第六十四話 罪と罰
ロルドニア王国の宰相ヴァルデム・オリオスの懇願――冒険者に戻り、試練の迷宮に挑んで欲しいとの願いを、『忍者ハイマスター』ライガ・ツキカゲは拒否した。
冒険者を辞めた自分が、再び冒険に挑む事は無い、と。
しかしその言葉に激しく反発したのは、現役冒険者にして『マスターレベル』に達する闇僧侶フェルセイスであった。
「フェルセイスさん……?」
鋭い目を吊り上げ、怒りを露わにするダークエルフの血を引く美女を見上げ、セディルは改めて彼女とライガの確執の深さを感じ取る。
「うーん、クールなフェルも素敵ですが、怒った時のフェルの生命力溢れる姿も、やはり良いものですね~」
普段は冷静冷徹な彼女なのだが、こと父親の話題になると、その感情を高ぶらせてしまう事を、ライトレインは知っていた。
彼女には、父親との間に未解決の蟠りがある。
今、それが明らかになろうとしていた。
「ライガ・ツキカゲ、お前はそれでも、かつて冒険の高みを目指した男なのかっ! 母を死なせ、私を捨てたというのに、その上、冒険者としての誇りまで捨てるのかっ!」
激しい口調で、糾弾の言葉をライガにぶつけるフェルセイス。
それはこの十五年間に溜め込んだ、父親への恨み辛みの噴出だった。
「………………」
娘の恨み言を、その父ライガは、目を閉じて無言で受け止める。
何を言われようとも、それが事実なのだと、彼は承知しているのだ。
「ずっと、訊きたかった事がある……」
語らず、動かぬ父に、フェルセイスは歯を食い縛って長年の疑問を絞り出す。
「十五年前のあの日……。母が死んだ日の事よ。よもや、忘れたとは言わせないわっ!」
「………………」
その日の事を問われ、ライガは静かに目を開けた。
そこに、いつもの鋭き眼光は見られない。
只、余人には判らない、深い哀しみが瞳の奥に宿っていた。
「その日、お前は『狩人の神の古い寺院』の探索に向かった。私を拠点に残して、母と二人で……」
十五年前のその頃、ライガは妻のフェルセイスと共に、ジーネボリス帝国で冒険者として活動していた。
『牙のパーティ』が解散し、二人組の冒険者と成った彼らだったが、帝国の各地で様々な依頼を受けたり、古代の遺跡を探索したりと、充実した冒険者人生を送っていたのである。
二人の間にはフェルセイスも誕生し、彼女がある程度成長すると、親子で一緒に旅もした。
レベルも飛躍的に上昇し、夫婦共にハイマスターにまで到った。
その時のライガはひたすら前だけを向き、更なるレベルの向上を目指し、冒険に明け暮れていたのだ。
「子供だった私は、何も心配していなかった。レベル21の忍者とレベル22の闇僧侶の父と母が、何かに負けるとは思いもしなかったから……」
十歳に成ったフェルセイスは、職にこそまだ就いてはいなかったものの、とても利発で素直な良い子に育っていた。
両親の無事を信じ、彼女はその日も、いつものように二親の帰りを待っていたのだ。
しかし、その日はいつもとは違った。
確かに両親は、娘の下へと帰って来た。
いつもと違ったのは、母は生きているのに、父が死体と成っていた事だ。
「……あれは、酷い有様だったわ」
それを目の前にした時には、まだ幼い少女だったフェルセイスは脚が震えて立っている事が出来ず、床に座り込んでしまった。
彼女が目にしたものは、父だった人の残骸。
不死身と思えた、その強靭な鋼鉄の如き肉体がズタズタに切り裂かれ、猛烈な火炎に焼かれて各部が炭化し、ほとんど原形を留めていなかったのだ。
それでも辛うじて頭部は残っており、父の面影だけは確認出来たが、それも妻と娘でなければ誰だか判らない程の損傷だった。
「……あの寺院で俺達は、守護者として顕現した『天使』の集団と戦った。下級天使達は、俺とルナセイスの敵ではなかったが、その中に、上位の天使が混じっていたのだ……」
感情を排した淡々とした言葉が、ライガの口から漏れる。
何らかの理由があって、天使はこの世界に顕現する事がある。
彼らは下界では肉体を持たず、実体の無い『霊体』として現れ、人々に啓示を与えたり、あるいは重要な聖域や施設を守護していたりする。
