28.因縁
翌日の朝早くから、ハナエとリト、そして道案内役のビーツは『魔女の弟子』の居場所へと向かった。
【星読みの里】を出発してしばらく歩くと、森は早くも表情を変えた。
結晶サンゴはくすんだ暗い色になり、やがて黒や灰色ばかりになった。その枝々にも、地衣類が濡れた外套のように垂れ下がり、森全体を暗く覆っている。
急な上り坂ではないが、足場はゴツゴツした岩ばかりで歩きにくい。ふらつくハナエの手を引いて、リトとビーツはどんどん先に進んでいく。
もう、どれくらい歩いただろうか。
膝が震え、足の感覚がなくなってきた。
「ん? 川の音がしないか?」
ふいにリトが言った。
耳を澄ますと、折り重なった木々の向こうから、何か音が聞こえてくる。
ビーツが励ますように言った。
「もう少し向こうに、丸木橋がかかってるんだ。それを渡ったら、もう目の前だよ」
ハナエは荒い息を繰り返しながら、なんとか頷いた。
***
森を抜けると、ひんやりした空気が鼻先に触れた。
流れの速い川が目の前に横たわって、せわしなくごうごうと水音を立てている。
「あっちだよ!」
ビーツが指さす。
ハナエが一歩踏み出した、その時だった。
「どこへ行くの、ハナエ」
背後から、ぞくりと冷たい声がした。
リトがすばやく、ハナエをかばうように立つ。
その肩ごしに、ハナエは見た。長い黒髪の美少女――その冷たく燃える瞳を。
「アヤ……」
「よくもまあ、こんなところまで逃げてきたものね」
その視線の鋭さだけで、痛みを覚えるほどだった。けれどハナエもしっかりと顔を上げると、その目を見返して言った。
「ヨシュアは無事なんでしょうね?」
「あなたにはもう、関係ない話よ」
アヤは低く構えると、漆黒の柄に手をかけた。
(いけない!)
次の瞬間、ハナエはリトの前に飛び出していた。
ガキン!
激しくぶつかる白と黒。ふたつの刀身がギリギリと音を立て、火花が散る。
「ハナエ、あなたにはここで死んでもらうわ!」
大きく弾かれ、ハナエは体勢を崩した。黒い刃が襲い掛かる。すんでのところで白い剣が受け流す。刃が弾け、硬い音が響く。
「アヤ、待って! 話を聞いて!」
「黙りなさい! あなたが死ねば、王様は助かるのよ!」
鋭く唸るアヤの剣を、白い剣が危うく弾く。さすがに剣道部のエースは伊達ではない。対するハナエは、柄を握りしめるだけで精いっぱいだ。
アヤは再び剣を構えなおすと、素早く間合いを詰めてくる。
風を切って刃が奔る。突きが頬を掠める。剣を跳ね上げ、黒い刃を反らし、後ろに下がって距離を取る。息が上がって苦しい。だが、気を抜いている余裕はない。
「待ってってば! あたしが死んだら王様が助かるなんて、そんな馬鹿な話があるわけないじゃない!」
ハナエが叫ぶと、アヤは剣を構えたまま、皮肉そうに笑った。
「馬鹿げた話よ、何もかも――これは最初から、私とあなたの因縁だった。黒の騎士と白の騎士、黒い剣と白い剣の因縁だったのよ。王様と王女様は、それに巻き込まれただけ」
「意味が分からない。どういうこと?」
「黒の王様のご病気は、魔女の呪いじゃない――白の騎士の呪いなのよ」
アヤは真剣な表情でそう言った。
「は? なによそれ、あたし呪いなんてかけてない!」
