第六十八話 最悪最恐の敵
「何とか、なりませんの……」
希望と絶望を同時に告げられたエリーは、ピンクの花弁のような唇を噛み締めて俯き、小さな声でそう言った。
皇帝殺害の冤罪を押し付けられたクレイム伯爵に連座して、北の流刑地に送られた彼女の一族郎党。
やがて厳しい冬を迎える北の大地で、彼らが生き延びる為には、彼女が援助物資を送らなければならない。
その為に必要な金額は、50000シリス。
街の庶民の一人暮らしなら、年間1000シリスもあれば十分生きられるこの世界で、これは大金だった。
当然、そんなお金をセディルとエリーは持っていない。
「お金があれば出来るけど、無いのなら無理だよエリー」
それでも、と願いを口にした少女に、セディルが厳しい現実を突き付ける。
「試練の迷宮に挑めるのなら、僕達はこれからお金を稼ぐ事が出来る。レベルを上げて行って、迷宮の奥に進めば、その稼げるお金も増える筈だよ」
迷宮への挑戦が宰相によって許可された事で、セディル達は一攫千金のチャンスを得たのである。
「でもね、それでも必要なお金を稼ぐには、時間が掛かるんだよ。北の冬は早いから、援助物資を送るなら、今から準備して貰わないと間に合わない」
北の流刑地への援助は、時間との戦いだ。
今は六の月。
冬の訪れが早い流刑地までの道が、雪で封鎖されるまでとなると、時間の余裕はそれ程無いのだ。
「だから、一年後まで待てと言いますのね、お前は……」
「うん、だからそれしかないよ。今度の冬を乗り越えた人達には、物資を送ろう」
「冬を……、乗り越えた人達……、乗り越えられなかった者は、どうなりますの?」
判り切った答えを、それでもエリーはセディルに問うた。
「それはまあ……、北の大地の冷たい土の下かな」
やはり現実は非情であった。
あと数ヶ月で、エリーの一族郎党は半減してしまう。
それを知っていても、今の彼女一人では何も出来ない。
「何か……、お金を入手する手立ては、他にありませんの?」
一縷の望みを託し、エリーは悲痛な顔でそう訊ねる。
「うーん、あるとしたら『借金』しかないけど、僕もエリーも、資産も信用も無い只の子供だよ。こんな僕達に、そんな大金を貸してくれる奇特な人なんて、いるのかな? どうですか、イルメッタさん」
この場で最も大金を動かせる立場の人に、セディルはそう訊いてみた。
借金も、信用がなければ出来ない。
金を返せない、と判っている相手に金を貸す馬鹿な貸し手など、普通はいないのだ。
「そうね、あなた達夫婦の共同名義の借金にするのなら、私が貸して上げるわよ」
しかし奇特な人物であるイルメッタは、あっさりとその馬鹿な貸し手に成ってくれた。
「えっ、本気なんですかイルメッタさん?」
「お、お金を貸して下さいますのっ!?」
無理だと思っていた手段が現実味を帯び、セディルとエリーが思わずそう訊き返す。
「ええ、良いわよ。援助物資を送るのに必要なお金50000シリスを、一年間貸して上げるわ。今言った通り、あなた達夫婦の共同名義の借金なら、という条件が付くけれど」
条件付きながらも、一族郎党を救う為のお金の算段が付き始めた。
エリーの表情に、明るさが戻る。
「共同名義という事は、わたくしとセディルが、二人でその借金を背負うという事ですのね?」
「当然よ、だってあなた達は夫婦なんでしょう? 妻が借金をするというのなら、夫がその保証人に成らないでどうするの」
お金を必要としているのはエリーであり、彼女はセディルの正式な妻である。
これだけの大きな借金をするには、夫の同意が必要不可欠なのだ。
「ちなみに、イルメッタさん。一年後に、お金を返せなかった時は、僕達どうなるんですか?」
「あらそんな事、決まっているでしょ。セディル君は闘技場送りで奴隷闘士に、エリーお嬢さんは確実にお金を稼げる『然るべき場所』に行って貰う事になるわ」