例外はエリーのように、人間の赤子の魂と融合し、受肉してこの世に生れ出た場合である。
そうした『肉体を持つ人としての天使』が何故生まれるのか、未だにハッキリとした答えは出ていない。
「上位天使は、聖属性の武装と強力な魔法を操る上に、こちらの攻撃魔法の効果を低減する高い魔法耐性を持っている。それに下級天使の援護も受けて、俺達は予想以上の激戦を展開する事に成った……」
ライガが語る、二人のハイマスターと上位天使率いる天使部隊との戦い。
およそ低レベルの冒険者とは無縁の、その戦いの描写に、皆が引き込まれて行く。
「それでも……、俺達は戦いを優位に進めていた。下級天使を何体も倒し、上位天使も追い詰めたのだ。だが……」
今思い返せば、そこに慢心や油断は無かっただろうか。
人数の不利はあっても、夫婦共にハイマスターとして職を極めし者。
その過信が、最後の一手を読み間違えさせたのではないだろうか。
「結果だけ言えば、俺はその上位天使に殺された。そして、下界での存在維持が困難になったそいつにルナセイスが止めを差し、あいつは俺の死体を持って急ぎ拠点に戻ったようだ……」
彼ら夫婦は戦いには勝利したものの、ライガの生命は、その勝利の犠牲となってしまったのだった。
「当時の母はレベル22、ハイマスターの闇僧侶だったわ。当然、母はお前の蘇生を試みようとした。遺体には辛うじて頭部が残っていたから、可能性だけで言えば生き返る確率が『ゼロ』ではなかったからよ……」
死者の蘇生には、最低条件として遺体の頭部が要求される。
それが失われてしまえば、如何なる手段を用いようと蘇生は不可能なのだ。
「でも……蘇生魔法の成功確率は、遺体の状況によっても大きく左右されるわ」
それでも魔法を掛ければ、皆が皆生き返るという事は無い。
蘇生出来るかどうかは、本人のレベルと生命力、それに運。
そして術者のレベルと魔力によって、その確率が変化するのだ。
特に、職に就いていない一般人の蘇生確率は、百人に一人と言われる程低く、ほぼ成功する見込みは無いと世間には知られている。
「あの時のお前の遺体の状況は、最悪の一歩手前だったわね。【通常蘇生】ではもう無理で、【完全蘇生】ですら成功させられるかどうかは、分の悪い運試しでしかないような……」
その状況は、父を慕う娘に絶望を抱かせた。
フェルセイスに罪があるとしたら、母に懇願した事だろうか。
父を生き返らせて、と。
そして、ライガの妻であり、子の母であるルナセイスは決断した。
ハイマスターである彼女でさえ、【完全蘇生】での一発勝負は危険と判断せざるを得ない。死んだ夫を確実に蘇生させる為に、彼女は最後の手段を選んだのである。
「そう、あの時……、『お母さん』は【奇跡顕現】による蘇生を選んだ……」
ふと遠い目をして、フェルセイスはその時の事を語る。
自然と、母の呼び名が幼くなった。
僧侶系魔法第十レベルに属する、最高位魔法【奇跡顕現】。
それはマスターレベルに到った僧侶が使える、神の力の究極の顕現。
その祈りの力によって呼び起こされる神威によって、パーティ全体のHPを全回復させたり、絶対的な魔法結界を授かる等の奇跡を得る。
さらにその奇跡の中には、『絶対蘇生』の効果も有していた。
この魔法を用いれば、遺体に頭部さえ残っていれば、対象を確実に蘇生させる事が出来るのである。
【奇跡顕現】の魔法を行使した、その術者の命と引き換えに。
「肉体を損壊した状態のお前よりも、自分が死んだ方が蘇生出来る可能性が高い……。母はそう判断したのよっ!」
その判断は、確率の上では正しかった。
レベルを上昇させる事によって、蘇生確率もまた高くなる。
特に、【生命強化】のスキルを持つ人間族と、【幸運強化】のスキルを持つ小人族は、他の種族よりも蘇生し易いと言われていた。
ハイマスターであるルナセイスは、【魔力強化】のスキルを持つダークエルフ。
それでも蘇生出来る確率は、五割程はあった。
しかも、魔法の代償としての死なので、肉体は無傷の状態。
