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29.魔女

 小屋を出てすぐの裏庭に、『それ』はあった。


 氷の塊――その中に、人が膝を抱えて座っている。

 赤い髪が印象的な、美しい女性だった。


 目を悲しげに見開いて、唇がゆるく開かれたままである。今にも何か言葉が聞こえてきそうだ。彼女の足元では一株の曼珠沙華まんじゅしゃげが、氷の中で咲いたままになっていた。


「こちらが、魔女のアイリーン様です」


 ロッドが言った。


 ハナエは、そっと氷の壁に手を添わす。

 ひやりと冷たい。だが、刺すような痛みは感じない。どうも普通の氷とは違うようだ。


「ある日突然、このようなお姿になっておられました。恐らく、魔法の力で眠りについているのだと思います」


「眠りに、って――この人が、これを自分で?」


 ハナエの驚いた声に、ロッドは頷く。


「こんなに強い魔法が使えるのは、魔女様だけだと思います。すぐそばで火を焚いてみたこともありましたが、全く溶けませんでしたから」


「そんな、どうして……」


 ロッドは悲しそうに氷塊を見上げていたが、思い切ったようにハナエに向き直った。


「あの!」


 ハナエが目をぱちくりさせると、ロッドは泣き出しそうな声で叫んだ。


「町では悪く言われているみたいなんですけど、魔女様はすごく優しい方なんです! 魔法も人のために使っていましたし、例の不作についても、ずっと調べておられたんです! 魔女様が呪いをかけるなんて、そんなことは絶対にありません! お願いです、信じてください!」


 あまりに必死なロッドの様子に、ハナエは呆気あっけにとられていた。

 メガネの奥の瞳は、長い前髪でほとんど隠れてしまっている。けれどその真摯しんしな思いは、ハナエにも十分伝わってきた。


「わかった、ロッドの言うことを信じるわ」


「あ、ありがとうございます……よかった」


 ほっと胸をなでおろすロッドを、リトも優しく見つめている。


「お前、よっぽど魔女様が好きなんだな」


 ロッドは「えへへ」と笑った。


「ボク、魔女様の元で勉強させていただいているんですけど、全く魔術の才能がないみたいなんです。魔法も全然使えなくて……でも、魔女様はボクを追い出したりせずに、気長にやればいいよと言ってくれたんです」


「へえ」


 確かに美人だよなあ、などと言いながら、リトも魔女の姿を見つめている。


「なあ、ロッド以外に弟子はいないのかい?」


 ビーツが聞くと、ロッドはふっと顔を曇らせた。


「もうひとりいました。けど……」


「けど?」


「その人はもう一年以上前に、ここを飛び出して行ったきりなんです」


 リトがハナエを見る。ハナエも頷くと、口を開いた。


「ねえ、ロッド。その人の話を、もう少し詳しく聞かせてほしいんだけど」


「もちろんです。じゃあ、部屋に戻って話しましょう」


 皆が小屋へと戻る中、ハナエは振り返って氷の塊を見つめる。

 氷の中の美女――見開かれた目には、何が映っていたのだろう。



   ***



 小屋に戻ると、ロッドが茶を入れてくれた。

 すっきりした香りのハーブティだ。


「このお茶は、魔女様がお好きだったんです。ボクは魔法はからっきしですけど、お茶を入れるのは得意で……そこだけはいつも、魔女様に褒められていたんです」


 ロッドは嬉しそうにそう言った。


「ロッドは魔女様が大好きなんだね」

 ハナエがそう言うと、ロッドは間髪入れずに大きく頷く。


「はい! 魔女様は、いつも誰かを思いやるような、優しい方でした」


「でもさ、一番弟子は出て行ったんだろ? なんでそんな優しい人のところを飛び出しちまったんだろうな」


 リトが頬杖をついて、不思議そうに言った。

 ロッドは少し俯くと、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


「その一番弟子はムジカ様という方で、ボクと違って魔術の才がありました。でも、自分のために魔法を使うひとでした。だから魔女様はよく怒っていました。やり方が粗暴だ、魔術に品格がない、と」


「それで、やがて決裂して出て行った、ってことか?」


 リトが言うと、ロッドは黙って頷いた。


「その人が、魔女を封印したとは考えられないの?」


 ハナエが聞くと、ロッドは首を左右に振る。


「ありえません。いくらムジカ様に魔術の才があったとはいえ、魔女様の力には及びませんから。封印の魔法を跳ね返されるのが関の山ですよ」


「じゃあ、魔女はやっぱり自分で自分を封印してしまったのね」


「はい、恐らく……」


 だが、魔女がなぜ眠りについてしまったのかは、ロッドにも分からないようだった。


「魔女の封印はともかく、賊とつながってたのはムジカかもしれないな。やり方が粗暴で品格がないってのもあてはまる」


 リトが言うと、ハナエも頷く。


「『魔女の弟子』――ムジカは何をしようとしているのかしら。世界で起きている異常とも関係があるのかな」


「いや、それはない」


 リトがきっぱりと言い切った。


「どうして?」


「ロッドが言っただろ。「魔女は眠りにつく前に、作物の不作について調べていた」って」


「うん、確かに聞いた」


「もしムジカが世界に異常を起こしたとしても、魔女の方が力が上なら、その異常は止められたはずだ。でも、魔女は世界の異常を止めることができなかった。だったらそれは、ムジカの仕業じゃないと考えるのが自然だ」


