第六十三話 王国の危機
『試練の迷宮』
それは、超越的な存在によって創造され、強大な魔力によって管理される『超常の大迷宮』の事。
世界の各地に数多存在する古代文明や魔法文明の遺跡とも異なる、圧倒的な規模を持つ建造物であった。
そこでは尽きる事無く溢れる魔物と戦い、残酷な死の罠を突破し、そして莫大な財宝を手に入れる事が出来るという。
そして、迷宮に設定された奇妙なルール。
入り口近くの魔物は弱く、迷宮の奥地へと進むに連れて、徐々に魔物が強く成って行くというもの。
故に、そこは『試練の迷宮』と呼ばれる。
死と隣り合わせの実戦を生き残った者は、短期間にレベルを急上昇させる事が出来るからだ。
そんな迷宮が、レイドリオン大陸では過去に二度出現している。
七百年前に現れた『神の塔』。
三百年前に発見された、『奈落都市』。
いずれも歴史の転換点に、それは出現し、迷宮は時代を動かす多くの英雄を生み出した。
『試練の迷宮』に挑み、その最上層、最下層にまでの到達を果たし得た者――職を極めし『ハイマスター』達は、その後、世界各地で勇名を馳せ、歴史や伝承にその名を残して行ったのである。
「お前……、何を言っているんだ、ヴァルデム?」
かつての冒険者仲間、魔術師から賢者に転職し、今はロルドニア王国の宰相を務める男、ヴァルデム・オリオスの言葉に、流石のライガも面食らっていた。
冒険者を引退したライガに、ヴァルデムは復帰を求め、その理由としてとんでもない事を言ったのだ。
『試練の迷宮』に挑んで欲しい、と。
「言葉の通りだ。私は……、否、ロルドニア王国は今、試練の迷宮に挑み、その最下層に到達出来る冒険者を求めているのだ」
そう苦しげに話すと、ヴァルデムは室内に居る全ての者、その一人一人に、厳しい視線を向ける。
「これから私が語る事は、現時点では王国でも一部の者しか知らぬ機密事項だ。いずれは市井の全ての者にも公開する情報に成るだろうが……、それはまだ暫くは先の話。それまでは、君達にも沈黙を約束して貰わねばならん」
その断固とした覚悟を宿す目に、事情を知らぬエリー、セディナ、アンナは緊張に顔を強張らせる。
既にその事情を知るイルメッタ、フェルセイス、ライトレインは冷静さを保つ。
そして、無表情で沈黙するライガと、ワクワクと胸を躍らせる様子を隠す気も無いセディルがいた。
「大丈夫ですよ、宰相閣下。此処には、大事な秘密を守れない様な人はいませんからっ!」
一番興奮して話の先を聞きたい様子のセディルが、問題は無いとそう太鼓判を押す。
「………………」
そんな事をのたまう少年を叡智の瞳で見つめ、軽率な行動に出るような者では無い様だと判断したのか、ヴァルデムは秘したる事情を語り始める。
「事件が起こったのは、一月程前の事だ……」
一月前の夜、クライゼールにある王城『銀月宮』の一室、女王ヘルマイア・ロルドの居室に、一人の侵入者が現れた。
その者の名は、『アーゼルモア』。
世に『魔王アーゼル』として伝えられている、一千年前に、この地を治めていたという古代の吸血鬼の王、その人であった。
「ま、魔王アーゼルっ!? それはまさか、『真祖の吸血鬼』の中でも頂点に立つという、伝説の魔王国の王ですのっ!?」
宰相の話を聞き、最初に反応したのは、賢者の職に就くエリーであった。
彼女は歴史や地理、伝承といった、書物に載っているような知識に関しては詳しいのだ。
「その通りだ。正にその真祖の吸血鬼にして、魔王国アーゼルディアの王であった、魔王アーゼルがこの現代に蘇ったのだ。本人が言うには、一千年の眠りから目覚めたのだそうだがな……」
魔王本人と対面した時の事を思い出し、ヴァルデムは拳を握り締める。
生きている真祖の吸血鬼には、彼の対アンデッド魔法も通じなかったのだ。
「そして魔王アーゼルは、女王陛下と我々の前で宣言をした。古の魔王国を、この地に復活させる、とな……」
『魔王国アーゼルディア』は、一千年前まで、この地を中心に栄えていた魔法文明期の超大国の一つだった。
その支配領域は、現代のロルドニア王国、ヘルトーラ王国、それに小国家群にまで及び、その広大な版図に魔王は絶対君主として長く君臨していたのである。
『文明崩壊』が起こる、その日まで。
「魔王の目覚め……、魔王国の復活……、それに試練の迷宮……」
その途方もない響きに、セディルの身体に震えが走った。
恐怖、故ではない。
それは冒険と戦いを求める、武者震いだった。
(ついに……、ついに来たーーッ!! 挑むべき冒険の舞台に、僕はついに辿り着いたんだーっ!!)