【通常蘇生】と【完全蘇生】という、二度の蘇生魔法を受けられるチャンスもある。
コインを二回投げて、一回でも表が出れば勝ち。
これは、そういう賭けだった。
「そして……、母は賭けに負けたわ」
奇跡は起こった。
ズタボロの状態まで肉体を破壊されていたライガは、完全な肉体を取り戻して蘇ったのだ。
ライガの顔に、ついに苦悩の色が現れる。
「そうだ、思い出したか。お前は……、母の命と引き換えに蘇生したのだっ!」
その奇跡は、妻の命との等価交換。
彼女は死に、ライガは生き返った。
死亡したルナセイスを、ライガはどうにか蘇生させようとある僧侶の下へと連れて行った。
だが起こった奇跡は、一度だけ。
次の奇跡は、品切れだった。
「そういう事だったんですね……」
父娘の話を聞き、セディルは全てに納得していた。
これまでに知った情報が、全て繋がったと感じたからである。
「師匠の奥さんの死は、僧侶系最高位魔法【奇跡顕現】を使ったからだったんですか……。そして、死んだ奥さんの蘇生をホスリード老師に行って貰って……、失敗したと……」
あの村での別れ際、呆けた老僧が言った言葉を思い出すセディル。
ライガに頼まれたセディルの蘇生を成功させ、今度は助ける事が出来た、と老僧は言っていた。
一瞬正気に戻った彼の心には、ライガの妻を救えなかったという、その懺悔があったのかも知れない。
ライガにとっても、あの村は因縁深き場所だったのだ。
「哀しい愛と冒険の結末ですか……」
想い人の新たな過去を知り、ライトレインは珍しく神妙な顔で頷く。
「ルナセイスの死に、そんな事情があったとは、な……」
イルメッタは知っていたようだが、他の者と同様、ヴァルデムにとってもそれは初めて聞く話だった。
彼は眉間に深い皺を寄せ、かつての仲間の死に今再びの黙祷を捧げる。
彼女は冒険者として生き、冒険者の妻として死んだ。
エルフ族としては若死にだが、彼女はその死を後悔はしていないだろう。
何故なら、この世に夫と娘を残せたのだから。
ヴァルデムは、フェルセイスの顔を見つめる。
久方ぶりに目にした少女から大人に成長した彼女の容姿は、驚くほどその母に似ていた。
今の構図は、そのまま彼が三十年前にも見たもの。
ライガとフェルセイスが居る光景は、かつての『牙のパーティ』が蘇ったかのようだった。
「私は、お前にずっと訊きたかった事があるわ」
彼女はもう一度、その言葉を静かに口にする。
「お前は、上位天使との戦いで死んだと言った。でも、お前は忍者だわ。それも、レベル21に達したハイマスターなのよ。全ての『忍者系忍法』を習得している筈……」
忍者系忍法。
それは忍者と成った者だけが使用出来る、第三の魔法とも言うべき驚異の力。
呼吸により大気から『魔素』を取り込み、自身の魔素と合わせて体内で練り上げ、肉体を極限まで強化して、超常の力を発動する。
フェルセイスは、その力を知っている。
彼女は、その忍者の娘。
父の操る忍法については、母からも聞かされていたのだ。
「………………」
ライガは沈黙し、再び目を閉じる。
これから何を娘に訊かれるのか、それを彼はもう悟っているのだ。
「お前には、【自己蘇生】という切り札があった筈。何故、それを使わなかったの?」
喉の奥から絞り出すような、フェルセイスの苦しげな声が応接室に響く。
彼女は、その答えを知りたがっている。
だが、同時に知りたくもないとも思っているらしい。
声に現れた感情の揺れは、そんな矛盾した複雑な彼女の心を表していた。
「忍者系忍法第十レベル、その最高位忍法【自己蘇生】……」
セディルが師を代弁し、その忍法の力を皆に語る。
「忍者は……、ハイマスターに到った師匠なら――死亡したその直後に、この忍法を発動する事で、どんな怪我を負っていても肉体を完全再生させて、HPも全回復状態で生き返る事が出来るんです」
それが忍者の切り札。
本物の忍者とは、殺しても死なないのである。
「但し、蘇生の代償として『1レベル』分の魔素を魂から失って、『エナジードレイン』を受けた時の様にレベルが一つ低下してしまいます。だから……、これは本当に最後の手段ですね」