「いいえ――あなたがこの世界に存在するだけで、その呪いは発動し、王様は苦しんでいる。逆に、白の王女様のご病気は、黒の騎士である私がこの世界に存在しているせいなのよ!」
「嘘でしょ、そんなのおかしいよ!」
「私だって、何もかも嘘だったらよかったと思ったわ。でもこれが真実よ!」
アヤは、カッと目を見開いた。
「王様のため、あなたの命をもらうわ! あなただって、王女様を助けたいなら私を殺すしかないのよ!」
黒い刃が、大きく横に薙ぐ。
かろうじて受け止めたが、あまりの衝撃にハナエは吹き飛んだ。木に体を打ち付けて、その場にずるりと倒れる。
痛みに顔をゆがめなら、それでもハナエは叫んだ。
「それが本当かどうか、アヤは自分で調べたの? あたしは自分で確かめるまで、そんな話は信じない!」
「黙りなさいよ、嘘つきが偉そうに! あなたなんかより、ずっと信頼できるひとから聞いたんだから!」
アヤは怒鳴り声と共に、ふりかざした黒い剣を叩き付けた。背後の木が真っ二つに裂かれ、地響きを立てて倒れる。
もうもうと上がる土煙。
その中から、白い光が奔る。
「く……っ!」
飛び出してきたハナエが、黒い剣めがけて切りかかる。
ふたりは鍔迫り合いの中、触れそうな距離でにらみ合った。アヤの瞳が、みるみる暗く歪んでいく。
「どうして、あなたが……あなたなんかが!」
白い剣を弾いて、アヤが叫んだ。
「ひとりじゃ何もできないくせに――白い剣に偶然選ばれただけのくせに! 脇役は脇役らしくしていればいいものを、ちょっと力を持ったからって、鬱陶しいのよ!」
ガキン!
すぐさま、ハナエが剣をぶつける。
「なんとでも言えばいい! あたしはもう、そんなの気にしない!」
「くう……っ!」
頬をゆがめて、アヤが剣を振り払う。
ハナエは体勢を崩しながらも、しっかり両足を踏みしめて立った。
「アヤの言う通り、あたしはひとりじゃ何もできない……でも、あたしは今、ひとりじゃない!」
「黙れッ!」
悲鳴のような声を上げて、アヤが剣を振り上げた。
その手に、ばしっと鞭が絡まる。
「そこまでだぜ、黒の騎士さんよ!」
リトが鞭をぐっと引っ張る。
アヤは鋭く振り向いた。
「ハナエの仲間ね……じゃあ、あなたから死になさい!」
アヤの右手の甲に、黒い紋章が浮き上がる。
黒い光が迸り、鞭をぶつりと切り落とす。
アヤは黒く輝く剣を、そのまま頭上へと振り上げた。
「危ない、リト!」
ハナエはとっさに、自分とアヤの足元に白い剣を突き立てた。
その手の甲にも、白い紋章が浮かび上がる。
「壊せ、白い剣!」
白い光が、その言葉に応えた。
鋭い音と共に、足場がひび割れ、一気に崩れる。
土塊や岩と一緒に、ハナエとアヤは川へと落ちていく。
「ハナエ!」
リトの叫び声が耳に届く――。
全身を衝撃が貫いた。
ものすごい水流が、ハナエの体を落ち葉くずのようにめちゃくちゃに押し流していく。打ち付ける水の打撃はすさまじく、自分がどうなっているのか、もう何も分からない。
水にまかれ、顔を出していることも満足にできない。それでもハナエは必死でもがいた。あきらめるわけにはいかない。
(死ぬもんか! まだあたしは、何もしていない……!)
轟々と響く水音の中、ハナエは揉まれ、凄まじい勢いで流されていった。
***
「ん、う……」
自分のため息の音で、ハナエは目を覚ました。
(あたし……生きてる?)