ニッコリと微笑みながら、イルメッタは借金を返せなかった場合の恐ろしい未来を、二人に告げる。
「……当然、借金に利息って、付きますよね?」
「付くわね~、年利で二割くらいが相場かしら。だから、一年後に60000シリスを返して頂戴ね」
借金は、雪達磨式に膨れ上がって行く。
元金でも厳しいのに、その利息は返せない限り無くならない。
過払い金の返還などという制度は、この世界には無いのである。
「うん、やっぱり諦めようエリー。援助を送るのは、一年後だよ、一年後。今度の冬に亡くなっちゃう人達には気の毒だけど、生き残った人達は来年助けられるだろうから、納得してくれるよ、多分」
冒険での危険は恐れないセディルではあるが、この危険は避けるべき、と彼の本能が告げていた。
一年後の借金返済ならば、不可能では無いだろうが、彼にとってそれは余計なリスクなのだ。
「……嫌ですわ」
しかし、エリーは納得しなかった。
「わたくしとお前が借金を背負えば、一族の者達が助かるのです。そうと判っていて、見捨てる事など、わたくしには出来ませんわっ!!」
決然とした表情で顔を上げ、その蒼い瞳に光を灯すエリー。
元々彼女は、クレイム家の発展と隆盛の為ならば、我が身の犠牲も惜しまない使命感と責任感を持つ少女であった。
家族の復讐の為に、セディルと婚姻の契約を交わしたのも、その心意気の果ての結果だ。
そんな彼女だからこそ、一族の苦境を見逃せないのである。
「えーとね、エリー。イルメッタさんの話は聞いたよね? もしも一年後にお金を返せなかったら、僕達酷い所に売り飛ばされちゃうんだよ」
借りた金を返せなければ、二人はその身柄を金に換えられてしまうのだ。
セディルは奴隷闘士として魔物と戦わされ、エリーは娼館送りという訳だろう。
いずれの運命も、二人にとっては受け入れがたいものだ。
「返せば良いのですわ、返せば。お前も言いましたわね、一年後なら、わたくし達は大金を手にしている、とっ!」
「それはまあ……、その予定でいるし、おそらく可能だとは思うけど……」
「でしたら、問題はありませんわ。お金を借りますわよ」
「おい、テメーッ、何、勝手な事言ってやがるんだっ!」
強引に借金話を進めようとするエリーの前に、その義妹セディナが憤慨した様子で立ち塞がる。
大事な兄の身柄まで賭けて金を借りようとする彼女に、食って掛かるセディナ。
「何だか良く判らないけど、金がいるのは、お前だけなんだろ。そんな事にまで、真面目で善良なアニキを巻き込むんじゃねーッ!!」
セディナは、見知らぬ女に借金を背負わされようとしている兄を、力一杯庇おうとしていた。
「アニキッ! 借金なんて、絶対に駄目だよっ! イルメッタさん、本気で取り立てる気だよっ!」
イルメッタを師と仰ぐだけの事はあり、セディナは彼女の恐ろしさも身に沁みて知っているようだ。
「うーん、まあ、そうなるのかな」
この屋敷に来てから知った、イルメッタの本性の一端。
そこから見えて来たものを否定せずに見るならば、イルメッタ・カリビング夫人は、確かに怖い人だとセディルも思う。
「やっぱり、考え直す気は無いの、エリー?」
「ありませんわ」
困ったセディルがエリーに訊ねるも、彼女はキッパリとそれを否定する。
「むー、エリーはお嬢様育ちだから、借金の恐さを知らないんだよね。だから、気安くそう言えるんだよ。借金って、魔物よりも恐いんだけど……」
魔物は倒せば勝てるが、借金はそうは行かない。
例え銅貨一枚足らなくても、足らないは足らないであり、担保を持って行かれてしまうのだ。
魔物との戦いは恐れないセディルでも、借金は恐い。
「あの、お嬢様……」
遠慮がちにそう声を掛けて来たのは、心配顔をしたアンナだった。