それはある意味、セディルに与えられた『天啓』。
この世界に転生し、忍者と成り、冒険者として生きると決めた時から望んでいた冒険の舞台。
それが今、手の届く場所にある、と彼は知ったのだった。
「……お前は、魔王に会ったのか?」
沈黙していたライガが、ヴァルデムに訊ねる。
「ああ……、女王陛下の居室に警護の騎士達と共に飛び込むと、そこに魔王アーゼルが居た……。あの怪物には私の魔法は通用せず、騎士達が剣で斬り掛かったのだが……、それも奴には届かなかった。何故なら、一千年の眠りから目覚めた者は、魔王だけではなく、その臣下の者達も同様だったからだ……」
その場に現れたのは、魔王だけではなかった。
彼を護衛する為に、さらに四人の実力者が居たのである。
その内の一人に、女王の警護を任される程の高レベルを持つ勇猛な騎士達が、手も足も出せずに殺されてしまったのだ。
「そして……、魔王アーゼルは『あれ』を掲げた」
その光景に固まる女王や宰相、騎士達の前で、魔王アーゼルは、その絶対の力の源を披露した。
「伝説のアーティファクト、『魔力の心臓』だ……。その宝玉が発する魔力の波動に、我々は指一本動かす事が出来なくなった」
無限に魔力を供給するという神秘の魔道具の前では、マスターレベルに返り咲いたヴァルデムさえ、完全に無力化されてしまったのだった。
「『魔力の心臓』……、学院の歴史書物で読んだ事がありますわ。魔王アーゼルが創り出した、究極にして至高の魔道具……。それが伝説ではなく、今もこの世にあるのですわね……」
全ての魔術師が夢見る力が、御伽噺ではなく現実に存在すると知り、エリーは畏怖の溜め息を吐く。
それがあれば、文字通り神の如き魔法の力を、この世に顕現出来るであろう。
「それが欲しいの、エリー?」
若干頬を上気させた少女の顔を見つめ、セディルが訊いた。
「ほ、欲しい訳ではありません。只、見てみたいと思っただけですわっ! 大体、『魔力の心臓』が伝説通りの物ならば、誰にでも扱えるような魔道具ではありませんものっ!」
はしたない欲を抱いたと思われたのを遺憾に思い、エリーはプイッと横を向いた。
しかし魔法を学び、魔法に関わる者にとって、それが力への欲望を誘う禁断の品である事は間違いない。
「本当にそんな物があるのね……」
「はははっ、確かにエリー嬢だけでなく、私でも見てみたい誘惑に駆られる品ですねぇ」
冒険者としては熟練の域にある筈のフェルセイスとライトレインでも、それ程の力に触れる経験は無かった。
「……笑い事ではないのだよ。魔王アーゼルの力は圧倒的だ。魔力の心臓がある限り、如何なる大軍で奴に挑んでも、何もする事が出来なくなる。魔王があれを掲げるだけで、万の軍勢であろうとも、地に平伏す他なくなるのだからな……」
それは絶望的な戦力差であった。
宝玉を掲げるという只それだけで、ロルドニア王国の屈強な軍は、案山子の群れにされてしまうのだ。
「それだけではない、奴は言ったのだ。この地に魔王国を復活させるには、我が国は……、ロルドニア王国は邪魔だとなっ!」
口惜しげに、ヴァルデムはそう吐露した。
王国の政務を取り仕切る宰相であると同時に、建国王と共に、この国を作ったオリオス家の末裔として、それは最大級の屈辱であった。
「……それで? その話が、どう試練の迷宮に繋がり、何故俺がそこに挑まねばならんのだ?」
話の着地点を知る為、ライガがヴァルデムに事の核心を求める。
「魔王は、この国を消し去るつもりのようだ。だが、その前に奴は奇妙な提案をして来た。それでは、簡単過ぎて面白くない、と……」
「面白くない?」
意外な魔王の言葉を聞き、ライガ以下、皆が宰相の説明に注目する。
「失われた筈の魔王国……、それは今、この地に……、我が国の王都クライゼールの地下に封印されている……」
続く宰相のその言葉に、流石に皆が息を飲んだ。
「魔王国が、この街の地下にあるだと?」
「……ライガよ、お前もレイドリオン大陸で語られる、不思議の一つとして知っているだろう。消えた魔王国の都の事は……」
それは、この地では良く知られた話だった。
