぞき込んで言った。
だが、急に興味を失ったように手を離す。ヨシュアは床に頭を打ち付けたが、うめき声すら上げられない。
「お前は殺さない――黒の騎士の命令だからな。せいぜい生き延びて、白の国が滅びゆく様を見届けるがいいさ」
くははははは! と高笑いを響かせながら、ベルカンは上機嫌で立ち去っていく。
ヨシュアは足音が完全に聞こえなくなるのを確かめてから、チッと乱暴に舌打ちをした。
「あのクソ野郎、覚えてやがれ」
ヨシュアは動けないのではない。
動けないふりをして、少しでも体力の回復を図っているのだ。
そのために、ベルカンから何を言われても、どんな仕打ちを受けようとも、ヨシュアはじっと黙って耐え続けてきた。
以前までの彼ならば、このような屈辱には耐え切れなかっただろう。命よりも誇りを優先して、死を選んでいたかもしれない。
――だが、今は。
アデルの朴訥な笑顔がまぶたの裏に浮かぶ。ガルシアの豪快な笑い声が耳にこだまする。王女の微笑みが、トトの泣き顔が、バムじいの人なつっこい笑顔が脳裏をよぎっていく。ラームの嫌味でさえも、今となっては愛おしい。
もう一度会いたい人たちが、今はこんなにもたくさんいる――城を出て旅をすることで、自分の命は自分だけのものではないと、ヨシュアもまた知ったのだ。
「……ハナエ」
名前をつぶやくだけで、花が咲いたような笑顔を思い出す。
無事でいるのか。またひとりで思い悩んで、落ち込んでいるんじゃないのか――。
「頼むぞ、アデル……」
チャンスは必ず来ると信じていた。
そして、その時はもう間もなく訪れるということも、ヨシュアには分かっていた。
戦争になる――このタイミングを、アデルが逃すはずがない。
トポン……トポン……。
来るべき時のために、今は少しでも体力を回復しておかなくてはならない。
水滴の音を聞きながら、ヨシュアは再び目を閉じた。
次回は3/31の夜に更新予定です。