「セディル君の言う事も、間違ってはいませんよ。他人から借りた物は必ず返さなければ成りませんから、お金を借りるという事は重たいんです。道具を借りたのとは違って、お金はどうしても使ってしまいますから……」
流石に苦労して来た大人だけの事はあり、アンナは世の現実を知っていた。
お金を稼ぐ苦労を知るだけに、安易な借金を戒める言葉をエリーに伝える。
「……くっ、それでも、それでも、わたくしは……」
母親代わりのアンナからも忠告され、エリーは苦渋の決断を迫られていた。
今度の冬に命を落とすであろう一族の者達を見捨てるか、他者に迷惑を掛けてでもその者達を救うか。
お金を貸してくれるというイルメッタも、商会の利益は無しで、多少の危ない橋も渡ってくれるという、破格の条件を既に提示してくれている。
その彼女からお金を借りるには、セディルの了承も必要だ。
彼女の一存だけで、全てが終わる話ではない。
逆に、彼女が諦めれば、この話は此処で終わる。
セディルが言うように一年後までに金を貯めて、堂々と援助物資を送れば、少なくとも来年の冬は一族に死ぬ者は出ないだろう。
今年の冬に死ぬ者の命に、目を瞑りさえすれば。
「これはちょっと、『夫婦会議』が必要かな?」
どんどんと思考が暗い方向に沈んで行くエリーの様子を見て、セディルは決断の理由を用意する方向に舵を切る事にした。
「イルメッタさん、一部屋お借りしますね」
「ええ、良いわよ」
イルメッタの許可を貰ったセディルは、エリーの手を引いて皆の居る二階の居間から、廊下に移動する。
「ど、何処に行きますの、セディルっ!?」
彼に手首を掴まれ、引っ張られるようにして廊下を歩かされたエリーは、居間から少し離れた空き部屋に連れ込まれてしまった。
バタンと部屋の扉が閉じ、暗い部屋の中には二人だけ。
「明かりを点けるよ」
セディルが一般魔法の第一レベル魔法【照明】を発動し、部屋に明かりを灯した。
明るく輝く光球が現れ、室内を白い光で照らす。
そこは控え室か何かのようで、椅子やテーブルの他に質素な調度品が幾つか置かれていた。
「さてと、それじゃあ夫婦会議を始めるよ、エリー」
「会議? 借金の事を、どうするのか話し合いますの?」
「うん、そうだよ。エリーは、どうしても流刑地に居る一族郎党を助けたいんだよね?」
部屋の中央で、向かい合う二人。
セディルはエリーに、その気持ちを再度確かめる。
「勿論ですわ。わたくしは、クレイム家の守護天使ですもの。一族を見捨てる事など……、出来ませんし、したくもありませんわっ!」
強い使命感を持つ少女は、それでも一族を助ける事を諦めたくはないようであった。
キュッと唇を引き結び、蒼い瞳の光を輝かせ、毅然とした態度でセディルと相対する。
「それなら、もう方法は唯一つ。イルメッタさんにお金を借りるしかないよね。僕達二人の身柄を担保にして……」
それには、『覚悟』が必要になる。
セディルは、その覚悟を自分と彼女に課す為に、再び契約の儀式が必要だと判断していた。
「ねえ、エリー」
「何ですの、セディル?」
意外と思える優しい声でセディルに名を呼ばれ、エリーは思わず包帯を巻かれた彼の顔を見つめる。
「僕達は結婚したよね。例え復讐の為の契約だとしても、結婚した以上、僕はエリーの良いところを見つけて、君の事を好きに成りたいと思っているよ。エリーは僕の事をどう思っているの?」
少年少女の婚姻は、愛に反する復讐者とその凶器の契り。
家族を罪人に貶めて殺害した、憎き仇に報いを与える為に、エリーは家名をも捨て、その高貴なる身を報酬として差し出してまで、セディルと契約を交わしたのであった。
そんな過程を経て自分の妻に成った少女に、セディルは問い掛ける。