一千年前まで、魔王国アーゼルディアの首都として栄えた『王都エペルギア』。
魔王アーゼルが数千年に渡って君臨し、魔法によって創られた巨大都市であったと伝えられているのだが、文明崩壊後の現在、他の遺跡は多数見つかっても、その街の遺跡だけが何故か見つからない。
『魔法帝国エル・ゲネア』の首都であった街が、規模は縮小したとしても、今もジーネボリス帝国の都ジーネロンとして、そのまま機能している事から考えても、それは不可思議であった。
学者達が調べた古代の文献によれば、この辺りにエペルギアが存在した事は確実であるのに、その僅かな痕跡さえ、今まで全く発見されていないのだ。
当然、財宝を求める冒険者達も、その街を探している。
しかし、それは見つからない。
魔王国の都エペルギアは、何処へ消えたのか。
その謎は、多くの歴史学者、知識人、冒険者達を悩ませて来たのである。
「その謎の答えを……、私は魔王アーゼル本人に教えられたよ」
魔王国は、消え去ったのではなかった。
王都エペルギアも、そこの聳えていた『魔王宮』も、王国を支える様々な施設も、全ては魔王と共にこの地の下に封印されていたのだ。
「その封印された魔王の国こそが、奴の創り出した試練の迷宮なのだ。魔王は、我々に反抗の機会を与えると言った。十年以内に、最下層に居る自分の下まで辿り着き、我が首を取ってみろ……とな」
迷宮と化した王国は、十階層に分かたれている。
最下層に到達する為には、それを一層ずつ攻略して行く必要がある。
数百年前に行われた、『神の塔』と『奈落都市』を攻略した冒険者達と、同じ手順を踏んで行かなければならないのだ。
「第一層への入り口は、既に確認済みだ。『魔法学院』と『寺院』には密かに協力を仰ぎ、精鋭の騎士達による探索も行われている。過去の試練の迷宮と同様、一階層に現れる魔物は、そう大したものではない。当初の探索は、問題無く進んでいたのだ……」
そう語り、ヴァルデムは視線をずらして、テーブルに着く二人の冒険者を見る。
フェルセイスとライトレインをだ。
「だが、その一階層探索中に問題が発生してしまった。それを調べる為に、私は『ガリアンドの酒場』に、信用の置ける腕利きの冒険者を遣して欲しいと依頼を出した」
元冒険者だけあって、大貴族の当主に舞い戻った今も、ヴァルデムは彼らの力を借りる事に躊躇いは無いようだった。
「それに応じたのが、私とフェルだったのですか。依頼では、此処まで詳しい話は聞いていなかったのですが……、成程、そういう事だったのですねぇ」
うんうんと頷き、改めて自分達の仕事の重要さを確認したライトレイン。
「酒場では王国からの依頼とだけ聞いていたけれど……、宰相閣下直々の依頼だったのね」
フェルセイスも、宰相ヴァルデムが父親の昔の仲間とは知っていたが、彼とはイルメッタを通じて数回面識がある程度の関係でしかない。
おそらくヴァルデムとも知り合いである今の酒場の店主ギルガンドが、条件に合う冒険者の中から、態々彼女を選んで送り込んだのだろう。
そして、二人は試練の迷宮に挑む、最初の冒険者と成ったのだ。
「フェルセイスが事態に関与しているとは、そういう事か……」
ライガが、静かに目を閉じた。
彼の娘は、その両親と同じく冒険者と成ってしまった。
彼の望みでは、冒険とは関係の無いところで幸せに成って欲しかったのだが、その願いは叶わず、彼女は自らの意志でこの道を歩むと決めたのだった。
「……だったら、尚更俺の出番は無いな。魔王の首とやらは、新しい世代の冒険者に刈り取って貰え。新たな試練の迷宮の発見などという情報は、いつまでも秘匿して置ける訳がない。いずれは噂が流れて、無数の冒険者がこの街にやって来るぞ。まあ、そうなる前に、お前は王国側から正式には発表する気だろうがな……」
かつての試練の迷宮には、世界中から冒険者達が集い、その攻略に挑んだ。
多数の犠牲者を出しつつも、生まれ出たそれぞれの英雄パーティによって、迷宮は踏破された。
今回もそう成るだろう、とライガは突き放す。
