第六十二話 忍者伝説
「……説明してくれ、ライガ。今のイルメッタの話は、本当なのか?」
カリビング家の応接室で、用意されたテーブルの上座の椅子に座ったロルドニア王国宰相にして『賢者』ヴァルデム・オリオスは、部屋の中で唯一人テーブルに着かずに壁に背を預けて立っている男、『忍者ハイマスター』ライガ・ツキカゲにそう問い質した。
今、部屋の中に居る者は、九人。
彼らの他に、屋敷の女主人イルメッタ・カリビングと冒険者である、『闇僧侶』フェルセイス・ダークウッドと『吟遊詩人』のライトレイン。
『厨房師』のアンナ・ハーベルスと『賢者』のエリー・レイド、『人斬り』のセディナ・レイド。
そして最後の一人は、セディル・レイド。
若干十二歳にして、『忍者の職』に就いた少年である。
ライガ以外の者は、皆椅子に座り、テーブルに着いている。
じっくりと話を聞く為に、ヴァルデムがそう望んだ為だ。
カリビング家の使用人ベルジアだけは、呼ばれるまで待機しているよう指示され、部屋を出ていた。
「……話とは、こいつの事か?」
師と宰相の鋭い視線が、セディルに向けられる。
先程のイルメッタの話で、さらりと言及された内容。
それは一国の宰相にとっても無視出来ない、重要な情報であったからだ。
「初めまして、宰相閣下。僕は、セディル・レイドと申します。七年前に師匠の弟子にして貰った、流れ者の子供です。職に就いた今は、世界最強の冒険者を目指しています」
セディルは、ヴァルデムの厳しい視線にもめげずに、堂々と名を名乗った。
忍者を求めているのならば、自分を売り込んで置いて損の無い相手だと、読み取ったからだ。
「……確かに、俺はこいつを七年前、弟子にした」
かつての仲間に促され、ライガは淡々と語り始める。
七年前、セディルとセディナの兄妹を拾った事。
セディナをイルメッタに預け、クレイム伯爵家の別荘で管理人をする傍ら、セディルを鍛えた事。
そして今年、その修行が実を結び、セディルは忍者の職に就いたのだった。
「……信じられん」
話を聞き、ヴァルデムは深く考え込むように額を押さえて唸る。
知識人の彼だからこそ、常識から言ってそんな事が起こる筈がない、と考えてしまうのだ。
「だが、事実だ。こいつは、俺と同じ忍者に成った。俺はもう最後の忍者ではないのだよ、ヴァルデム……」
混乱する男に、ライガは表情を消してそう宣言した。
次が生まれ出た以上、もう自分の役目は終わったのだと念を押すように。
「………………」
そのように断言されて、ヴァルデムは沈黙を答えとして、その事実を受け入れたのであった。
「いやいや、驚きましたよ。フェルのお父上とセディル君が、伝説の忍者だったとは……」
部屋に満ちる重い沈黙の中で、そう言葉を溢したのは、ライトレインだった。
この中では、宰相ヴァルデム以外では彼だけが、ライガとセディルが忍者である事を知らなかったのだ。
彼もフェルセイスから、そこまでは教えて貰えていなかったのである。
「良いですねぇ、伝説の彼方に消えた筈の存在が、この現代に蘇る……。これも時代を彩る英雄を、世界が求めているが故なのでしょうかっ!」
そのまま竪琴を取り出して、一曲歌い始めそうに興奮するライトレイン。
隣に座ったフェルセイスが、無言で彼のお尻を指で掴んで抓らなければ、本当にそうしていたかも知れない。
「……話は判った。では、もう一つ私の質問に答えて欲しい。ライガよ、お前はこの十二年間、ジーネボリス帝国のクレイム伯爵家で、別荘の管理人をしていたんだな?」
「ああ、そうだ……。先月まで、俺は只の別荘の管理人だった」
冒険者を辞めて引き籠る先として、あそこは申し分の無い環境だっただろう。
伯爵一家が年に一回来る他は、使用人が適度に掃除に来るだけで、彼は孤独に時を過ごす事が出来たのだ。
「ならば、当然知っているな。先月、ジーネボリスで起こったあの事件を?」
「皇帝が殺された事だな」
「そうだ。あの皇帝殺害事件、……帝国政府から正式発表された犯人は、オーネイル・クレイム伯爵。お前の雇い主だ……」