「そうですわね……。わたくしもお前の良いところを見つけたなら……、そこは好きになっても良いですわ」
この身を一族の隆盛の為に捧げようと、幼い頃から思い込んでいた少女は、結婚に恋愛感情を求めてはいなかった。
家父長権を持つ父親の決める、家にとって有益な相手と結婚する覚悟でいた伯爵令嬢のエリーエルが、運命の変転によって自らの意志で只のエリーの夫を選ぶ事になった。
それがセディル――いつの日か最強の忍者ハイマスターと成って、彼女の仇の首を斬り落とす男だ。
「それじゃあ、君は僕を好きになるね。僕には良いところが、いっぱいあるから」
「……まだ見つけては、いませんわよ」
自信たっぷりにそう言い放つ少年を、不審げな眼差しで見つめる少女。
「それなら、その証を立てる為に、僕はエリーと一緒に借金を背負おうじゃないか。お金に困っているお嫁さんを見捨てない夫なら、少しは良い男と認めてくれるかな?」
「………………」
そんなセディルの調子の良い言葉に、困惑と喜びを交差させた表情を浮かばせるエリー。
今、苦境に喘ぐ彼女と、その苦しみを分かち合ってくれる少年。
その存在に、エリーの心は少しだけ癒される。
「良いですわ、それをお前の誠意と認めましょう、セディル」
自然とエリーの唇から、そんな言葉が零れる。
彼女は少年の想いに、一つ応えたのであった。
「うん、そんな訳で、僕達は一緒に借金を背負う事になるんだけど、それに関してエリーにはもう一つ、『覚悟』を見せて貰いたいんだ」
自分を一つ認めた少女に、セディルはにこやかに笑みを見せ、自分の顔を覆う包帯を取り去った。
部屋の床に落ちる包帯の束。
露わになった彼の顔は、その妹にそっくりで悪魔的なまでに整っている。
「か、覚悟とは、何ですの?」
何か嫌な予感に苛まれ、一歩後退りする天使の少女。
「僕達の交わした契約は、当然覚えているよねエリー。結婚は前金で、僕が君の仇の首を取って来たら、後金を支払うって」
「そ、それは……」
その件を指摘され、エリーは背筋に冷や汗を流して狼狽する。
彼女自らがセディルに提案し、婚姻に依って結ばれたその契約の内容。
復讐が成就した暁に、エリーが支払わなければならない後金とは、彼との子作り。
即ち、その純潔を彼に捧げる事であった。
「この旅の間に、アンナさんに教わったんでしょ? 子供を作る為の具体的な方法について」
「ぐ、くく……」
白い顔を朱に染めて、歯を食い縛るようにエリーは呻く。
ロルドニア王国に来るまでの、この三週間余りの旅の間、エリーは未亡人のアンナから生まれて初めてとなる『性教育』を受けていた。
そして、少女は知ってしまったのだ。
赤子とは、降臨した大天使が夫婦の精気を混じり合わせて授けて下さるのでは無い、という事を。
それこそ、花々の受粉から家畜の交配の営みまで、今では全て理解してしまっている。
「ま、まさか、お前は、それをわたくしに先払いしろとでも言い出すのでは、あ、あ、ありませんわね……?」
若干、声を震わせ、エリーは恐る恐るそうセディルに訊ねる。
子作りの真実を知った時、彼女は自分がとんでもない契約を結んでしまった事に気付いて、戦慄したのであった。
しかし時既に遅く、婚姻の儀は執り行われ、彼女はセディルの正妻と成ってしまっていた。
「んー、それでも良いけど、少しルール違反だね。確かにそれは、事を成した後での成功報酬だよ」
思案したセディルは、彼女の誤解を楽しそうに否定する。
契約上、不都合が無い限り、彼はそれを遵守する気でいるのだ。
「では、わたくしに覚悟を見せろとは、何をしろと言いますの?」
純潔の先払いを要求されずに、一先ずホッと胸を撫で下ろしたエリーだったが、最近の付き合いでセディルのやり方を少し理解して来たらしい。
彼の要求がここで終わりとは、彼女も思えなかったのだ。