 確かに、リトの言う通りだ。

 魔女が優しい人物で、世界の平穏を願っているのなら、混乱を招こうとしている弟子を放ってはおかないだろう。


「でも、どうしてムジカは生贄いけにえなんて必要としたのかしら。ターニャたちをさらって、生贄にするつもりだったみたいだし」


「なんですって?」


 突然、ロッドが大声を上げた。


「どうしたの、ロッド」


「生贄……子ども……まさか」


 ロッドは椅子を鳴らして勢いよく立ち上がった。


「この地には【災厄】と呼ばれる忌まわしきモノが眠っていると言われています。もしも【災厄】を呼び起こしてしまったなら、魔女様の力でもどうにもなりません。そして【災厄】の目覚めには、生贄が必要なんです」


 リトもハナエも、思わず息を飲む。


「じゃあ、ムジカが【災厄】を呼び起こして、土地を衰えさせ、王女様や王様を病気にしてしまったってこと?」


「いいえ。土地が悪くなっていることと、王様たちのご病気は、原因が違います。ムジカ様が関わっているとすれば、土地の方だけだと思います」


 ずれたメガネを直しながら、ロッドが言った。


「じゃあ、王様たちの病気の原因は何なんだよ。ロッドは知ってるのか?」


 リトが尋ねると、ロッドはこくりと頷いた。


「魔女様が言っていました。王と王女に起きている障りは、ふたつの剣の呪いだと」


「……!」


(あなたが死ねば、王様は助かる――!)


 アヤの叫びが、耳の奥によみがえる。

 ロッドは、そんなハナエの様子に気付かない様子で、言葉を続ける。


「王族の不調は、ふたりの騎士が現れる予兆だと言ってました。近々、この世界に白と黒の騎士が現れる。呪いが解けるときは、ふたりの宿命に決着がつくとき――例えば黒の騎士の命が絶たれたとき、白の王女の呪いは解けるのです。白の騎士が敗北した場合は、黒の王の呪いが解ける。呪いが解けなかった方は一生、呪われたままなのだそうです」


 ハナエは愕然がくぜんとした。

 信じたくなかった……だが、アヤの言っていたことは本当だったのだ。


「あたしが死ななきゃ、王様は元に戻れないんだ……」


 ハナエの口からこぼれた言葉に、今度はロッドが目を見開く番だった。


「え? え? え? もしかしてハナエさんが、伝説の騎士――?」


 頷く代わりに、ぽたりと涙が落ちた。

 ああ、もう泣かないって決めたはずなのに。


 胸の中がすべて、真っ黒に塗りつぶされたような気持ちだった。重くて、鈍くて、苦しくて息ができない。突如生じた内側の重力に、体ごと押しつぶされて地面に沈んでいきそうな気がした。


 ――希望を失うことが、これほど苦しいなんて。


「ごめんなさい、ボク、無神経なことを言ってしまって……」


「ううん、大丈夫。ロッドは何も悪くないよ」


 ハナエは無理に笑った。

 その頭の上に、ぽんと大きな手のひらが乗せられる。


「リト……」


「俺はまだ、信じない。ハナエがこの世界に、死ぬためだけに来たなんて信じない。俺が納得するまで、お前は絶対死なせないからな」


 ぽんぽんと、リトは頭を軽く叩いた。

 たったそれだけで、胸の重力が少しだけ軽くなるように思えた。


「そうだ、ロッド。お前、その話を黒の騎士にもしたのか?」


 リトが聞くと、ロッドは「いいえ」と答える。


「あの方がここに来たことはありません。たぶん、別の人――もしかしたら、ムジカ様あたりから聞いたのかもしれないですね」


「なるほどね、畜生め」


 リトは怒りに燃えた瞳で宙を睨むと、軽く息を吐いた。


「何はともあれ、手がかりは見つかった。そろそろ里に戻って、アデルの脳みそを借りようぜ」


 ハナエとビーツが頷く。ロッドは少し逡巡しゅんじゅんしていたが、思い切ったように顔を上げた。


「ハナエさん! ボク、魔法は全然ダメですけど、文字を読むのは得意なんです。王女様たちの呪いを解く方法が他にないか、ボクも探します!」


 ロッドは部屋を見渡した。

 ランプの灯りに照らされて、蔵書の影が小さく揺らぐ。


「このたくさんの書物の中に、きっとヒントがあるはず――いいえ、国中の本を読み漁ってでも探し出します。だから、元気を出してください!」


 懸命に紡ぐロッドの言葉が嬉しくて、ハナエは思わず微笑んだ。ああ、ここにも自分に力を貸してくれるひとがいる――それが心から嬉しくて、ハナエは染み入るようにつぶやいた。


「……ありがとう、ロッド」


「困ったことがあったら、いつでも会いに来てください。ボクも何か分かったら、星読みの里に知らせることにします」


 その言葉に、リトも力強く頷く。


「頼んだぜ、ロッド」


「はい!」



   ***



 小屋の外へ出ると、空はもう夕暮れから夜へと落ちかかっていた。

 三人は改めてロッドに礼を言うと、帰りの道を急ぐことにした。


 見上げると、一番星が空にぽつんと光っている。


(アヤ、どうしてるかな)


 うっそうとした影のような森を抜け、三人は里を目指して早足で歩いて行く。

 夜はもう、すぐそばまで迫っていた。




 妙に赤い月が、帰路を急ぐハナエたちを見下ろしていた。


 周囲に見える結晶サンゴは、月明かりを透かして淡い光を放っている。

 もう里が近い証拠だった。


 だが、そこでリトが突然立ち止まった。


「どうしたの?」


 リトは人差し指を立てると、周囲をうかがうように目を配っている。


「……何かおかしい」


「え?」


「物が焦げるにおいがする」


 リトは道の先をキッと睨んだ。


「里で何かあったのかもしれないな。急ごう」


 ビーツとハナエも顔を見合わせると、リトに続いて走り出した。

次回は3/29の夜に公開予定です。

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