第5話 運命の悪戯
――今度は猫の姿で、あの男に処刑されてしまう。
仔猫は石畳の上を飛び跳ねるように逃げる。
だが小さな足では限界があった。
背後から迫る大人の足音は素早く、すぐに追いつかれてしまう。
「……にゃ…」
(またしても、この男に邪魔されてしまうの…)
処刑人ヴァルトの手が触れた瞬間、鮮烈な記憶が蘇る。
冷酷な声。鈍い光を放つ刃。群衆のざわめき。
あの日、私は彼に命を奪われた。
「しゃああああ!」
リリアナは思わず牙を剥いて、ヴァルトを威嚇する。
仔猫とは思えぬ鋭さが、小さな瞳には宿っていた。
「……やはり、普通の猫ではないようだな」
ヴァルトの低い声が空気を震わせる。
「微かだが、身体全体から魔法の匂いがする……。まさか、隣国のスパイか」
そう言うと、容赦なく首根っこを掴み、持ち上げようとする。
(私は、ただの猫よ、リアン王子に愛される仔猫になったんです!)
必死に心の中で叫んだその時――。
「リリー!」
まっすぐな声が廊下を裂くように響いた。
振り向けば、王子様がこちらへ駆け込んできていた。
「……殿下」
ヴァルトの表情が一瞬ひるんだ。
「私のリリーに、何をした!」
その声は普段の落ち着きとは違い、荒っぽく、怒気を孕んでいた。
これまで見せたことのない怖い顔。
「い、いえ……ですが、この猫は魔力の匂いが」
「こんな仔猫が敵国のスパイなわけないだろ」
王子がヴァルトを睨みつけ、鋭く言い放つ。
その迫力に押され、ヴァルトはしぶしぶ一歩下がった。
――すごい。リアン王子、かっこよすぎる。
仔猫の胸が、ぎゅっと震えた。
――私のことを守ってくれるなんて、まるで夢みたい。
「怖かったよね」
王子は私を腕に抱き上げ、胸にぎゅっと押し当てる。
早くなった鼓動が耳に伝わり、安心感を与えてくれる。
――ああ、もう。このまま眠ってしまいたい。
前世で、あなたは私を守ろうとはしなかった。
あの事件の時も。
そして、処刑される瞬間も、私を見ようとすらしなかった。
――でも、もういい。
「……殿下、この猫は――」
「退け、ヴァルト」
「……はっ」
処刑人は去り際に仔猫を鋭く睨み、廊下の奥へと消えていった。
「……にゃんっ」
(リアン王子……!!)
王子の腕の中で、必死に猫を演じる。
小さく「にゃあ」と鳴いて、片目をとろんと閉じてみせる。
(今の私は、ただの仔猫リリー)
(今度こそ、誰にも邪魔はさせません――)
◇
王子の私室に戻ると、ようやく緊張の糸が切れた。
ふかふかのクッションに降ろされ、仔猫はゴロンと寝転ぶ。
「んにゃ…」
(外の空気より、やっぱりここが一番落ち着く)
「すまなかった、リリー」
王子が静かに呟いた。
顔には、さっきの怒りとは違う、深い悲しみが浮かんでいた。
「怖い思いをさせてしまった。あいつは最近、気が立っていてな……」
その横顔を見て、脳裏にあの光景がよぎる。
――私が最後に見た王子の表情も、こんな顔だった。
忘れたはずの記憶に、胸が痛む。
――今の私は仔猫リリーなのです。前世のことは、もう忘れるべきよ。
仔猫は「にゃあ」と返事をすると、王子の手に頬をすり寄せた。
「……気にしてないって?リリーは強い子だね」
王子の声はささやきに変わり、大きな手のぬくもりが仔猫の身体を包み込む。
その温かさに、涙が出そうになる。
――これが、本当の幸せ。心の底から、満たされている。
でも、忘れてはいけない。
ヴァルトが生きている限り、今の私も安全ではない。
彼は執念深く、鋭い。きっと、些細な匂いからでも、この真実を嗅ぎ分けるだろう。
必ず、正体を隠し通す方法を見つけなければ――。
「……にゃん」
(きっと何か、必ず方法があるはずです!)
けれど――。
「にゃん…にゃんにゃん」
王子に撫でられ、仔猫はすっかり緩んだ顔をしていた。
王子の胸のぬくもりは、あまりにも心地が良い。
体の力が抜け、仔猫はゆっくりと目を閉じる。
「にゃぁ……」
(今だけは、この幸せに浸ってもいいでしょう?)
王子はそっと額を私の頭に寄せ、囁く。
「よしよし、いい子だ。いっぱい歩いたから、ゆっくりおやすみ」
その言葉に、私はもう一度「にゃん」と答えた。
◇
その頃、ヴァルトの部屋。
重苦しい空気が漂う石造りの室内で、処刑人は落ち着きなく歩き回っていた。
「あれは、ただの猫ではない――」
「私が必ず、正体を突き止めなければ……」
窓から差す月明かりに照らされ、鋭い瞳が光る。
「王子に仇なす存在は、私が排除する」
そして、低く呟いた。
「あのリリアナ・ラグドールの時と同じようにな」
そう言って、彼は、邪悪な笑みを浮かべていた。