その先月発生した大事件にヴァルデムが触れた時、ビクッと肩を震わせたのはエリーだった。
あの事件で負った少女のトラウマは、当然まだ払拭されてはいない。
判ってはいても、亡き父が皇帝殺害犯として名指しされると、彼女の身は怒りと哀しみに震えてしまうのだ。
「あの事件に、お前は何か関わり合いがあるのか?」
宰相という立場にある者として、ヴァルデムはその真相を確認しなければならなかった。
今、ロルドニア王国とジーネボリス帝国は、長く友好関係を維持している。
事件を経て、先帝の葬儀と並行して行われた新皇帝の即位式にも、弔意と慶事の使者を送り、両国の友好の維持を確認したのは、他ならぬ彼であるのだ。
「事件そのものには、俺は何も関係していない。クレイム伯爵に頼まれた事は、唯一つだけだ。……『娘を護って欲しい』、とな」
真実、クレイム伯爵がライガに求めた事は、それだけだった。
そしてライガが果たす気になった仕事も、それだけだ。
「……娘を護って欲しい、か……」
ヴァルデムは、その一言で事態を理解したらしい。
その視線が、彼から最も遠いテーブルの隅に座る金髪の美少女に向けられる。
街娘風の素朴な服を着ているが、どうしてもその幼さを残した高貴な美貌とズレを感じさせてしまうその姿に、宰相は自分の推測を確信に変えた。
彼女のその類い稀なる美貌と稀少な種族については、他国でも良く知られていたからだ。
「つまり……、彼女が皇帝殺害の犯人クレイム伯爵の娘で、エンドレイス新皇帝の嫡男アレイファス皇子の婚約者だった、天使のエリーエル・クレイム嬢なのだな?」
テーブルの上で指を組んだヴァルデムが、重々しい口調でそう言うと、部屋の空気が急に熱を帯びて膨らんだ。
「ええっ!?」
そう声を上げたのは、武者鎧を着込んだままのセディナだった。
兄と結婚した忌々しい女だが、まさか、そんな大犯罪者の娘だったとは思っていなかったからだ。
「何と、エリー嬢には、そんな事情が!?」
「どういう事なの?」
ライトレインとフェルセイスも、彼女の正体には驚いた様子で、一瞬椅子から腰を浮かせてしまった。
元々知っていたアンナと、勘付いていたイルメッタは、何も言わない。
片方はエリーを心配し、もう片方は事態の推移を楽しんでいた。
皆の視線が一斉に、金髪の美少女エリーへと向いた。
「……違いますわっ! お父様は、皇帝陛下を殺した犯人ではありませんっ!!」
そしてその少女エリーは、椅子から立ち上がると、バンッと机を両手で叩いてそう叫んだ。
その特徴的な光を宿す蒼い瞳に、強い信念の火を灯し、例え相手が一国の宰相であったとしても、これだけは退けぬ、と年上の男を真っ直ぐに見つめた。
「違うとは? 犯人が、別にいると?」
「そうですわ、宰相閣下。ミルファウス陛下を殺害し、その罪をわたくしの父に着せた極悪人共が、別にいるのですわっ!」
公式情報とは異なる見解を主張する少女に、ヴァルデムが眉を顰める。
王国の宰相である彼は、独自の情報網を持っている。
そうしたルートから齎される様々な情報の中にも、今エリーが言ったような事実は無かったからだ。
「本当なのか、ライガ?」
裏の取れない情報を、彼は信じない。
ヴァルデムはその事実関係を、ライガに訊ねる。
「……その事を、確実に立証出来る証拠は乏しい。敵の情報の多くは、俺達の推論だ。だが……、クレイム伯爵の敵は確かに存在した……」
「そうなんです、何しろ僕達、一味の刺客に襲われましたから」
宰相の疑問に、ライガとセディルが答えた。
彼らが伯爵の屋敷から逃げ出し、帝都からの脱出を図った時、下忍の集団がエリーを浚う為にその姿を現したのだ。
「奴らを率いていたのは、マスターレベルの下忍だった。雑兵共も、鍛えられた精鋭だ。あれは、只の貴族の私兵などではない。『闇の忍軍』の一員、と言って良いだろう……」
その時遭遇した敵の異様さを、ライガはヴァルデムに語った。
一般的には存在さえ疑わしい、闇の勢力。
だが、それは確実に存在する。
その事を、ライガとヴァルデムは知っている。