「そんな、大げさなものじゃないよ。只、ちょっとした許可を貰いたいんだ」
「許可?」
突然そんな事を言われ、エリーがキョトンと小首を傾げる。
許可と言われても、彼女には何の事だかサッパリ判らなかったのだ。
「言ったよね、僕はエリーを好きに成りたいって。でも子作りは契約上、今すぐには出来ない。だから愛情を示す為に……、今後いつ何時でも君を抱き締めても良い許可と、いつでも君にキスをしても良い許可が欲しいんだよ、エリー」
「なっ、そ、それはっ!」
思いも因らぬ許可を求められ、エリーは咄嗟に自分の身体を抱き締める。頬を朱に染め、厳しい目でセディルを睨む。
「わたくしが嫌だ、と言ったらどうしますの?」
「どうもしないよ。まだちょっと早かったかな~、って思うだけ。それじゃあ借金の話は無し、何て事は言わないよ」
そう答えると、セディルは彼女の覚悟を量るかのように、にこやかにエリーの顔を見る。
「………………」
その胡散臭い良い笑顔に、少女は戸惑った様子で黙り込む。
自分の一族を救う為には、セディルの協力は不可欠。
その彼が願う、エリーに対する愛情表現の許可。
(本来なら……、わたくしのこの身に触れる事を許される男性は、お父様やお兄様以外では、わたくしの夫と成る方だけであった筈……)
今や誰も秘密を知る者がいなくなってしまったが、彼女だけは知っている。
自分の中に流れるその血が、古の魔法帝国から続く由緒と魔力を宿す『青い血』である事を。
彼女は、ジーネボリス帝国先代皇帝ミルファウスの孫であり、新皇帝エンドレイスの姪なのである。
しかしその証明は失われ、今の彼女は悪魔の子にして、最後の忍者たる、只の冒険者セディルの妻と成ってしまったのだ。
「……判りましたわ」
それらの事実を踏まえた上で、エリーは覚悟を決めた。
「お前に、わたくしの身に触れる許可を与えましょう。結婚した以上、わたくしの夫はお前です。そのお前が望む以上、わたくしも妻として夫の抱擁と口付けは……拒みませんわ」
何かに挑むかのように、エリーはその顔を真っ直ぐセディルに向け、その蒼い瞳を光らせる。
彼女も段々と、只の我が儘令嬢からは脱皮しつつあるようだ。
「それはそれは、良くご決断下さいました、お嬢様」
若干、足元が震えているのはご愛嬌と見逃し、セディルは慇懃無礼な態度で一礼して見せた。
これでも、彼の要求を受け入れた少女に感心しているのである。
「因みに、これって双方向性の対等な許可だから、エリーだって、いつでも僕を抱き締めてキスをする権利があるんだよ」
「……しませんわ。それと許可したのは、あくまでも抱擁と口付けだけですわよっ!」
それ以上は駄目だ、と念を押すエリー。
「うん、今のところはそれで良いよ。まあ、僕にはアンナさんもいるし」
エリーが許してくれない事は、愛人のアンナさんにして貰えば良いのだから、とセディルはお気楽な態度でいる。
「……アンナにも、不埒な真似は許しませんわよ。アンナは、お前の側に居るだけの契約の筈ですわ」
セディルがアンナの名前を出した瞬間、彼女の脚の震えは止まり、その目が細く鋭く冷たく据わる。
「ええっ、それっていくら何でも殺生じゃない?」
妻にも愛人にも手出し禁止を言い渡され、セディルは愕然とする。
「駄目なものは、駄目ですわ!」
「 むー、酷い」
鬼嫁からの命令に、頬を膨らませるセディル。
(でも、僕から手が出せなくても、アンナさんから望まれる形にすれば良いかな?)
それでも、彼はめげない。
条件を都合良く拡大解釈し、何とか結果を出そうとする。
ともあれ、イルメッタからの借金を二人で背負う話は纏まった。
セディルとエリーは、これからの一年間。
『魔王の試練場』に挑んで、死に物狂いで金を稼がなければならないのである。