かすかに、白い光を感じる。右手を見ると、白い紋章が淡く浮かんでいた。
よく分からないが、白い剣が守ってくれたのだろう――ハナエはそう感じていた。
ゆっくり目を開ける。すこしぼやけた視界に、心配そうなリトの顔が映った。
「ハナエ、気が付いたか? 俺が分かるか?」
「リ……ト……」
声がかすれる。
それでもちゃんと聞こえたようで、リトはほっとした顔で笑った。
「よかったぁ、一時はどうなることかと思ったぜ! 痛むところはねえか?」
「うん、平気」
ハナエは知らない部屋にいた。
ベッドの中からは、木組みの天井と、そこから吊り下げられた綺麗なランプの明かりが見える。
「ここは、どこ? ビーツは無事?」
ハナエが尋ねたちょうどその時、コンコンとノックの音がした。
薄く開いたドアから、ビーツが顔をのぞかせる。
「よかった! ハナエさん、気が付いたんだね」
安心したように笑うビーツの後ろから、もう一人、ひょこっと顔を出した人物がいた。
それは小柄な少年だった。
度の強いメガネをかけ、シエルのような袖の長いローブを着ている。明るい黄土色のおかっぱ髪が可愛らしい。
「彼は?」
ハナエが聞くと、少年はぴょこんと頭を下げた。
「ボク、ロッドといいます。この小屋で、魔女様の弟子として働いています」
「ええっ?」
ハナエは勢いよく起き上がった。
「あなたが、魔女の弟子なの?」
「あ、あの、ハイ……えっと……一応?」
ロッドはおどおどと困ったように視線をさまよわせている。
「まあまあ、落ち着けって。こいつが川に落ちたハナエを助けてくれたんだってさ」
リトが笑ってハナエをなだめている。
「助けたなんて、そんな大したことじゃないです。たまたま魚とりの網にひっかかっていたから、引き上げただけで……」
「そっか……ありがとう。あたしはハナエっていうの。よろしくね、ロッド」
ハナエがそう言うと、ロッドはちょっと照れたように笑って頷いた。
「ねえ、ロッド。他に、もうひとりいなかった?」
ロッドは首を左右に振ると、少し肩を落とした。
「いいえ、ハナエさん以外は誰もいませんでした」
「そう……」
胸がずきりと痛んだ。
アヤはどうなってしまったのだろう。
生きているだろうか――リトたちを守るためとはいえ、自分のしたことは正しかったのだろうか。
ぽん、と肩を叩かれた。
リトの大きな手が、いたわるように肩に添えられている。
「きっと大丈夫さ。今は気にしなくていい」
そうだ、黒い剣がアヤを守るはずだ。
きっとアヤも無事でいる。
ハナエが「うん」と頷くのを見てから、リトがロッドに向き直る。
「ハナエも起きたことだし、ロッド、話の続きを聞かせてくれよ」
ロッドはびくりと立ちすくむと、緊張した面持ちで言った。
「は、はい! 魔女様について、ボクの知っていることならすべて、お話しさせていただきます!」
「そんな緊張すんなって。ま、気楽に行こうぜ」
リトがへらへら笑っている。
それでもロッドはまだ硬い表情で、ハナエに言った。
「起き上がれそうなら、居間へどうぞ。お茶をいれますから、そこでお話しましょう」
ハナエはリトに手を借り、ゆっくりと立ち上がる。どこも折れてはいないようだ。全身がだるいけれど、特に痛むところはない。
皆と一緒に、ハナエも居間へと向かった。
***
居間というよりは、書庫といったほうがよさそうな空間だった。
所狭しと立ち並ぶ本棚には、びっしりと分厚い本が並んでいる。収まりきらない本も、床にうず高く積み上げられていた。ページの隙間から、いくつも付箋がはみ出している。
「すごい、本だらけね」
「これは全部、魔女様の持ち物です。僕はまだ半分も読めていませんけど、魔女様はもう全部読んで、内容も覚えてしまったそうです」
半分読むだけでもすごい量だ。ハナエは舌を巻いた。学校の図書館よりも多いんじゃないだろうか。
「ところで、その魔女様はどこにいるんだ?」
リトが尋ねると、ロッドは急にうつむいてしまった。
「魔女様は……」
「いないのか?」
「いえ、いらっしゃいます。ですが……会ってお話ができるような状態ではないのです」
「どういうこと?」
ビートも首をかしげている。
ロッドは少し迷っている様子だったが、やがて決心したように顔を上げると、三人に言った。
「実際に見ていただいたほうが早いと思います。ご案内いたしますので、どうぞこちらに来てください」
そう言って、ロッドは小屋の出口へと向かう。
三人もその後に続いて、扉のほうへと足を向けた。
次回は3/28の夜に更新予定です。