それを動かせるような者ならば、皇帝殺害をあっさりと成功させ、その犯人に無実の者をでっち上げるくらいの事は造作もない。
それを知るヴァルデムは黙り込む。
情報を精査して真実を見抜こうと、その頭脳を回転させ始める。
「ア、アニキ、刺客と戦ったって……、だ、大丈夫だったの?」
黙り込んだ大人二人に代わって、今度はセディナが兄にそう訊ねて来た。
何だか話が大きくてややこしくなって来たが、兄がとんでもない陰謀に巻き込まれ、危険な目に遭った事だけは、セディナにも理解出来たのだ。
「うん、僕は大丈夫だったよ。僕だって、敵を倒してエリーを護ったんだからね」
心配気な顔をして兄を見る妹を、セディルはニッコリ笑って安心させ、胸を張ってそう言った。
「そ、そうなんだ、良かった~。でも、やっぱりアニキは忍者に成ったんだな~。忍者って、すっごく強いんだよな~」
兄の見せる、何の問題も無いという堂々として態度を目にし、セディナはホッと一安心した。
忍者の職に就いた兄は、やはり無敵で不死身なのだ、と彼女は改めて思ったのだ。
「まあ、一度死んじゃったけどねっ!」
なので、テヘッと明るい調子でセディルがそう余計な事を付け加えると、セディナは笑顔のままカチンと一瞬、石に成った。
「………………ハッ! し、死んだっ!? ア、アニキ、一度死んだのっ!?」
そして数秒後に自失から立ち直ると、慌ててその事を兄に問い質す。
「うん、一度死んで、それから蘇生して貰ったんだ。僕の冒険者レベル1での初仕事、『皇帝殺害の真犯人が送り込んだ刺客から、お嬢様を護る』を、金貨十枚で伯爵様から請けたんだから、仕方ないよ」
「………………」
「雑魚の下忍は、師匠が皆やっつけちゃったんだけど、僕はエリーとアンナさんを護って、敵のリーダーだったレベル15の下忍と戦ったんだ。何とか、敵は倒したんだけど、僕も死んじゃったんだよね」
「………………」
「いやー、偶然師匠が高レベルの僧侶と知り合いだったから、何とか蘇生して貰えたけど、その人かなりご高齢で、半分頭が呆けててね……。僕が生き返って来られたのは、やっぱり日頃の行いが善い所為なんだって、骨身に沁みたよー、はははっ」
「………………」
絶体絶命の危機をのほほんとした様子で語るセディルとは正反対に、沈黙するセディナの怒りは大きく膨れ上がって行く。
「……おいっ!」
テーブルを挟んで向かい側に座るエリーに、据わった目をしてドスの効いた声を出すセディナ。
「おい、とは? まさか、わたくしをそのように呼んでいるのでは、ありませんわね?」
義妹の無礼な口の利き方に、エリーは不機嫌な様子で訊き返す。
「テメーッ! アタシのアニキを、自分の盾にしやがったのかっ!!」
この女の所為で、兄は一度死んだ。
その事実に、憤慨するセディナ。
「この男は、わたくしのお父様に依頼された仕事を果たしただけですわ。わたくしを護る肉壁として散ったのですから、名誉な事ですわね」
つんと澄まして、売り言葉に買い言葉を言い放つ少女。
心にも無い事を言ってでも、今のエリーに、一歩でも退いて上げられるような精神の余裕は無いようだった。
「はい、そこまで、そこまで。僕は今生きているんだよ、セディナ。死んでも、生き返れば何の問題も無いんだ」
「でも、アニキッ!」
「今は大人しくしようね、セディナ。宰相閣下の前なんだよ。僕に恥を掻かせるの?」
「ううう~」
そう言われては、セディナも生やした角を引っ込めるしかなかった。
どんな不満があろうとも、少女は兄にだけは嫌われたくないのだ。
「失礼しました宰相閣下。お話の続きをどうぞ」
彼に無作法を詫びて来る少年を、ヴァルデムはじっと観察する。
顔に包帯を巻いて素顔を隠しているが、それ以外は普通の十二歳の少年に見える。
だが、その少年は忍者ハイマスターの弟子であり、この歳で忍者の職に就いた。
そして本人の言葉を信じれば、マスターレベルの下忍を相打ちで倒し、その力を示したという。
「……セディル君と言ったね。君は、本当に忍者なのかね?」
「はい、そうです」
「では、その少女は?」