「その通りだ……。いずれは王国として試練の迷宮の発見を公式に発表し、広く世界に人材を求めて攻略に挑む事に成る。おそらく……、公表は引き延ばせてもあと半年程度だろう……」
人の口に扉は立てられず、この秘密も数ヶ月の内には、世間に噂という形で流出するのは必定だった。
それを理解する政治家であるヴァルデムは、時期を見計らって、この事実をある程度までは世間に公表する考えを持っていた。
「だが、それだけでは足らん……。我が国に必要なのは魔王を倒し、魔力の心臓を回収出来る者達……、即ち『英雄』と成れる冒険者パーティなのだ」
求めるのは、只の冒険者ではない。
かつての英雄達と同様、迷宮の支配者を打ち倒せるような真の冒険者こそが、今この国には必要なのであった。
「そこに何故、俺がいなければならん?」
「それは、お前が忍者だからだ」
ライガの疑問に、ヴァルデムは即答した。
まるで、答えを最初から用意していたかのように。
「言っただろう、魔王と共に一千年の眠りから目覚めた者達がいると。私は、その者達四人とも対峙した。その中に、いたのだ――お前と同じ忍者が、な……」
その時の衝撃を思い出すと、歴戦の冒険者でもあった筈のヴァルデムでさえ身震いがする。
忍者を敵に戦う者が、どんな目に遭うか。
忍者であるライガと十年の冒険を共にした彼は、それを良く知っていたのだ。
「えええっ!? 忍者が、僕と師匠以外にもこの世にいるっ!?」
驚きの声を出したのはセディルだったが、他の皆も、その衝撃の情報に顔色を変えた。
一旦は滅亡し、この場に二人居るだけでも奇跡という職に就く者が、さらにもう一人いるという。
「残念ながら、事実なのだ。あの男は、一千年前の『古代の忍者』なのだろう。しかも、あれは只の忍者ハイマスターではない。ライガよ……、今のお前よりも強い、『レベル30』を超える魔人なのだっ!」
宰相ヴァルデムが対峙した、古の忍者。
魔王の直属の護衛であるのならば、その男は文字通りの怪物であろう。
「レベル30を超える忍者……。長き眠りから目覚めた、魔王を守護する古代の魔人……か……」
皆を驚かせた、宰相の出会った忍者の話。
それはライガですらも、例外とはしなかった。
彼の鋼の彫像のような巨体が、僅かに膨れ上がり、不可視の闘気が滲むようにその肩口から漏れ出す。表情こそ変わらないものの、その鋭い目に炯々とした光が瞬き始める。
かつて己が目指した先、師のレベルすらも超える存在。
それを知り、彼の燻っていた冒険心に、一瞬、炎が燃え上がる気配が見えた。
「ライガよ、忍者を倒せるのは、忍者だけだ。お前の力を、もう一度だけ冒険に使ってはくれないか?」
いくらレベルが高かろうとも、他の職に就く冒険者では、魔人忍者に護衛された魔王アーゼルを倒す事は難しい。
ヴァルデムは、そう確信していた。
ロルドニア王国の危機を救うには、こちらも忍者の助けが必要なのだ。
「……断る」
だが、ライガの胸の内に燃えた一瞬の炎は、それ以上に成る事無く立ち消えた。
「俺はもう冒険者ではない。この世で最後の忍者でもない。どうしても忍者が必要ならば、そいつに頼め。喜んで、試練の迷宮に挑んで行くぞ」
無表情のままグイッと顎を振り、ライガはセディルを己の代打に指名した。
「え、僕ですか? それは勿論、宰相閣下が許可してくれるのなら、僕のパーティは魔の王国にだって挑みますよ。でも、師匠はそれで良いんですか? 三百年振りに現れた、冒険者が待ち望んでいた試練の迷宮ですよ。レベル30超えを目指す、唯一無二の冒険の場じゃないんですか?」
試練の迷宮に挑めるのなら、セディルは何に迷いも無くそこへ行く。
しかし師のかつての夢を知る彼は、そこにライガも行くのが当然だと思っていた。
「お前が挑むというなら、好きにしろ。だが、……俺は行かん」
ライガの心は変わらなかった。
目を瞑り、彼は断固として動かぬ彫像と化した。
「卑怯者めっ!」
そして、そんな自己の掟に縛られる男の姿に、激しく異議を唱えた者がいた。
椅子から立ち上がり、鋭い輝きを秘めた紫色の瞳でライガを睨むのは、彼の娘。
闇僧侶フェルセイスであった。