そう説明し、もしも自分がレベル20に成って、その忍法を使える状況で死んだ時、どうしようかとセディルは思いを巡らせた。
冒険者のみならず、職に就く全ての者にとって『レベル』は絶対的に貴重なものだ。
特に、『マスターレベル』と呼ばれるレベル15を超えた者にとっては、その一つ一つの重みが低レベルの者とは違って来る。
生か死か。
その時に成ってみなければ、結論は出せそうにない。
「忍者って、凄いっ!」
「まさか……、忍者の伝説は全て本当なのですの?」
セディナとエリーも、最高位の忍法の力を聞き、目を丸くしていた。
その力を極めし者は、只の『魔法戦士』や『聖騎士』とも違う、文字通りの殺戮機械と化すのである。
そして、その殺戮機械に皆の視線が集中する。
「……お前の想像している通りだ、フェルセイス」
血を吐く思いで告げられた娘の疑問に、ライガは心を殺した機械のように無情な答えを返す。
「俺は、レベルを惜しんだのさ」
その告白を聞き、フェルセイスの顔が苦痛に歪む。
「あの時の俺は、レベル21に成ったばかりだった。二つ目の『特殊スキル』も手に入れ、舞い上がっていたのかもな。だからレベルが下がるのが嫌で、【自己蘇生】を行なわなかった。自分で生き返らなくても、あいつなら必ず生き返らせてくれるだろうと……、信じていたからな……」
マスターレベルをさらに超えし者は、新たなる恩寵を得られる。
それが職にも種族にも左右されない、その者独自の能力の発露、『特殊スキル』である。
ライガがレベル21で得た『特殊スキル』は、何故かセディルにも発現した【二回行動】。
最強の忍者が二人に増えるに等しい、驚天動地のスキルであった。
それを手にし、ついに到達したレベル21の高み。
彼はそれを手放すよりも、同じくハイマスターと成った闇僧侶の妻の力を信じたのだ。
その信頼通り、彼の妻ルナセイスは、ライガを生き返らせてくれた。
彼女自身の命と引き換えに。
そして彼は、『妻殺しの罪』を背負う事と成ったのである。
「やはり……、そうだったのね……」
フェルセイスは目を瞑り、唇をキュッと引き結んだ。
真相を求め、父に問うたその答えは、彼女が想像していた通りのもの。
「だとしたら……、お前はろくでなしの屑だわっ! レベル30を超える最強の冒険者を目指すという、無謀な戯言に母を付き合わせ、挙句の果てに、母を犠牲にして生き返ったにも関わらず、冒険者を辞めて隠遁するなんてっ!!」
それは裏切りだと思った。
母と自分に対する裏切りだと。
フェルセイスは、今でも思い出す。
イルメッタに彼女を預けて去って行く父親の後ろ姿。
泣いている彼女を振り返り見る事もなく、その背中が遠ざかって行く。
彼女は、父に捨てられたのだ。
それからフェルセイスは、イルメッタに願い出て、職に就く為の修行を始めた。
目指すのは、母と同じ職『闇僧侶』。
『混沌』の属性を持つ者しか就けぬ、武器の扱いに長けた武闘派の僧侶である。
それから数年が経ち、念願叶ってその職に就いた彼女は、十五歳の時、冒険者の道へと歩み出した。
全ては、自分を捨てた父を超えるレベルに到達し、冒険者を辞めた父に言いたい事を言う為。
その後、十年の歳月が流れ、フェルセイスはマスターレベルに到った。
父の背を追い掛け続けた娘は、ついにその男の姿が見えるところまで辿り着いたのだ。
「ライガ・ツキカゲ……、そんなお前にも、再び冒険の機会が巡って来たのよ。それでもお前は、この冒険に挑まないと言うの? また私に背を向けて、逃げる気なの? お前の冒険者としての誇りは、夢は、その程度のものだったのかっ!?」
十五年の間に積もり積もって濃縮された想いを、フェルセイスは父にぶつける様にして叫ぶ。
「………………」
娘からの糾弾に、ライガは沈黙する。
彼女は、求めているのだ。
彼の冒険者への復帰を。
例えそれが、父を見返す為だとしても。
ライガが己の『妻殺しの罪』に対し、その身に自ら科した罰、それが夢の放棄。
その縛鎖を、彼の妻と同じ顔をした娘は、断固として否定したのであった。