「この子は、僕の双子の妹です。名前は、セディナと言います。僕は師匠に忍者にして貰いましたけれど、妹はイルメッタさんに育てて貰い、十二歳で人斬りに成ったそうです」
ヴァルデムに訊ねられ、セディルは自分達兄妹の事を話す。
「イルメッタ、君の弟子まで居るのか……」
「ええ、そうよ。此処には今、忍者に人斬り、闇僧侶、それに……、エリーお嬢さんも職には就いているのかしら?」
「エリーは、宰相閣下と同じ賢者ですよ。レベルは、まだ2ですけど」
イルメッタの問いに、セディルが答える。
「ですってよ。ふふふ、思い出すわよね、三十年前の私達のパーティを……。あの頃、私達はどんな強敵もどんな遺跡の罠も恐れなかった。私達が揃っていれば何でも出来る、そう本気で思っていたわ。本当に、若かった……」
かつて、『牙』の二つ名を持つ六人の若者達が駆け抜けた、冒険の日々。
昔を思い出し、イルメッタは目を細める。
それは、ヴァルデムも同じだった。
そして今、彼が必要としている冒険者パーティとは、あの時の自分達のように、困難に正面から立ち向かい、如何なる試練も乗り越えようとする者達であった。
しかし『牙のパーティ』は、もう失われた。
魔術師から賢者に成ったヴァルデムは王国宰相という責任ある立場にあり、人斬りのイルメッタも現役を引退して久しい。
闇僧侶のルナセイスは死に、他の者は行方知れず。
唯一人、忍者ハイマスターのライガだけが、今も現役の力を残すのみ。
「……ライガ、お前にどうしても引き受けて貰いたい、『重大な仕事』について話したい。冒険者であるお前にだ」
巡り合わせの妙に、神々の謀の臭いさえ感じつつ、ヴァルデムは心中で重い決断を下した。
やはりこの未曽有の大仕事を果たせるのは、この男が居るパーティしかない、と確信して。
「言ったぞ……、俺はもう冒険者を引退した。冒険者として仕事をする気は無い」
古い仲間の頼みでも、彼が自らに課した掟は破れない。
無表情で、決まり切った答えを返すライガ。
「クレイム伯爵の依頼は、引き受けたのにか?」
「あれは依頼ではない。恩人からの個人的な頼みを果たしただけだ……」
エリーの護衛を伯爵から依頼として引き受けたのは、セディルだけだった。
ライガはあくまでも、彼の頼み事を承知しただけなのである。
「そうか……、だからクレイム伯爵は、皇帝殺害の冤罪を着せられる事に成ったのだな……」
ヴァルデムも状況を理解した。
ライガは本当に、あの事態には関わっていなかったのだ。
彼が関わってさえいれば、伯爵の敵を抹殺してさえいれば、あのような結果には成らなかったのだろう、と。
「ならば……、今の私の立場は、クレイム伯爵と同じだと思ってくれ」
それを全て理解した上で、ヴァルデムは信念を込めた目でライガを見つめる。
「私は、お前の力を必要としている。お前が力を貸してくれなければ……、私はおそらく破滅するだろう」
「……それは脅しか?」
その瞬間、強烈な眼光を宿すライガの鋭い目が、ヴァルデムを突き刺す。
その鋭さは、眼力だけで人を殺せそうな圧迫感を持っていた。
「……お前の娘フェルセイスにも、私は既に協力して貰っている。その危険は、彼女も巻き込むかも知れん……」
忍者ハイマスターの死の宣告に睨まれても、ヴァルデムは退かない。
退く訳には行かないからだ。
「……らしくないな、ヴァルデム。それは、悪手だと思うぞ?」
自分に脅しは効かない。
それを知っている筈の男の無謀な言葉に、ライガは訝しげに片眉を吊り上げる。
「それは承知の上だ。だが、それでもお前の力が必要なのだ。私に……、いや『我が国』にだっ!」
「国だと?」
レイドリオン大陸に名高い西方三大国の一角、ロルドニア王国が伝説の忍者とはいえ、一介の冒険者を何故そこまでして求めるのか。
「頼むライガっ! 冒険者に復帰してくれっ! そして、『試練の迷宮』に挑んで欲しいのだっ!」
威厳をかなぐり捨て、テーブルに身を乗り出して叫ぶ、帝国宰相からの頼み事。
それは、冒険者達にとっても、大いなる試練の始まりであった。




